げんじさん、大変お待たせ致しました。
「御克」で付き合って一周年のお話です。
少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。




カレンダーに目を遣り、克哉は一つ溜め息を吐いた。
職場の自分のデスクに置かれた、何の変哲もない卓上カレンダー。
一ヶ月の業務予定がびっしりと書き込まれたそこに、一つだけプライベートに関する予定が記されていた。
とはいっても、日付を赤い丸で囲んでいるだけのその日は、他人から見れば何の日であるかは分からない。
それを知っているのは、克哉本人だけで十分だからだ。

――いや。

もう一人、知っていてほしい人物がいる。
だが、そんな事を口に出来る勇気も無く、ただその日が刻々と近付いてきていた。


One year memory


「あれ?孝典さん・・・?」

仕事からの帰り道、よく知る背中を目撃したのは、普段なら全く気にも留めずに通り過ぎるであろう花屋だった。
こじんまりとした店先で談笑する恋人と、その店の店員。
御堂がその様な場所にいる事自体に不思議な感じがしたが、ここで声を掛けても良いものか、克哉は迷ってしまった。
彼は自分の恋人なのだから、そう気後れすることもないのだろうが、なぜか足は止まったままだ。
二車線の道路を挟んだ向こう側の会話では、克哉には聞き取れる筈がなく、当然、御堂も克哉の存在には気付いていないだろう。
遠くの歩道橋を使ってまで会いに行くのも、なぜか憚られる気がして、克哉はそのまま反対方向へと歩いて行った。

それからは、何も変わらない数日が過ぎた。
とうとう言い出す勇気もないまま、「その日」は来てしまったのだ。

「ただいま」

「おかえりなさい、孝典さん」

いつもの様に交わす、軽い口づけ。
これも、習慣になってから、随分と時間が経過した。
朝起きて、夜眠るまで。
毎日触れ合っているのに、いつもドキドキする。
特に今日は、いつも以上に心臓の鼓動が速く聞こえる気がした。

この日の為に用意していた、御堂の好むワインと、時間を掛けて作った手料理。
それらが所狭しと並べられた食卓は、今日という日が特別なものであると、声高に主張していた。

ネクタイを解きながらキッチンを見る御堂の目は、素直な驚きを纏っている。
その表情は、まるで今日が何の日かを考えている様にも見えた。

それを見て取った克哉は、小さな声で一言。

「・・・今日は、記念日・・・だから」

「記念日・・・?」

克哉の言葉を反復する声が、その顔をさらに赤く染めた。
だんだんと俯いていく顔は、居た堪れなさを前面に押し出している。
付き合ってちょうど一年の記念など、この歳になってまで祝う事ではなかっただろうか。
やはり浮かれ過ぎたと、今になって恥ずかしくなった克哉は、それ以上御堂の顔を正視することが出来ない。
少しの時間、室内に沈黙が降り立ったが、それを破ったのは御堂の優しい声音だった。

「克哉。記念日とは、何の記念だ?」

「・・・ッ。あの・・・その・・・オレ達が・・・」

「私達が?」

御堂が克哉の眼を覗き込んだ時、静かな空間に、来客を知らせる電子音が鳴り響いた。

「あ!オレ、出ますね」

ぱっと御堂から視線を逸らし、赤くなった目を隠す様に、克哉は小走りで玄関へ向かった。

「こんばんは。佐伯さんは、ご在宅ですか?」

「あ、オレです」

それは良かったと、荷物の受け取りを求められた。
御堂の家で暮らし始めたといっても、まだ日は浅い。
その上、まだ住所の変更はしていないから、克哉がここに住んでいると知っている人物は、すぐには思い当たらなかった。
御堂宅で自分宛に荷物が送られてくる事に、克哉が内心で首を傾げているとは知らず、機械的に業務をこなす目の前の男性。

「こちらが、お届け物です」

控えと共に渡されたのは、重みのある箱一つと、色鮮やかな花束だった。
身に覚えのない贈り物に戸惑いを隠せなかった克哉は、差出人の名を見て、やっと事態を飲み込んだ。
その途端、一気に身体中の熱が上がるのを自覚する。

差出人の名は、御堂孝典、その人だった。

誰もいなくなった玄関で、克哉は一人、百面相をする。
まさか、こんなサプライズが用意されているとは思っていなかったので、どういう顔で戻れば良いかが分からない。
とにかく、まずお礼を言って、それから箱を開けて、花はどこに飾ろうか。
熱に浮かされる思いで、克哉は恋人の待つリビングへと戻った。

「あの・・・。孝典さん・・・これ・・・」

「時間通りだな」

事も無げに言う御堂だが、その顔は、普段見せている時のものよりも、幾分落ち着きが無い様に感じた。
だが、彼以上に落ち着きを失っている克哉は、両手に抱えた贈り物を落とさない事に必死だ。
どちらも互いに相手の言葉を待つのみで、自分から切り出せない空気が漂っている。

「・・・今日は、私達が付き合って、ちょうど一年だな」

「・・・覚えていてくれたんですね」

当たり前だ、と少し仏頂面になる恋人がとても愛しい。
自分だけが、張り切って祝おうとしていたと思っていた克哉は、御堂がこの日を忘れずにいてくれただけで、幸せな気持ちになった。

「でもさっきは、今日は何の日だ?って顔をしていたから・・・」

「少し苛めたくなったんだ」

「ひ、ひどいじゃないですか」

赤い顔をそのままに、克哉は御堂の目を覗き込んだ。
変わらず悪戯な微笑を湛える御堂は、その色付いた頬に手を添え、柔らかな口づけを落とす。

「一年は、あっという間だな」

解かれた唇から静かな一言が零れ、克哉はただその言葉に頷いた。

「もう、一年。まだ、一年。ですね」

食卓に着き、克哉はプレゼントを開けても良いかと、御堂に問うた。
微笑みながら頷く恋人を前に、上品な包装紙と、それを彩るリボンを丁寧に解いていく。
中から現れたのは、作りのしっかりとした真っ白な箱だった。
その蓋をそっと開けると、一目で高価だと分かるウイスキーが収まっている。

「これが好きだと言っていただろう?」

随分前に、何の事は無く話をしていたのを思い出したが、まさか、その時の一言を覚えていたとは夢にも思わなかった。

「ありがとうございます・・・」

涙で今にも視界が塞がれそうな克哉は、辛うじてその一言だけは伝えることが出来た。
しなやかな指で頬を伝う雫を拭き取りながら、御堂は気に入って貰えて良かったと微笑む。
その表情は、先程よりも安堵の色を含んでいる様に見えた。
そして、いつも何事に於いてもそつなくこなす人物が、本音を吐露する。

「こんな日の祝い方なんて、正直、どうすれば良いのか分からなかった。食事に誘う事も考えたが、君が準備をしている事は知っていたからな」

「き、気付いてたんですか!?」

まさかとは思ったが、御堂ならそれくらいの観察眼は持っている筈だと、克哉は内心で納得した。

「オレだって、同じです。こんなにも、誰かとの記念日を大切にしたいって思ったのは、初めてだから、何をしたら良いのか分からなくて・・・」

結局、当たり障りのない道を選んだ。
それを悔やんではいないが、御堂からのサプライズを考えれば、自分はまだまだなんだと思ってしまう。
だが、そんな克哉を見て、御堂は心底幸せそうに笑った。

「これほどまで祝福してくれた事が、何よりのプレゼントだ。ありがとう、克哉。
――君に逢えて良かった」

「孝典さん・・・。オレも、あなたに逢えて良かった。ウイスキーも花束も、本当にありがとうございます」

「さすがに、花束はやり過ぎかと思ったんだがな」

苦笑する御堂につられ、克哉もまた、頬を緩める。
先日の花屋で見かけた光景を克哉が話せば、呆れた声で返事をされた。

「馬鹿だな。私が君以外に、誰に花を贈るというんだ?」

「そう・・・ですよね」

無意識の告白に、克哉の体温がまた上昇する。
その姿を慈しむ様に見ながら、御堂はグラスを静かに持ち上げた。

「この善き日に、乾杯」

「乾杯」

清んだ音が響き、色取り取りの花に見守られながら、これからも二人は愛を謳う。




⇒番外編


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