目を開いても閉じても、頭に浮かんで止まないのはあの時の謙也さんの泣き顔だけだった。澄んだ透明な滴がぼろぼろと瞳から零れて、綺麗な肌を滑り落ちて行く光景。濡れた目は不安定に揺れ、眉は哀しそうに下がり、桜色の唇は小さく震えている、全体的にくしゃりと歪んだ謙也さんの泣き顔。普段の明るい笑顔とは正反対の悲しい悲しい表情。それが思い出される度にどうしようもない罪悪感にじわじわと胸中が支配されて堪らなくなった。もう、どうしたらいいですか。俺はこれから、どうするべきですか。











「お前もう謙也に近寄るな」



良く通る声できっぱりと、目の前の部長にそう言い切られてほんの少しだけ心臓がツキリと痛んだ気がした。真っ直ぐに向けられた眼差しに宿るのは怒りと、それからほんの少しの哀しみ。



「財前、お前謙也のこと好きらしいな」

「…せやったらなんなんですか」

「ならもう謙也に近づかんといたってや」

「部長には関係あらへん話やろ」



そう言って部長から顔を反らしてから、自分で自分にお前はガキかと突っ込みたくなった。それから、自分がこんな子供だから謙也さんを泣かせるような、悲しませるようなことをしてしまったんじゃないのかと不意に思ったら、なんだか自らの未熟さと痛さに呆れた。謙也さんが部長に俺とのことを全部話したのだろう、きっと。だから俺は現在こうして部長と一対一で屋上にいる。なんで部長が怒っているのかと言ったら、俺が謙也さんを泣かせたから。

部長は目を合わせようとしない俺にため息を吐くと、緩く吹き抜ける風で揺れる髪を掻き上げた。



「なあ、お願いやから」



静かな低い声が鼓膜を震わせた。そして部長に目を向けて、俺は思わず目を見開いた。だって、頭を下げている。部長が自分のためでなく謙也さんのために、腰を折っている。



「ちょっ、なんで部長が頭下げるんすか」

「お願いや財前、これ以上謙也と関わらんといてやって」

「そんなこと、言われたかて…」

「頼む」



きっと俺がわかったと言うまでこの人は顔を上げないつもりなのだろう。頭を下げたままじっとしている部長になんて返事をしたらいいのかわからなくなった。というかそもそも、何故部長にそこまでお願いされなければならないのかがさっぱりわからなかった。これは俺と謙也さんのことなのに。それなのに、部長が頭下げるなんて……


………ああなるほど、
そういうことか。



「部長、謙也さんのこと好きなんでしょ」

「…」

「…そうやないと第三者の部長がわざわざ俺に頭下げる意味がわからへんもんな」



呟くように小さく言ったけれど部長には聞こえているはずだ。現に彼はゆっくりと体を起こして何も言わずにただただ俺を見据えている。吹いていた風はいつの間にか止まっていた。音は何も聞こえず、時が止まったかとさえ思った。暫く二人で何も喋らず見合っていると、ふと部長は唇を小さく舐めてから、何か言わんと口を開いた。



「好きやで」

「…それは当然、そういう感情でですよね」

「どんな感情でも。全ての意味において、俺は謙也が好きや」



凛とした声が天まで響く。あまりにも迷いのない、それでいて強い言葉に不覚にもドキリと心臓が跳ねてしまった。部長の想いは、本気だ。多分俺よりも真っ直ぐ、一途に、彼を想っている。愛している。その姿があまりにも眩しくてとても俺なんかじゃ到底敵いそうもなくて。脳はまるで直接硬い鈍器で殴られたみたいに重たく轟いた。



「…せやから、俺を謙也さんから離したいん?」

「…」

「自分が、好きやから。やから手を出すなってこと?」



情けなくも発した声は掠れていて、酷く弱々しく惨めなものであった。部長はそんな俺に対して、ふっと悲しげに目を細めて笑って見せてきたので体の内がわけもわからずざわついた気がした。



「そうやったら、良かったんになあ…」

「え…?」

「残念やけど、そうやないんや財前」



目を伏せて切なげに、何処か自嘲的に笑った部長は首を小さく横に振ると再度「そうやない」と溢すように言った。

…じゃあなんでや。自分の気持ちのためやないんなら、なんでや。なんで謙也さんに近づくななんて言うんですか。なんであんたは、そんな泣きそうな顔で笑ってはるんですか。



「ほならなんでですか。なんで謙也さんに近づいたらあかんの?なんで謙也さんを好きでおったらあかんの?なんで、なんで謙也さんはあんな泣いたの?」



俺は堰を切ったように今まで溜めていた疑問を部長にぶつけた。なんで謙也さんは俺を嫌いなの。俺があの人を好きでおるのはいけないことなの。なんで部長は俺に謙也さんに関わんなって言うの。なんで、どうして、なんで。

一息にいっぱいいっぱい吐き出してもまだ聞き足りなかった。この全ての問いかけに部長が一体どれだけ答えてくれるのかなんてわからなかったけれど、それでも止まらなかった。どれもが自分自身の思考だけでは解消しきれないものだったから。もう溜め込んではおけなかった。正直、限界だったのだ。



「知りたいん?」

「…答えてくれるんすか」

「とりあえず、謙也がお前を嫌う理由と昨日泣いた理由ならわかる」

「なら、教えてください」

「話したら、謙也のこと諦めるか?」



それは暗に諦めるなら話してやるというような交換条件を持ちかけられているかのようで、俺は頷くことなんてできなかった。否、したくなかった。諦めたくなかった。



「そんなん聞いてみなきゃわかりませんわ」

「…確かにそうやな」



ふう、と息を吐いた部長は背後のフェンスに体を凭れさせたので俺も彼の隣に行き背中を同じように預ける。首を傾げてじっと部長を見ていると彼は灰色のコンクリートの地面に視線を落としてゆっくりと目を閉じた。



「謙也はお前んこと、嫌いなわけやないねん」



頷くと同時に部長の目がすっと見開かれた。その時、一際大きく強い風が俺たちの間をさあっと吹き抜け、真っ青な空の彼方に飛んでいった。



「ただ、誰かに好かれるんが、誰かを好きになるんが怖いだけや」





…長くなってすみません。




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