Happy Birthday
〜なによりも大切な君に捧ぐ〜
クリスマスを終えた街の色は慌ただしさに包まれ、今年も残すところあと僅かとなった。
克哉と御堂もまた、ここ何日か仕事に追われる日々を送っている。
克哉が御堂から新たな悩みを授けられて、幾月かが経っていた。
『御堂克哉になってみる気はないか?』
何ヶ月も前の事を未だに思い出しては、顔が熱くなる。
克哉は一人、デスク上のパソコンに向かいながら百面相をしていた。
(孝典さんは、軽い冗談のつもりで言ったのかもしれないけれど…)
「……はぁ。きっとオレだけだよな、こんなに気持ちがグルグルしてるのって」
思わず独り言まで呟く始末。
そうなれたらどんなに幸せだろうと思ったことも一度や二度ではない。
だが克哉は、あの場面で、御堂の問いに即答は出来なかった。
それもこれも、嫌でも分かっている自分の性格のせいだ、と克哉は自身を恨めしく思う。
あの人の傍にいるのは、本当に自分で良いのだろうか。
御堂に問えば、愚問だ、と一蹴されるであろう悩みを、克哉は未だに自分の中に抱えていた。
彼と一緒にいたい。
この想いは変わることなく抱き続けているが、それと同時に「不安」という錘が圧し掛かってくる感覚に、一抹の恐怖さえ覚えるのだった。
12月30日。
この日、御堂は克哉に、翌日の予定は空けておくようにと伝えた。
前々からそのように言ってはきたのだが、この忙しさのせいで自分の誕生日さえ忘れかねない恋人に、今一度念を押したのだ。
案の定、克哉は自分の生まれた日の事などすっかり忘れていた様子で、
「孝典さんと過ごせるように、他の予定は極力入れないようにしていたんですが、そっか、そういえばオレ、誕生日だったんですね」
などと、笑いながら言う始末。
呆れたと言いつつも、御堂もまたその笑顔につられて笑みをこぼす。
「レストランを予約した。夕食はそこで取ろう」
御堂の誘いに、克哉は頬を染めながら嬉しいと答えた。
12月31日。
品の良い内装、慇懃な接客を行うギャルソン、目を見張る料理。
どれを取っても『完璧』な店内で、御堂にエスコートされた克哉は、照れながらも幸せそうな表情を浮かべていた。
「誕生日おめでとう、克哉」
「ありがとうございます。オレ、こんなに嬉しい誕生日は初めてです」
率直な感想を述べた克哉に、御堂は柔らかく微笑む。
「恋人の誕生日に、このくらい当然だ……と言いたい所だが、誰かの記念日をここまで祝いたいと思ったのは初めてだ」
他でもない自分の為に、こんなにしてくれる恋人がいる。
御堂の言葉とその優しい瞳を受けて、克哉は心が少し軽くなるのを感じた。
食事を終えると、克哉は御堂に誘われるまま、彼の車に乗り込んだ。
夜景を観に行こうと言う恋人の表情は変わらず穏やかなのに、そこにいつもと違う雰囲気を感じたのは気のせいだろうか。
外の景色を眺めながら、とりとめもない会話をしていると、ふいに御堂が克哉の言葉を遮った。
「克哉。
君は何か悩みがあるのか?」
「………。え?孝典さんどうしたんですか?急に」
一瞬の間の後、脳裏に浮かんだ疑問。
気付かれていた?
克哉は、心臓の鼓動が急激に早くなるのを感じた。
悟られてはいけない。
これ以上、この人に迷惑を掛けてはいけない。
そんな考えが克哉の思考を支配する。
「悩みなんて、ないですよ?強いて言うなら、幸せすぎて恐いってことかな」
「茶化すな」
「!!」
「君が何か悩みを持っていることなんて、見ていてすぐに分かる。
また私には何も言わないつもりか?」
「そ、そういうつもりじゃ…!」
「やはり、何か抱えているな」
「…ッ!」
言葉でこの人には敵わない。
分かっていてもつい自分の不安を隠そうとする克哉は、なんでもない、と再度答えた。
「……克哉。
こんな日にまで一人で抱え込むことはないだろう?それとも、私はそんなに頼りないか?」
「そんなこと…!!」
声が一際高くなった。
その言葉だけは完全に否定したかったから。
最も大切な人に悲しい思いをさせているのが、自分自身だと改めて気付かされ、克哉の顔は段々と俯いていく。
「克哉、無理にとは言わない。だが、君は独りじゃないということだけは忘れないでくれ」
ハンドルを握る手をきつく締め、真っ直ぐ前を向いたまま、御堂は克哉に誓うように言葉を紡いだ。
「……っう…。たか、のり…さん……」
すとん、と胸に落ちてきた恋人の言葉に、克哉は堪えることが出来なかった。
いつも自分を最優先に考えてくれ、今も、宝物のように大切に傷つけないよう接してくれる。
愛しい人がくれた言葉は、心を暖め、自分の中に溜まっていたものを全て洗い流してくれるようだった。
「オレ…本当は今でも不安なんです」
克哉が話すまで、御堂は何も言わず待っていてくれる。
そのことに感謝しつつ、克哉は続けた。
「あなたの隣は、本当にオレで良いのかなって…」
何を犠牲にしても、貴方と歩む道さえあれば、貴方と歩めさえすれば、それで良いと思った。
けれどその反面、自分のこの気持ちが、いつか貴方の枷になるのではないか…。
克哉はそんな胸の内を静かに吐露した。
「君は、まだそんな事で悩んでいたのか…」
克哉の言葉を最後まで聴いた後、御堂は前を向いたまま軽く息を吐いた。
「もうすぐ着くから、続きはそこで話そう」
それだけ言うと、御堂はアクセルを少しだけ強く踏んだ。
克哉の頬にはまだ、思いと共に流した涙の跡が残っていた。
「ここだ」
着いた所は、小高い地に広がる、隅々まで手入れされた庭園のような場所だった。
クリスマスも終わったというのに、各所はライトアップされ、まるで二人だけの空間が出来てしまったようだ。
そこからは海も一望でき、ロケーションは最高といえる。
「綺麗な所ですね」
幾分か落ち着きを取り戻した克哉は、肩が触れるか触れないかの距離で御堂と並んで歩いていた。
「克哉、こっちだ」
御堂は恋人の手をとり、急に足早に歩んで行く。
それにつられて、克哉も小走り気味に進んだ先には、大きくはないが、白を基調とした装飾が美しい建物があった。
御堂は迷うことなくその扉を開け、克哉を中へと促す。
色とりどりのステンドグラスが印象的な建物の内部は、紛う方なく教会のそれだった。
「孝典さん、ここ……」
展開の急さについていけなくなった克哉は、辺りをキョロキョロと見回しながら御堂に問うた。
自分の記憶が正しければ、ここは教会の中。
左右に規則的に並べられた長椅子や、正面に大きく構えた色鮮やかなステンドグラスがそれを証明している。
なぜ自分がここに連れてこられたのか未だに理解できない克哉は、なおも質問を続けようとした。
しかし、それもまた御堂に遮られてしまう。
克哉が口を開くより早く、御堂は前へ進むよう優しくその手をとった。
バージンロードを二人でゆっくりと歩いていく様子は、まるで結婚式の主役になったようだ、と考えて、克哉はすぐに改める。
(何バカな事考えてるんだよ、オレは。そんな夢みたいなこと……)
と、自分の中で否定に否定を重ねている間に、祭壇の前まで来てしまった。
入口からここまで、互いに一言も喋らなかったが、繋いだ手から伝わるそのぬくもりは、いつも以上に克哉の心を揺さぶった。
一度手を離し一呼吸おいた御堂は、克哉を正面から見据え、安心しろ、と一言だけ囁いた。
そして、そのまま宝物を扱うように大切に克哉の左手をとると、そのままゆっくりと片膝をつく。
驚いた克哉は思わず手を引っ込めそうになったが、それは御堂が許さなかった。
優しく、だが強く握った手とは逆の手を、胸ポケットに入れ、取り出したのは淡い空色のリボンを施した小さな箱。
まだうろたえている克哉に、御堂は今までにないくらい真剣な表情で、青い眼を見上げた。
祈りを込めるかの様に、愛しい恋人に一言一言を紡いでいく。
「克哉、君が私と居ることに不安を抱くなら、それがなくなるまで、こうやって手を握っていよう。
悩みがあるなら軽くしたい。
痛みを感じるなら私に分けてくれ。
私は何があっても、君を離す気はない。
だから……
君の人生全てを、私にくれないか」
言い終えると御堂は、小箱から白金に光る誓いの証を自分の手に納めた。
そしてそれを、握ったままの恋人の左手に近づける。
願いを掛ける様にして、今最も尊い存在である薬指にはめ込んだ。
誓いの灯った場所に軽く口づけを落とすと、御堂は徐に立ち上がる。
ようやく同じ目線になった瞳に映ったのは、顔を真っ赤に染め、必死に笑顔を作ろうとしながらも、その頬をとめどなく流れる涙が一番印象的な恋人の姿だった。
「……た、たか…の、りさん…」
ようやく喋れるようになった克哉は、何よりもまずその名を呼んだ。
「たか、のりさん……たかのりさん…孝典さん…!!」
これまでの御堂の言動に、驚きを上回る喜びが心を満たし、克哉はその胸に抱きついた。
どんなに悩んでも、不安に襲われても、この人となら乗り越えられる。
彼はそれを望んでくれた。
オレと一緒に歩んでくれることを。
左手に輝く永遠の絆をそっと右手で包み込むと、自分の中のわだかまりが嘘のように
消えていった。
「克哉、返事を聞かせてくれないか?」
「こんなに、嬉しいことはありません。
あの……じゃあ、オレにも、孝典さんの全てをください」
「勿論だ」
やっと克哉の心からの笑みを見ることが出来た御堂は、自身も安堵の表情を浮かべ、恋人の頬についた涙の跡を指で拭ってやる。
目が合って微笑みあう二人は、どちらからともなく口づけを交わした。
「なんだか、今まで悩んでたのが嘘みたいです」
「現金だな」
冗談めかした克哉の言葉に、御堂も苦笑しながら答える。
「神より何より先に、君を一生愛すると、君に誓う」
「オレも、貴方を一生愛し続けることを誓います。」
「「健やかなる時も、病める時も」」
言ってまた二人で笑った。
幸福という言葉をかみ締めながら、永遠にと願うのは、この手を離さないこと。
互いの絆を確かめるように深い口づけを何度も繰り返し、終わることのない愛を囁き続けた。
⇒あとがき
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