体育倉庫の錆びた戸を開けると石灰と埃とで煙たい匂いが鼻についた。粉臭くて薄暗いそこに置かれているのは綱引きの綱や籠に入ったサッカーボールやバレーボール、色とりどりで大小大きさのあるコーンとその他もろもろ。それらを掻き分けながらテニス用品が固めて置いてある一角を目指して歩いている途中、何度かいろいろなものに足を引っかけて転びそうになってしまった。くそ、白石め。いきなりじゃんけんふっかけてきて負けたかと思ったら「倉庫からボールとコーン取ってきてや」なんて雑用を押し付けよって。「謙也の足なら5分もあれば取って来れるやろ」と笑っていた白石が頭に浮かんで、ほんの少しだけイラついた。



「はあ…」



まあええわ、はよ持ってって走り込みに合流しよ。そう思ってテニスボールを見るとそれは木製の棚の少しばかり高い位置に置かれた段ボール箱に入っている。うんと手を伸ばしてみるがなかなかそれに手が届くことはなく、どうしたものかと首を傾げてみた。



「誰や…こないなとこに、片したんはっ」



ぴょんぴょんと跳び跳ねてみてもせいぜい指がそれを触るくらい。何か踏み台になるものはないかと辺りを見回すと丁度すぐ近くの床に台車があり、俺はそれに乗ることにした。



「…と、どいた!」



不安定な台車に乗り背伸びをするとなんとか段ボール箱に手が届いた。けれど一気にそれを下ろそうと引きずり出してみたその時、段ボール箱は棚からずるりと滑って手前に落下してきて、それに吃驚して「うわっ」と声をあげながら体を仰け反らせると足場にしていた台車がグラリと揺れて俺は真後ろにドスリと転んだ。



「…った」



てんてんと灰色のコンクリートの上で軽快に弾む何十個ものテニスボールを横目に打ち付けた尻をさする。幸い台車は低めであったので大した怪我はしなかったものの、強打したケツは痛いし落とした黄色のボールは倉庫内で散乱。最悪だ。きっと今俺の尻は真っ赤でそのうち青タンにでもなるのだろう、なんて不憫な。



「…あーあぁ」

「…なんすか、これ」

「げ、財前」



不意に倉庫の入り口から声がして、見ればそこにいたのは財前光。俺の反応が気に入らなかったのか少し眉間に皺を寄せて「げ、とは失礼な」と呟きながら倉庫内に入り此方に近寄ってくる。そしてあちこちに散らばったテニスボールを見ると、なんやこのざまはとでも言いたげな顔でため息を吐いた。その表情に居たたまれなくなった俺は顔を財前から背ける。



「俺部長に頼まれて運ぶん手伝いに来たんすけど…何散らけて遊んどるんですか?」

「これをどう見たら遊んどるように見えんねん」

「ああ、落っことして挙げ句転けたんですね」

「…うっざ」



はあ、とまたまた深いため息を溢しながら言わなくてもいいようなことをわざと言葉にしてきた財前を睨むと、彼は素知らぬ表情でしゃがみボールを一つ一つ拾っていく。俺も一旦立ち上がり、石灰がついたであろう尻をパンパンと払って、財前同様にボールを拾い集めていった。

財前と、二人きり。なんでこんな状況下に置かれてしまったのか、その理由は白石の余計なお節介によるものなんだけれど。俺はボールを拾いながら財前をちらりと横目で見た。テニスボールを段ボール箱に拾っては入れ、拾っては入れを繰り返していく彼は何も言わずにただ無言。

あの日、部室で財前に諦めないと言われた日以来、彼とはまともに会話はせず目すらも合わせようとはしなかった。関わることを徹底して避けた。これ以上接触すると不味い気がしたから、これはもう周りが心配するとかどうこう言ってる場合ではない気がして余裕なんて吹き飛んでしまった。財前と会話していると隠していた自分をひん剥かれる気分で、もの凄く嫌だった。必死に今まで隠して押し殺してきたいろいろな苦悩を全て無下にされたような気になって酷く不愉快だった。それと、やっぱりどうしたって怖かった。財前を見て、この男は俺が好きなのか、と考えるだけで無条件で手足が震え心臓がキリキリと痛んでしまう。遠い遠い遥か彼方に放ったはずのあの吐き気がするほどの甘ったるい感覚が一気に引き返して襲ってきたみたいになって、飲み込まれそうだ。だから、嫌だ。だから財前は怖いのだ。財前だけじゃない、俺を好く奴は皆怖い、嫌だ、きらいだ。

どうせ永くは続かないくせに、好きだのなんだのと言わないでくれ。そうせがみたくて、けれどぶつけることなんて叶わないから仕方なく一人でひっそりと自らの肩を抱いて耐えてきた。



「…あれ、謙也さん、それ」

「え?」

「手、血ぃ出てません?」

「あ、ほんまや」



財前に言われて手のひらを見ればそこには人差し指ほどの長さの切り傷ができていて、浅くだがぱくりと開いた傷の周りには乾いた血がこびりついていた。先ほど尻餅をついたときに手をついたからその時にガラスの破片か何かで傷つけたのだろうか。そんなことをぼんやりと思いながら傷を眺めると先ほどまでは微塵も感じなかった痛みが急にきて、ジンジンとその箇所が痛んで滲みた。



「保健室、行きましょ」

「ええわ別に、こんくらいほっといても」

「あかん。あんたそれ利き手やろ?化膿したら痛うてシャーペンも、ラケットも握られへんくなってまうわ」

「…」

「せやからほら、はよう」



すくっと立ち上がった財前はしゃがむ俺に手を差しのべる。俺は一瞬躊躇したが、結局その手を軽く払って自分で立ち上がった。

もしその手を取って後々突き放されたらと、ほんの少し考えたら怖くて、それなら初めから払ってしまえばいいのだと思った。これが俺のやり方。臆病な俺の、唯一の自分を守る術。



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -