「嘘でしょまた、いなくなってる!」
朝露がキラリと輝く森の中、一人の少女が走っていた。生い茂る木々の間を慣れた足取りで潜り抜け、辺りを見回す。そんな動作が延々と続いた後、少女は呼吸を整えるため手身近な木にもたれかかった。
またやっちゃったよ、と呟き辺りをもう一度見回す。だが、少女が探しているのはそう簡単に見つかるはずのモノではない。
少女はハイドッグブリーダー。
そう、少女はあのハイドッグを探しているのだ。


ところ変わって、同時刻。
ロイヤルパラディンに仕える騎士団の一人、ゴードンは城のすぐ近くの森で鍛練をしていた。騎士団たる者、太陽が目覚めると同時に鍛錬を中で始めなくてはならない。それをモットーに、俺は毎日欠かさずに鍛錬をしている。今日も順調だな、と思いながら剣を振るっていたときだった。
ドドドドドドドドドドドドドドドドド
突然、いつもは聞こえないはずの物音が聞こえた。
耳を澄ましてみれば、どうやら物音は草むらの向こうから聞こえるようだ。だんだんとこちらに近付いてくるのが分かる。
もしや、敵襲か?このゴードン様に仕掛けてくるとは、面白い奴だ。
そう思って、剣を構えた時だった。
「やめてっ!」
草むらから何かが飛び出してくると同時に、そんな叫び声が聞こえたような気がした。
突然聞こえた声に止まるしかなく…
「なっ…うぉおぉおぉっ!」
飛び出してきた何かにぶっ飛ばされた。


「ったく、一体何なんだよ…」
飛ばされたせいで若干痛む体を起こしてみれば…
もふ。
何かが俺の背中に触れたような気がした。
 もふ、もふ、もふもふもふもふもふ。
もう一度確認すると、やはり柔らかくて温かい感触が。間違いない、俺の背後に何かがいる。振り向いた瞬間、
俺は固まった。

「ふ、ふふふふふふふふふふふふふふ…」

あのピンク色の毛、鋭い目つきと牙。言われなくても分かる。あれは、あれは俺がこの世で最も苦手とする…

「ふろうがるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」

俺はたまらず叫んだ。そこには、さっきまでは近くにいなかったはずのふろうがるの姿が。ということは、さっき飛び出してきたのはふろうがるだと言うのか。寿命が十年も縮まった気がする。…ったく、とんだ災難野郎だ。
軽く舌打ちをすると、今は眠ってしまっているふろうがるを睨んだ。
そこで、ふと気づいた。
何でふろうがるがこんな所にいるんだ?ロイヤルパラディンのハイビーストなら、普段はハイビースト専用の建物の中にいるはずなんだが…
そう考え込んでいたときだった。


「あの…す、すみませんでした!」
完全に留守だった背後から、突然声をかけられた。声がした方を振り返ってみれば、おどおどとしている一人の少女の姿が。
誰だ?
ほとんど頼りにならない俺の記憶力の中から思い出してみるが…やはりダメだった。
「ロイヤルパラディン所属、ハイドッグブリーダーのアカネと申します。先ほどは私のふろうがるが御迷惑をおかけし、本当に申し訳ありませんでした。」
アカネと名乗った猛獣使いの少女は深々と頭を下げた。
そうだ、思い出した。確かコイツは、少し前に騎士団に配属された新人の猛獣使いだ。挨拶をして回っていたのを覚えている。
と、言うことは。
さっきはここのふろうがるだったのか、と安堵の混じったため息をつく。
「俺は真理のゴードン。知らなかったとはいえ、こちらこそ剣を向けてしまいすまなかった。」
俺が名乗ると少女は顔を真っ青にした。
「やっぱりゴードン様だったのですね。どうしよう、騎士団の方だったなんて。迷惑をかけるなって散々言われてきたのに。またセイランさんに怒られて…」
そして、こんな調子でずっと呟いている。どうすることも出来ず、しばらくは黙って聞いていたが、落ち込み方が尋常じゃないほどエスカレートしていき…もう見てられねぇ、と呟き俺は思い切って声をかけた。
「アカネ、だったか?俺は大丈夫だからそんなに落ち込むな。」
「ですが…」
アカネが何かを言いたげに、口ごもる。まぁ、コイツの立場上仕方ないとは思うが。
「何なら、俺に話してくれないか?気持ちが楽になるぜ。」
だが、どうしても放って置けないのが俺の性格上。それに部下が増えてきたこの頃、いろいろと相談されるのが当たり前すぎて慣れてしまったからだ。
今まで細い針金のように張り詰めていた緊張が切れたのか、アカネは急に泣き出した。
「うぅ…ゴードン様、私…」
嗚咽を上げながらアカネは話し出した。


聞いたところによると、アカネは晴れて幼いて頃から憧れいた、ハイドッグブリーダーになるという夢が叶った。だが、なかなか実力が発揮出来ずに足手まといな状態になっているらしい。自分の失敗のせいで怒られている先輩のセイランの姿を見てからいても立ってもいられなくなり、自主的に隠れて練習をするようになったそうだ。今日はその最中に逃げ出したトラを探しているときにちょうど俺と出くわした、というところだ。
「…皆さんに迷惑をかけたりするのは何もかも、私が弱いせいなんですけどね。」
そう言って、アカネは自嘲気味に笑った。

「あ…」
その瞬間、俺の頭の中に懐かしいものがよぎった。
『ダメだよ、ゴードン。俺って弱いからさ…』
そう言って笑っていた、かつての俺の戦友。多分、アイツは今のアカネと同じことで悩んでいた。だけどアイツは、アイツは…
「別に弱くなんてねぇよ。」
アイツと今のアカネの姿が重なって見えたような気がして、俺は語りだしていた。
「本当に弱いヤツってのは、危機に直面して何もしないヤツのことだ。戦場でもそうだ、仲間を平気で犠牲にするヤツ。そんなヤツ、俺は強いとは思わない。だから俺は、仲間のためにも一生懸命練習しているアカネの方がずっと強いと思うぜ?」
かつて、アカネと同じ悩みを持っていたヤツに、アカネに、そして自分自身に言い聞かせるように、言葉を噛み締める。
「ですが…」
「もっと自分に自信を持て、な?」
「ありがとう、ございます!」
しばらくの沈黙の後、そう言って笑ったアカネの笑顔は太陽にも負けないくらいに輝いていた。

「あのな、アカネ…」
こんな時に言うのはどうかと思ったが、これだけは言っておかなければいけないと思った。
「はい、どうかしましたか?」
眠っているふろうがるを起こそうとしていたアカネはこちらを振り返った。
「俺、ふろうがるやらばーくがるやらのハイビースト類が大の苦手なんだ。」
俺の言葉にアカネは目を丸くして、笑った。
「皆、可愛い子ばかりですよ。」
…改めて思うと凄く恥ずかしいな、コレ。


「おはようございます、ゴードンさん!」
「おう、アカネか。」
それからというもの、俺が練習していると毎日のように元気を取り戻したアカネがやってくるようになった。きっと、自分の本音を話せる俺のことを兄貴のようにでも思って、慕っているからだろう。俺は騎士団の中でも皆の兄貴的な位置のため、とくに苦にはならないのだが。
俺達は一人で黙々と練習したり、時には互いにアドバイスし合ったりもする。そして練習が終われば並んで木陰に座り、城で起こった出来事や街の話などの他愛もない会話をかわす。
だが、俺は猛獣が苦手だという事をアカネは決して忘れておらず、隙あらば俺にハイビーストという恐ろしい猛獣を近づけるという、何とも恐ろしい行動をとることもある。


それからしばらくして。
「ゴードンさん。」
そろそろ行きますね、と言ってアカネは立ち上がった。
「もうそんな時間か…」
そう言って俺も腰を上げる。アカネと過ごす朝の時間はとても短く感じ、あっという間に終わってしまう。
「今日も頑張りましょうね!」
俺達は決して“また明日”とは言わない。俺達は知っている、騎士団はいつ命を落としてもおかしくは無い状況に置かれているということを。即ち、明日の命の保証がないということだ。
「…アカネ。」
「何ですか、ゴードンさん?」
小さく呟くと、少し前を歩いていたアカネが笑顔で振り返る。
「            」
俺は口を開きアカネにそう伝えようとした。
「…呼んだだけだ。」
「何ですか、それ!」
だが、言わなかった。きっとアカネは、俺の伝えたいことはもう分かっている。だから俺は、その代わりにふと口元を緩めた。
「もう!」
アカネが頬を膨らませた。でも、やはり顔は笑っている。


俺は幸せ者だな、なんて考えてみる。ここ最近、アカネと出会い、俺には可愛い妹分が出来たような気分でとても楽しい。向こうも、俺を兄貴のように慕ってくれる。会っ
て、一緒に話して、互いに笑い合う。こんな日々がずっと続けばいい、そう心から思った。
たかが騎士団の身で、そう言ってくる自分もいる。でも、そんなことは充分に承知の上だ。

だから俺は、何かに祈る。

俺には地位だの力だの、下らないものは何も望まない。

ただ俺が、俺が望むことは…


「                                 」

俺の願いは他に何もないんだ。

俺は自分でも分からない何かに祈るように、そっと目を閉じた。


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