31000打目を踏んでくださった、七倉亮様への贈り物です。
少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。
カレイドパレード
一人で帰宅する時は、決まって同じ道を通る。
この道がマンションまでの最短コースである事が一番の理由だが、競い合って背伸びするビルや、流れ続ける車の群れから、ほんの少しだけ離れてみたくなったのだ。
隣にあの人がいれば、こんなセンチメンタルな気分にもならないのに。
しかし克哉の感傷などお構いなしに会議は突然乱入して、彼の内心の舌打ちが、だが克哉にははっきりと聞き取れて苦笑したのもつい先程の出来事だった。
克哉が一人で帰宅する際、御堂はいつもすまなそうな顔になる。
もういい大人なのだし、心配や気遣いは無用だと殊更明るく笑ってみるが、きっと彼には丸分かりなのだろう。
その笑みの下に、本当はどんな貌が隠れているか、その心の中は今、どんな空模様なのか。
「お疲れ様です。根は詰めすぎないようにしてくださいね」
「ああ。君も、遅くまで私を待たなくても構わないからな。気にせず、先に休むんだぞ」
「はい」
互いの立場を考えればこの遣り取りも珍しくはないが、それでも慣れるものではない。
残念なものは残念だし、寂しいものは寂しいのだ。
「・・・よしっ。今日は、めいっぱい美味しいもの作ろう」
だから、自然と発した小さな声と拳は、そんな事ではへこたれないぞという克哉の決意の表れであった。
「あれ? 克哉さん?」
バランスのとれた献立を考えることに夢中だった克哉は、その声にハッと顔を上げた。
「太一。今日は学校だったの?」
「そ。オレってばマジメな学生さんだからね。克哉さんは、夕飯の買い物?」
克哉と睨み合っていた大根を持ち上げて、太一は人懐こい笑顔を見せた。
「うん、そう。今日は特に美味しく作りたいから」
そんな答えが、はにかみながら返ってきてしまっては、太一も思わず面食らう。
克哉の照れた顔を見てやろうと思ったのに、なぜか赤面しそうになったのは自分の方だった。
尤も、不意打ちを食らって黙っている太一ではない。
「克哉さん、この週末って空いてる?」
「今週は、特に出かける予定もないけど・・・。どうしたの?」
「ホント? じゃあさ、ダブルデートしようよ」
明るく強烈な一言が、克哉の目を丸くさせた。
「で、でーと!? しかも、ダブルって・・・。誰と誰が・・・?」
「もちろん、オレと克哉さん」
「太一」
「・・・と、秋紀と・・・あとは、あの人? 呼ぶの?」
「じゃないと、ダブルデートとは言えないだろ」
茶目っ気たっぷりの太一に、克哉はクスリと笑って返した。
「せっかく秋紀くんを誘うなら、二人っきりで行けばいいのに」
「う・・・そ、それが・・・」
「出来てたら、オレたちなんて誘わないか」
大人の余裕を湛えた克哉の笑顔。
それが急に恨めしくなった太一は、ぷいと顔をそらしてしまった。
どうやら、軽い意趣返しは失敗に終わったようだ。
「克哉さん。今日はなんかちょっとイジワルだ」
その一言で、克哉は自分も年を取ったのかな、と内心で一人肩を揺らした。
いや、それとも・・・。
「あのオッサンのせいで、克哉さんが黒くなっちゃったぁ」
「・・・いいの? その「オッサン」二人の気分次第で、太一の」
「わ〜わ〜! ごめんなさい! 克哉さん、怒んないで」
「怒ってないよ。太一が可愛かったから、つい」
出逢って三年ほどになるが、随分と明るい貌を見せるようになった。
克哉の綻ぶ顔は、いつも太一の心を温めてくれるのだ。
「それがあいつの影響かと思うと、悔しいけどさ」
「え? 何か言った?」
「ううん! なんでもな〜い。ねね、克哉さん。それでさ、行く所なんだけど」
太一のジーンズから顔を覗かせたのは、小さく折り畳まれたパンフレットだった。
カラフルな地図や、動物を模したキャラクター達が目に飛び込んでくるなり、克哉は短く声を発した。
「え、これ・・・って、遊園地?」
「そう!今なら、学生の入園料が半額なんだ。もうすぐ誕生日で、ちょうどハロウィンのパレードも・・・あ、いや、なんでもない」
もう聞こえたよ、とは敢えて言わずに、克哉は笑顔を作った。
太一の一途さは、心から応援したい。
しかし、そこには現実問題も直面していて・・・。
「でも・・・御堂さんは、遊園地には行かないと思うよ」
「・・・・・そこはほら、克哉さんの話術やサービスなんかでさ」
「サービスって、何の」
克哉は、計画性に欠ける案を溜め息で一蹴して、もう一度溜め息を吐いた。
「しょうがないな。じゃあこっちはこっちで誘うから、太一も、ちゃんと秋紀くんを誘うんだぞ。くれぐれも喧嘩はしないように」
日頃から二人の様子を聞かされている身としては、今回も例に漏れず、太一が素直にならない事態は大いに予測できる。
それを見越しての克哉の発言だったのだが、当の本人は意に介した様子もなく鷹揚に笑って見せた。
「任せてよ。克哉さんこそ、あのオッサ・・・じゃなかった。ミドウさんをちゃんと連れて、ダブルデートしようね」
御堂が帰宅したのは、深夜を回ってからだった。
太一とのやり取りが、すでに昨日の事になってしまった、などと考えながら、克哉は鍋に火を掛ける。
御堂がシャワーを浴びている間に吸い物を温め直しながら、大根と鶏肉の煮物を小皿に盛りつけた。
「時間が時間だし、ご飯は少なめの方がいいよな。お酒も、今日はナシ」
忙しく、だが丁寧に盛り付けられた食卓が、湯上りの御堂を迎えた。
翌日の事も考え、あまり重くならない献立にしたつもりだと笑う克哉は、御堂の葛藤をどこまで理解しているのだろうか。
確かに、遅くまで待たずに先に休んでいろと言ったのは自分だ。
それは全くの本心だが、心の隅では、きっと今日もまた、この可愛い恋人はこうして温かい手料理を用意して待ってくれているのだろうと期待していた部分が、確かにあった。
言葉にならない嬉しさの反面、申し訳ない気持ちが生まれるのは当然の事だ。
こんな風に考えるのは、勿論これが初めてではない。
時には、克哉に直接話してみたこともあったが、その度にいつもの笑顔で難なく躱されるのだ。
彼の代わりに家事をさせろと言うのではないが、自分にも同じだけの負担、もしくは何か礼を尽くしたい。
御堂が今日も負けじとその話題を振ってみると、克哉から思わぬ提案が持ち掛けられた。
それは、およそ御堂が想像もしていなかった事だった。
「なら・・・、遊園地に行きませんか?」
「克哉さーん! おっはよー!」
普段より三割増しでご機嫌の太一の横には、こちらも可愛らしい装いの秋紀が克哉達を待っていた。
そこで克哉は一つ胸を撫で下ろした。
よかった。ちゃんと誘えたんだ。
克哉が何を言いたいかを瞬時に読み取ったのか、太一は目配せで応えた。
しかし、克哉の隣に立つ人物はそうはいかないようだ。
「ミドウさんも、来てくれたんだー」
「断じて君の為ではないがな。あくまで克哉に誘われたから、だ」
普段より三割減の機嫌が、これ以上下がらない事を祈りつつ、克哉は苦笑するしかなかった。
「なんだか・・・すみません」
前を走る若者二人の背中が眩い。
秋晴れの中、清々しい風が肌を撫でていく感触は、人混みで疲れ気味の身には心地良かった。
御堂に話を持ち掛けた時に、ちゃんと太一と秋紀の名前は出していた。
その時の彼の反応から、今日の態度など予想の範囲内ではあったが、結果的に御堂の機嫌を損ねる形になったのは克哉としても不本意だ。
せっかく来たのだから、やはり御堂にも楽しんでもらいたい。
そんな自分の気持ちばかりが空回りしているような気がして、克哉はまたシュンと俯いてしまった。
ちらと隣に視線を送ると、思いの外御堂とばっちりと目が合ってしまった克哉は、あたふたと落ち着きをなくす。
それを見た御堂も、バツの悪そうな貌で人工の海面を眺めた。
「君が謝ることはない。・・・すまない。私も、いつまでも大人気ないな。彼の無遠慮さは今さら咎める気にもならないが、それを除けば・・・まぁ、私も・・・正直に言えば、楽しみにしていた・・・から」
赤い横顔を可愛いと伝えるより先に、ひっそりと手を握られてしまっては、克哉に勝ち目などある筈もない。
これはチャンスではなかろうか。
今さら太一達と行動を共にする必要もないだろう。
というより、すでに彼らは彼らで、克哉達の事などお構いなしに走り回っている。
よし。
克哉の中で、一区切りの気持ちの整理がついた。
吹っ切れたような表情は、秋風の中で煌めいている。
「じゃあ、オレたちも楽しみましょう」
包まれた手を握り返して、克哉は御堂の半歩先を歩き始めた。
南国の海をイメージしたというアトラクションは、なるほど大人向けとの評判通りに、順番待ちの列もカップルばかりだ。
途端に恥ずかしくなって、やっぱり別のにしましょうと赤くなる克哉をよそに、御堂はしれっと列に加わった。
「どうした?」
「だ、だって・・・。ここ、いかにもって感じで・・・」
「いかにもカップルが乗るアトラクションなら、いかにもカップルである私達が乗らなくてどうする」
言葉遊びのように正論を捲し立てられると、それ以上は何も言えない。
自分からその手を取って歩み始めたのは、ついさっきの事なのに、もう心がぐらついている。
恥ずかしさという錘が心の中で転がり回っているからに他ならないが、こんな言い訳も今更すぎて笑われるだろう。
「さっきまでの勢いはどうしたんだ?」
案の定、御堂からも揶揄されて、克哉の顔は真っ赤になった。
今はもう手を繋いではいないし、肩を抱いているわけでもない。
こんな可愛い顔を前にキスも自重しているというのに、これ以上抑えるべき個所は見当たらない。
さらりと言って退けた御堂は、さらに火照る横顔を堪能した。
「さて、次は何をしようか」
「そう、ですね・・・。・・・あの、御堂さん」
「どうした?」
「手を・・・」
「手? ああ、繋ぐだけでは物足りなかったか? 指も絡めた方が良かったか」
絶句する克哉へ子供のように笑う御堂は、やっとこの場所に相応しい表情になった。
これだけ人の多い所で何を、と諌めるのも忘れ、見惚れてしまうのは許してほしい。
そう心の中で呟いて、せめて先手を取るように先に指を絡めたのは克哉だった。
この時期は、陽が沈むのも早い。
西日の光が、ゴシック調の建物や高台にそびえる古城を照らしながらゆっくりと顔を隠していく。
この茜色のベールが完全に剥がされれば、次は濃紺の空の下で祭りが開かれるのだそうだ。
「太一から聞いたんですけど、今の時期はハロウィン仕様のパレードらしいですよ」
「こういった場所では、外せないイベントだろうからな」
「レストランとか、ワゴンショップのメニューも、期間限定品は必須ですよね」
「やはり「限定」と付くと、購買意欲を刺激するか。特に、女性に多い傾向らしいな」
「そうですね。やはり・・・あ」
いつの間にか仕事のモードに切り替わった貌を見合わせ、互いに吹き出した。
「佐伯君。この話はこれで終わりにしよう。パレードというものを、君と見たいからな、克哉」
「御堂さん・・・。オレも、実はこれを一番楽しみにしていました。孝典さんと二人で見たかったんです」
会場の雰囲気がそうさせるのか、克哉も御堂も自然と身体が密着していく。
離れていた手と手も触れ合い、指先にまで互いの神経が交わるように、ゆっくりと絡め合った。
遠くに、イルミネーションに彩られたカボチャの馬車を先頭に、鮮やかな一団が光の帯を作っているのが見える。
克哉達の前まで来るまでには、まだ少し時間が掛かりそうだ。
パレードを引き立たせるため、周囲の灯りは極力抑えられていて、場所によっては隣の人の顔もよく見えないほどである。
克哉達が立っている場所も灯りが乏しく、手を繋いでいなければ、相手の行動も伝わってこない。
しかし、手を繋いでいるからといって彼の行動全てが読める訳では勿論ない。
ふいに触れた唇への熱が、それを証明した瞬間、克哉は小さな悲鳴を上げた。
「った、孝典さん・・・! いくら何でも、こ、こここんな所で・・・!」
暗がりでよく見えない恋人の顔は、しかし視力に頼らずとも簡単に分かる。
自分を包むような、挑むような、優しくて意地悪な、大好きな顔。
「あれが来るまでなら、もう一回くらいは出来るな」
パレードの通過は、まだ先だ。
御堂の楽しげな声音に背筋が疼くが、すぐ隣で首を長くしている子供が視界に入って、何だか申し訳ない気も起きてしまう。
それでも、ダメな大人には煌びやかなカボチャの馬車より、恋人の甘い一声の方が遥かに魅力的に映っているのだから仕方ない。
「パレード、楽しみにしてたんじゃなかったんですか?」
「パレードを楽しむ克哉を見て楽しむ、が正確だな」
「・・・もう」
そう言って口を尖らせたのは、小言を言う建前のもと、御堂の唇を受けたかったからに他ならない。
「・・・・・・あ。太一達、どこにいるんだろう」
「子供じゃないんだ。あっちはあっちで、仲良くやっているさ」
「そうですよね」
「さて。では私達も、今夜も仲良くしようか」
「え? あ、はい。早く帰って」
「ここに併設されているホテルを取った。今夜はここに泊まろう」
「ええ!? 何ヶ月も予約待ちとか、孝典さんにはそういったセオリーは・・・」
「せっかくの君との休暇を、中途半端に終わらせる訳がないだろう。今夜はここに泊まって、明日はまだ回っていない所へ行こう。・・・どうした、克哉?」
「いえ。孝典さんが楽しそうで、オレもすごく嬉しいなって思っただけです」
結局は、どんな時、どんな場所においても、楽しんだ者勝ちなのだ。
fin...
あとがき
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