チヨ様、大変お待たせ致しました。
リクエスト頂いた、若×忍です。
少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。
暁ニ見ユ天ノ星
柔らかな陽射しが、木々の間から零れている。
時折吹く風が青い木の葉を揺らし、その音はまるで子守唄の様だった。
「また、こんな所にいらしたんですね。
――星詠(ほしよみ)様」
端正な顔を覗き込むのは、それに劣らず美しい容姿の青年だった。
天色の眼が優しく細められ、そこに自分の主を映す。
星詠と呼ばれた男は、そんな純粋な瞳を見上げて微笑んだ。
「今日の稽古は終わったぞ。たまには、好きな本くらい読ませてほしいものだな」
「オレは、何も申していませんよ?ただ、大隈殿が走り回っていたのを、ご報告に伺っただけです」
二人して微笑み合うと、青年は促されるまま、主人の隣に腰掛けた。
「今日は温かいですね。星詠様は・・・」
謡う様な青年の言葉を、男の人差し指が止めた。
自分の唇に当てられた長く細い指を、不思議そうに眺める青い眼。
それを見て、星詠と呼ばれた男は、子供の様な表情を作る。
「克哉。私は、君にそう呼ばれるのは嫌だと、言った筈だぞ」
「あ・・・。でも、ここは外ですし・・・」
途端に理解した克哉は、戸惑いがちに目を動かす。
「克哉」
だが、再度名を呼ばれると、観念した顔を見せた。
「・・・はい。孝典さん」
「それでいい」
また子供みたいに笑うその顔が、克哉にとって最も愛すべきものだった。
静かに重なった唇が、微かな水音を立てて離れる。
出逢ってからもう二十年以上になるが、初めて逢った瞬間に誓ったのは、自分の全てを掛けて彼を護ること。
誰に強要されたわけでもない。
ただ純粋に、この人を護りたいと思った。
自分の、この忍としての生は、彼――
御堂孝典、その人の為にあるのだから。
「星詠様、また外に出られていましたね」
「外といっても、屋敷の庭だ。舞の稽古は終わっているのだから、そう怒るな」
軽くあしらう様に告げる御堂は、痛憤した様子の男を携え、自室の前まで歩みを進めていた。
怒りの収まらない様子の男は、尚も御堂に捲し立てる。
「貴殿は、この国の宝なのですよ。
星を詠む。この行為が、どれほど尊いことであり、貴方様がどれほど崇高な御方か、もう少し自覚して頂きたいのです」
「大隈殿。貴方には、生まれた時から世話になっている。
――私は貴方を、三人目の親だと思っています。貴方の言う事は、常に私を一番に考えてくれていて、本当に感謝しています。
しかし私も、もう子供ではありません。大丈夫ですよ。私には、最も頼れる男が傍にいますから」
眉間の皺が減らない大隈に、御堂は苦笑しながらも真剣に応える。
彼が何を望んでいるのか、御堂にはよく分かっていた。
大隈だけではない。
この国に住まう者全てが望んでいるのは、この地の平安である。
それを一手に担うのが、『星詠』と呼ばれる存在だ。
国の安泰の為、神託を一身に受けるその役目は、代々、御堂家の人間に受け継がれてきた。
御堂孝典は、百代目の星詠としてこの世に生を受けてから、日常での立ち居振る舞いから始まり、毎日の託宣行事の所作に至るまで、休む暇もなく享受してきた。
そして、この月の末には、神に奉納する舞を演舞することが決まっている。
日々の神事に加え、近頃はその稽古にも追われていた。
「星詠様の、この所の忙しさには、私も心痛しております。
しかし最近、謀反を企てる者の噂まで耳に入ってきているのです。
やはり、あの忍一人では、力不足は否めませんのでは・・・?」
「彼より強い忍を、私は他に知りません。
それに、彼は約束してくれました。――私を護る、と」
まだ何か言いたそうな表情を見せる大隈を、笑顔で遮った御堂は、会話を終わらせる合図として自室の戸を引いた。
神意を受ける身としては、『虫の知らせ』などという根拠の無い感覚に縋るのは憚られると、御堂は常々考えていた。
しかし、今回ばかりはそれを改めねばならない。
何がどうという説明は出来ないが、えも言われぬ感覚が、御堂に纏わり付く。
まるで、足元には確実に何かがあるのに、それを見ることが出来ないもどかしさとでも言おうか。
一抹の不安を抱えながら浅い眠りに就いた星詠だったが、その虫の知らせを確かにしたのは、屋敷の侍者の聞いたことも無い様な取り乱した声だった。
「火事だー!誰かが屋敷に火を放った!謀反だ!!」
その声が聴こえる頃には、御堂は羽織を肩に掛けて障子を開け放っていた。
その瞬間、屋敷の本殿と呼ばれる堂が緋色に包まれる様が、嫌でも目に入ってくる。
皆が逃げる方向とは逆に歩き出そうとした御堂を制止したのは、克哉だった。
「孝典さん!だめです!あちらは危険すぎます!」
「克哉、無事だったのか。良かった。私の事よりも、本殿には神具が・・・」
自分の身よりも優先させるべき対象があると言って聞かない御堂を、克哉は必死になって繋ぎ止める。
腕に込められる力が痛い程になった時、御堂は初めて克哉を振り返った。
そこには、悲痛な表情を浮かべた顔が、自分を真っ直ぐに見ていた。
そして御堂は思った。
ああ、虫の知らせの本当の意味は、これだったのか、と。
腕を掴む方とは、逆の手に光る太刀。
月明かりに鈍く光るその切っ先は、紛うこと無く自分へと向けられている。
先程までの苦痛の顔は既に無く、ただ無機質な表情で、克哉は刃を主へと突き出した。
「・・・私を殺すか?」
放った言葉は、自分でも意外すぎるほど冷静だった。
凶器を手にした本人さえ、思っても見なかったと、無言のうちに顔に出す。
が、それも一瞬のことで、御堂の愛する天色の双眸は、御堂も知らない冷たすぎる熱を湛えていた。
「閃玉(せんぎょく)を・・・渡してください」
衰えることの無い火の手に惑う者達の喧騒も、御堂には全く聴こえていなかった。
ひどく落ち着いた声で、荒げる様子は一つもない。
それなのに、もはや御堂の耳には、克哉の声しか届いていなかった。
暗い波が押し寄せ、足元が崩れる。
そんな感覚が、御堂を襲った。
「・・・閃玉は渡せない。これは、君が手にして良い物ではない」
掠れそうになる声を必死で隠し、紫紺の両目に鋭さを滲ませ、青眼を見据えて答えた。
「その言葉、そのままお返しします。
それは、オレが頂く。――星詠には、オレがなります」
「やめろ、克哉・・・!」
制止も虚しく、歩み寄ってきた克哉はそのまま御堂の胸に手を充てがい、小さく呪を唱え始めた。
「か、つや・・・!」
身動きの取れなくなった御堂の背を支えながら、克哉は手に力を込めた。
すると、そこに仄かな光が生まれ、克哉の指先が静かに御堂の胸に入り込んでいく。
まるで水面に沈み込ませるが如く、いとも容易く入っていく細い指。
御堂は、薄れ行く意識の中で微かな力を自らの手に込めて、胸上の腕を掴んだ。
しかし弱々しいそれは、自身を犯す冷酷な動きを止めるには不十分だった。
「ごめんなさい、孝典さん。痛いですか?
・・・すぐに終わりますから」
「やめろ・・・か、つ・・・」
互いに苦痛の表情を浮かべ、それが四つの瞳に映り込む。
息をすることも儘ならない御堂は、その名前を呼ぶことが精一杯だった。
この様な状況下でも、その名は変わらず、最も愛しい。
けれど、その愛しい者の口から放たれたのは、最も望まぬ言葉だった。
「孝典様・・・。
オレはあなたを、最初から愛してなんかいない・・・」
克哉が言い終えると同時、御堂の胸から、淡く光る水晶玉の様な物が現れた。
克哉の手中に何の抵抗も無く収まったそれは、掌で包み込んでも、まだ輝きを失わずにある。
それを視認するより先に、御堂は意識を手放し、克哉の腕には重みが増した。
⇒後編