Black berry
昼休み。
社内の人気の無い場所に呼び出された克哉は、同じ部署の女性社員と対峙していた。
「佐伯くん。あの・・・。これ、御堂部長に・・・、渡してほしいの」
そう言って手渡されたのは、誰でも一度は聞いた事のあるブランドの包装紙で包まれた小箱だった。
確認せずとも、その中身は容易に想像できる。
なぜなら今日は、一年に一度の、愛を謳う日なのだから。
直属の上司の執務室。
その厚い扉の前まで訪れた克哉は、ゆっくりとした2回のノックの後、静かにその部屋へと招かれた。
「御堂部長。こちらが、来週の会議の資料です。最後に載せているデータは、明後日の実験が終わり次第、そちらの最新のデータに変更する予定です」
「ああ。それで構わない。実験には、時間が取れれば、私も立ち会おうと思う」
「分かりました。川出さんにも、そのように伝えておきます」
「宜しく頼む」
「あと、それから・・・」
業務事項を伝え終わった克哉には、まだ大きな仕事が残っていた。
書類に視線を落としていた御堂は、その口ごもる様子に不思議そうな表情を返す。
そんな彼の顔もろくに見ずに、克哉は緊張しているのか困惑しているのか、俄かには判断できない表情で少しだけ俯き、高級感漂う小箱を、同僚の女性の名と共に差し出した。
「これは・・・?」
そう言いつつも、御堂とて今日この日が何の日であるか、知らない訳ではなかった。
だが敢えてそう言葉にしたのは、彼、佐伯克哉の反応を見る為だ。
「え?・・・と、その・・・。今日は、バレンタイン・・・だから・・・」
「何の為に?」
「え!?何のって・・・。多分、御堂さんに・・・、好意を持ってる・・・から・・・だと思います」
そこまで聞いた御堂の眉間には、深い皺が刻まれていた。
「そこまで分かっていながら、君はそんな物を受け取って、それを私に寄越すのか。・・・・私は、君の何だ?」
「・・・・ッ!」
一段と低くなった御堂の声に、克哉は思わず肩を窄ませる。
その顔は、一体どこで彼の機嫌を損ねたのかを、考えている様にも見えた。
一度受け取った贈り物を、御堂はさも興味も無さそうに机に置いて立ち上がる。
「彼女に伝えておけ。こんな物すら自分で渡せもしない人間が、人の気を引こうなどと、笑わせるな、とな」
その辛辣な言葉に、克哉は抗議の視線をぶつけずにはいられなかった。
きっと彼女だって、本当は自分で渡したかった筈だ。
だが、周りの目や、一番には御堂の答えが恐くて、その勇気が出なかったのだろう。
その気持ちが、克哉には痛いほど分かった。
だから、彼女の橋渡しくらい、自分が出来るならばと思ったのだ。
克哉は、そういった胸の内を、拙い言葉ながらも御堂に伝えた。
しかし、返ってきたのは、克哉の知っている御堂の視線や声ではなかった。
「くだらない遊びに付き合うな。この話はこれで終わりだ。
昨日言った様に、今日はこれから会議がある。恐らく長くなるから、後の事は任せたぞ」
冷たい温度のまま向けられるそれには、いつもの穏やかな彼の面影は、微塵も感じられない。
言葉を失った克哉が辛うじて発したのは、機械的な返事だけだった。
自分の横を素通りして執務室を出ようとする御堂の背を、ただ呆然と見送った克哉は、その重い扉が閉まった後も、じっとその場に佇んでいた。
そして、思い出した様に、胸に手を当てる。
一瞬、苦しそうな表情を浮かべて逡巡するが、やがて意を決した様に胸の内ポケットから取り出したものを、そっと机の上に置いた。
知らぬ間に赤くなる頬を両手で叩いて、克哉は主のいなくなった部屋を後にした。
⇒後編