「克哉!?どうした、そんなに濡れて…」
昼まで降っていた雪は、黄昏と共に雨に姿を変えていた。
その中を、一人走って訪ねて来た克哉に、御堂は驚きを隠せない。
こんなに追い詰められた青年の顔を見るのは、初めてだった。
「ごめんなさい…。どうしても、逢いたくなってしまって…」
「そんなに焦らなくても、私はいつでも此処にいる」
安心させようとしたのか、御堂のいつもよりも柔らかい声音と表情が、逆に克哉の胸を締めけた。
震える克哉の肩をそっと抱き寄せると、冷たい糸から庇う様に庵の中へ招く。
「・・・御堂さん、オレ、あなたにさよならを言いに来たんです」
「さよなら?」
「あなたに会うのは、これが最後。
今まで、何も知らないオレに親切にして下さって、本当にありがとうございました」
「急にどうした。
何かあったのか?顔色も良くないしそれに・・・」
「なんでもないんです!
あ・・・本当に、なんでも・・・」
そして克哉は、ぽつぽつと語り始める。
自分が、人の血を飲む鬼であることを。
そのことで、もうすぐ自分が自分でなくなることを。
自分が生かされている、本当の意味を。
―――かつて灼花村には、花族、葉族という二つの吸血鬼の一族が暮らしていた。
しかし同じ村に住んでいながら、何百年もの間、この二族は互いに顔を合わせたことはなかった。
それは、彼らの呼び名に由来する。
花族は、彼岸花の咲く頃に眠りから覚め、花が枯れると同時に眠りにつく。
その間だけ、人の血を吸うのが彼らの習わしだった。
もう一方の一族は、彼岸花が散った後に目覚める。
その葉が茂る冬の間、日の光の下にいるのが葉族である。
が、それはもう何十年も昔の話だった。
今、灼花村には花族しか暮らしていない。
葉族は克哉が生まれるより前に、ある掟を破った為に村を追放されたのだという。
一つ残った一族は、葉が茂らない分、花を咲かそうと考えた。
その為に必要としたのが「花主」である。
世代に一人、能力の高い者を選び、その血を以て花の命を留める。
永遠に栄華を極める為に。
「―――まるで生贄だな」
克哉が話し終えた後の御堂の反応は、話した本人の予想以上に悪いものだった。
「そんな状況に置かれてまで何でもないと言い張る君にも、正直呆れた」
「・・・ごめんなさい。騙すつもりはなかったんです」
「別に、騙されたとは思っていない。ただ、本当に苦しい事を胸に仕舞ったまま、離れられてしまうかと思うと、少し、いやかなり……悔しい」
「御堂さん・・・?」
「君は、どうしたいんだ?
君の正直な気持ちが聞きたい」
「オレは・・・」
言える訳がなかった。
貴方と共に生きたいだなんて。
だからせめてもの自分への慰めに、今日彼に会いに来た。
それが逆効果になると分かっていても。
止められなかった。
貴方への想いを。
でも、これで最後です。
「御堂さん、今までありがとうございました。
あの、オレ、もう行かなきゃならないので・・・」
「まだ君の答えを聞いていない!」
半ば逃げるようにして立ち上がる克哉の腕を、御堂はすかさず捕まえた。
強引に自分の身体ごと後ろに引き、脚がもつれ倒れかけた克哉を胸に抱きとめる。
今までにないくらいの近距離で互いの目が合った。
「もう一度聞く。君は、どうしたいんだ?」
「・・・ッ、オレ、は……望めるのなら、あなたと…共に・・・生きたい」
「十分だ」
先程までの険しい表情が嘘のように晴れ、優しく微笑んだかと思うと、御堂はゆっくりとその唇を克哉の唇へと重ね合わせた。
何が起こったのか咄嗟に分からなかった克哉は、しばし呆然と、されるがままになっていた。
初めて感じる御堂の熱が、克哉を混乱させる。
これは都合の良い夢だろうか。
そうでなければ、この熱を受け取り、さらに自分から与えても良いのだろうか。
不安が生み出す疑問が、克哉の中を支配しようとした時
「君の望みは、私の望みだ」
口付けを解かれた克哉の目には、御堂のそのたった一言への答えが、雫となって溢れていた。
「御堂さん、オレ、今一番幸せです」
「幸せはこれからだろう?」
「……あなたに会えて本当に良かった。だから、オレの事は忘れて下さい」
「克哉・・・?」
「正直、人の血なんて欲しくない。数滴貰うだけだから、人間を殺す必要はないと聞きましたが、それでも・・・。
花冠の儀を終えたら、きっとオレはオレじゃなくなる。何となく、そんな気がするんです。
そんな姿をあなたに見せるくらいなら、この幸せを抱いたまま、あなたと別れたい」
「・・・それが、君の本心か・・・?」
「はい」
真っ直ぐに答える青年の微笑みは、春に溶ける雪よりも、冬に枯れる花よりも、ずっと儚いものだった。
それが君の想いなら、私はただ受け取ることしか出来ないのか。
苦しいのはどちらも同じなのに。
ならばせめて涙を見せぬよう。
「さようなら」
「さぁ、これで名実共に、貴方様が我等の花主様となります。その人間の血を飲めば、我々の繁栄は更なるものに」
「は、話が違います!」
「話、とは?」
「人の血を貰うのは数滴であって、殺す必要はないと・・・!」
「そんなお伽話を信じていらしたので?
花主様、我々はもう貴方のお力なくしては血を吸うことさえ出来ないのです。たかが人間の一人や二人、我が一族の事を思えば、安い代償です。先代も、先々代の花主様も、皆同じ様にやってこられましたよ」
「けど・・・!」
克哉の目の前には、息はしているもののかなり衰弱した少年が、縄に縛られ横たわっていた。
その目に光は宿っておらず、ただ絶望の淵を彷徨っている様だ。
克哉には彼が自分と重なって見えて仕方なかった。
「もうたくさんだ・・・」
克哉の呟きに、周りの注意が一瞬少年から逸れた。
そこを衝いて少年に近付き、縄を解くと、必死に逃げろと叫ぶ。
といっても、弱りきった少年はなかなか動けず、周りはもう敵ばかりとなってしまった克哉に、成す術はなかった。
常に従順だった飾りの主の思わぬ反抗に、周りの男たちにも戸惑いはあったものの、すぐにその手は克哉を縛り上げてしまう。
「さぁ、どうしますか、花主様。心を入れ替えて我等の為に血を飲んではくれませぬか?」
「そんなに血が欲しいなら、オレのをあげますよ。いくらでも。
オレの名前を初めて呼んでくれる人に出会えて・・・もう、何も思い残すことはないから・・・」
最後の一言は、誰にも聞こえない位の声で囁いた。
その時だった。
「悪いが、やはり私には思い残すことがある」
「誰だ!!?」
嘘だ・・・。まさか、そんな・・・。
暗い部屋に一気に光が差し込んだかと思うと、そこにはもう一生会うことはないと覚悟を決めた相手が立っていた。
「御堂、さん・・・?」
「克哉・・・すまない。君の覚悟を踏みにじることになった」
今助けるから、と歩みを進める御堂に、男達が攻め向かう。
その手には凶器を持つ者もいたが、そんな事をものともせず、御堂は自分よりも体格の良い男を次々に投げ飛ばしていく。
克哉を縛っている男に恐ろしい速さで向かうと、克哉に一切傷を付けることなく一発で片を付けてしまった。
あっという間に、一連の指揮を執っていたであろう初老の男と対峙する。
「御堂さん!」
克哉の無事を確認すると、再びその男に向き直る。
すると男は思い出したように、御堂を蔑んだ目付きで見ながら呟いた。
「御堂・・・。そうか、お前さん、葉だな・・・」
「・・・・・・」
「ふん。偉そうに英雄気取りで助けに来たのか?自分達一族が何をしたか、忘れた訳ではあるまい。何百年経とうと、お前達の罪は決して消えんぞ!」
「み、どうさん・・・?葉って・・・御堂さんはまさか・・・」
やっと頭の中で話が繋がった克哉は、しかし自分の考えが信じられなかった。
御堂が、自分と同じ吸血鬼。
しかも、昔大罪を犯し、村から追放された一族の末裔。
「すまない。騙していたのは私の方だ。軽蔑されても仕方がない」
軽蔑?そんな事は思わない。
御堂の一族が罪を犯したとしても、それは彼にはどうしようもない事。
それよりも、彼がそれを未だに背負って生きているのなら、自分には何が出来るのだろうか。
それを考えるのが、今の克哉にとっては最も重要な事だと感じられた。
「確かに、私達の一族は禁忌を犯した。だがそれは、決して誰かの欲の為などではない。彼らは、あなた達とは違う」
「我等が私利私欲の為にこんな事をしていると…?」
「一族の繁栄をどんなに願っても、誰かを犠牲にしなければ成り立たない幸せなど、幸せとは呼べない」
「そんなものは綺麗事だ!花の命は短い。どんなに美しく咲き誇っても、いつかは枯れる。また暗く光の届かない場所で眠らなければならないことが、どれ程の恐怖か、貴様に分かるか!?」
「それは葉も同じだ。あれ以来、血を吸わずに生きる覚悟を決めた葉は、どんどん数を減らしていった。・・・今はもう、私しか残っていない」
「ははは!それは傑作だな。自業自得なのだ。そんな奴等は勝手に滅べば良い」
その言葉に、克哉は怒りを抑えられなかった。
今まで生きてきて、こんなにも心が焼けるような感情を覚えたことはない。
それ程までに目の前の男の言葉は、克哉に我を失わせた。
気付いた時には、男の胸倉を掴んで、その勢いのまま壁に押し付けていた。
「もう一度言ったら、本当にオレはあなたに何をするか分からない。その前にオレ達の前から消えて下さい。オレはもう、花主になるつもりはない」
「・・・結局はお前も同じだな。自分の事が可愛くて、最後は自分の為にしか動けない。お前の所為で、花も終わるかもしれんぞ」
「そうですね。あなたもオレも、最初から罪を背負っていたんでしょう。それに気付けず、のうのうと生きてきた。眠ることを忘れて光を見すぎた結末は、本当の光は手に入らなかったということ…」
「後悔するぞ」
「そうかもしれません。けど、最初で最後に、自分に正直に生きてみたくなりました」
「ふん・・・」
これ以上話すことはないとでも言うように、男は克哉を一瞥し、御堂にも同じ視線を投げつけて静かにその場を去っていった。
「ふぅ。恐かった・・・」
「克哉、ありがとう」
「どうして御堂さんがお礼を言うんですか?言わなければいけないのはオレの方です。
・・・嬉しかった。本当に。
自分からさよならしたのに、虫の良すぎる話だって分かってます。だけど、オレやっぱりあなたのことが・・・ん・・・っ」
克哉の告白が御堂に届くより先に、御堂の想いが克哉へと渡された。
「私と一緒に、生きて欲しい」
「良いんですか?本当にオレで」
「まだそんな事を言うのか?」
「あ…いえ、えと、…愛しています」
「私もだ」
深く深く交わされた口付けは、互いが互いだけのものであるという証。
花は葉を想い、葉は花を想う
貴方がこの手を離さずにいてくれたから
夢が夢でなくなった
オレは貴方に
私は君に
永久に共に生きることを誓う
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