◆Kiss of sweet candy◆
人里離れた森の奥。
そこには古くから魔法使いが棲むと云われ、人々は決して寄り付こうとしなかった。
昼は人に化けて怪しい薬を売り歩き、月の無い夜には狼に変身して人を襲う。
そんな恐ろしい者が棲むとされる森に自ら近寄る者など、誰一人としていなかった。
人々は、それが魔法使いの真の姿だと、信じて疑わなかったから。
けれど実際は――。
「あ!孝典さん!また薬の調合しましたね!?あれほど無茶しないでくださいって言ったのに・・・」
唇を尖らせる青年は、「孝典」と呼ばれた男を見上げて、まだ小言を続けていた。
「それは、オレも手伝うって約束だったのに・・・」
最初の気迫はどこへやら、青年はしゅんと俯いてしまう。
その姿を階上から見ていた男は、長いマントを翻し、瞬く間に青年の前に降り立った。
「そんな顔をしないでくれ、克哉。これは私の仕事だ。君を危険な目に遭わせる訳にはいかない」
美しい顔をした男は、宝石の様な眼を細めて諭すように話しかける。
しかし皮肉な事に、それは普段とてつもなく穏やかな青年の逆鱗に触れる結果となってしまった。
「・・・・・。オレは、御堂孝典の弟子です。大魔法使いである、あなたの弟子であることを誇りに思っています。庇護されるんじゃなくて、あなたの役に立ちたいと思うのは、オレの独りよがりだったんでしょうか」
「克哉?何を急に・・・」
怒りの理由が分からない御堂は、不可解な問題が解けない子供の様に困惑している。
しかし、そんな彼の言葉を最後まで待たず、克哉は階段を上がって自室へと飛び込んでしまった。
ご丁寧にも、普段は掛けることのない鍵まで掛けて、師匠の侵入を頑なに拒む。
「おい、克哉。何がそんなに気に入らない?私は、君が傷付くのが嫌なだけだ」
厚い扉に隔てられていても、克哉が今どんな格好でいるのかは容易に想像できる。
ベッドの上で丸くなり、シーツを頭から被ってしょげているのだろう。
今までにもこんな事が無いではなかったが、その時は決まって、どちらかに相手を怒らせる心当たりがあるものだ。
しかし、今日は断じて自分の非を認めることは出来ない。
だって、可愛い恋人を危険に晒してまで実験を手伝えなどと、誰が言える?
「克哉。悪いが、今日は私からは折れないぞ。君がどんなに私の力になってくれようとしても、その事で君が傷付くならば、悔やんでも悔やみきれない。・・・君を、愛しているから」
扉に背を預け、座り込んで想いを告げる御堂。
ああ、そうだ。今日は・・・。
ふと頭をよぎった言葉は、背を押される感覚によって消された。
「・・・・・」
案の定、白いシーツを肩から掛けたまま、腫れた目で見降ろされる。
目線を同じ所まで持っていった御堂は、ごめんなさいと小さく動く唇を優しく食んだ。
「君は、私に甘すぎる」
「それは孝典さんの方です。ごめんなさい。オレ、我が儘ばっかり・・・。孝典さんの事になると、自制できなくなるんです」
「それは・・・」
クッと喉の奥で笑って、御堂は克哉の額に口づけた。
「最高の殺し文句だな。・・・私の負けだ、克哉。これからは、薬の調合でも何でも、まず君を呼ぶことにする」
パッと上がった視線が、御堂を真っ直ぐに捉える。
「孝典さん・・・!」
嬉しさを全身で表すように、克哉は御堂に抱きついた。
「・・・と、いう訳で。では手始めに、この実験結果を一緒に解析しようじゃないか」
手近にあった小瓶を取り上げ、口端を上げて笑うその顔を、克哉はよく知っている。
それは決まって、御堂が師匠ではなく恋人として自分に意地悪する時の貌だった。
「あの・・・、孝典さん・・・?」
「どうした?君が言ったんだぞ。私の隣にいてくれると。薬の調合の時も、文献を解読する時も、トカゲを使って実験する時も・・・」
「それはそうなんですけど・・・。そういえばトカゲって・・・何でしょうか、何か大事な事があったような・・・」
「ああ、奇遇だな。私も、トカゲには何か引っかかる事があるんだが・・・。何かは思い出せない」
「気のせい・・・ですかね」
「そういう事にしておくか」
脱線しかけた話を元に戻すと、御堂は克哉の腰に腕を回し、その耳元で囁く。
手にある小瓶を目の高さまで持ち上げて、中で光る飴玉を見せた。
「これ・・・?」
疑問符を浮かべる克哉に笑いかけるだけで答えようとはせず、小瓶の蓋を開ける御堂。
そこから一つだけ取り出された虹色のキャンディを、克哉は抵抗する暇もなく口の中へと放り込まれた。
「むぐっ!?た、孝典さん!ほれ、なんの薬れすか!?」
「そんなに慌てるな。よくある媚薬だ」
「び・・・、ウソ!?」
「ウソ。君にそんなものを呑ませる訳ないだろう」
頬を膨らませて睨んでくるのもお構いなしに、御堂はニヤリと笑って小瓶の蓋を閉めた。
「新しく作った風邪薬だ。まったく・・・。私の事ばかり気にかけて自分をないがしろにしていては、逆にこっちが心配になる。あまり無理をするな」
柔らかい髪を撫でながら、克哉をさらに抱き寄せる。
色づく頬の理由は、ただの風邪からくる熱か、それとも。
俯く克哉は御堂の服の裾を引っ張って、何か言いたげな表情をつくる。
「どうした?」
いつになく優しい声音で問いかけられて、克哉の眦はさらに下がった。
「あの・・・。こんな時に言うのも、的外れかもしれないんですけど」
少々おぼつかない前置きの後、克哉は顔を真っ赤にして口を開く。
「きょ、今日は、オレと孝典さんが、その・・・」
「恋人同士になって、ちょうど三年だな」
「!!覚えて・・・」
「るに、決まってるだろう」
克哉の言葉尻を取った御堂は淡い微笑で口づけ、軽く上げた右手でフィンガースナップを一回。
すると、静まり返った家の中に突然、花火が上がった。
「わ、あ・・・!」
燃える花は繚乱と克哉の瞳に焼付く。
焔の花弁が手に触れても熱くないのは、さすがは魔法といったところだ。
散っては咲く花に目を瞬かせる克哉は、そっと恋人にすり寄って囁く。
「ありがとうございます。孝典さん」
「今日はこれくらいにしておこう。君の体調が戻ってから、改めて祝おうじゃないか」
「はい」
花火も遠慮するような笑顔で、克哉は御堂に口づけた。
「・・・少し、甘すぎたな」
「そうですか?オレには、ちょうどいい位ですよ。おいしいです」
克哉の口内に残る味に苦笑して、今度は御堂から唇に触れる。
「三年間、ありがとう。克哉、これからも」
「ずっと一緒にいてくださいね、孝典さん」
言葉尻を取るのは貴方だけじゃないと、克哉は微笑みながら愛を謳う。
御堂は、一本取られたとばかりに笑って、もう一度愛しい唇にキスをした。
⇒あとがき
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