葉がざわめく森を窓から眺め、時間の経過を計るが、時間など知ってどうするのだと、左腕の枷に触れる。
意味のない囚われの身の上になって、早1週間。
そんな自分の退屈を凌ぐ、恰好の餌が部屋に存在はしていた。
「ふぅ・・・。噂には聞いてたけど、本当に面白いな・・・。でも、暇だな」
辞書並の太さの小説を、1ページ、1ページと丁寧に紙をめくる。
時折、片桐さんが温かい紅茶を運んでくれるが、御堂さんはあれから一度も訪れない。
(やっぱり、関わりたくないのかな・・・)
異分子でしかない佐伯を助けた後、逃げる様に仕向けた筈の人間が屋敷に留まっている。
「けど、オレが嫌な訳でもない」
普通なら追い出す事も可能なのに、それもしない彼は何を考えているのか。
考えても仕方がないので、部屋の扉を音を立てて開き、鎖が伸びきる所に腰を落とした。
「上手くいくかな・・・」
生活音が下から聞こえていたので、二人共に階下に存在はする。
だから、扉が開いた音を聞き付け、片桐さんが先に現れたので、人差し指を唇に当てて手招きすると、不思議そうに小首を傾げた。
ジェスチャーで下を指差し、御堂さんを呼んでみたと教える。
「上手くいくと、いいですね」
行動の意味を理解した片桐さんが小さく囁き、同じ様に自分の隣に腰を下ろして、廊下を見詰める。
すると、数分後に茶色の毛並みが目の前で揺れ動き、片桐さんと二人でクスクスと笑い合う。
「・・・私で遊ぶな」
「いいじゃないですか。暇だったんだから」
そう言う不機嫌な彼と、ようやくまた言葉を交わせた。
パチンパチンと白を黒に変え、盤面を彩るは黒い円盤。
所詮は、オセロなのだが、ゲームに必要なのは一つ。
「つまらない・・・」
対戦相手だ。
「わざわざ、用意してやった遊び道具をつまらないと言う口は、どこについている?」
「此処ですよ。それに、何をしたって一人では、楽しくないのは知ってますか?」
黒にしたのを白に変え、また黒に変えては白にする。
隣で優雅に本を読む彼は、チラリと自分を瞳に宿し、白に戻した盤面を映した。
「お前は、変わってるな」
「よく言われます。で、あなたに対戦相手をお願いしても?」
「構わないが、生憎と裏返しに手間取る」
鋭い爪と毛深い手を見せられ、安易に遊べないと表情が示す。
そんな事ならと、自分を指差して笑い掛けた。
「オレがしますよ。置き場所だけ、指差して下さい」
いそいそと盤面を片付ける途中、軽い金属音が左腕から響く。
知らぬ間に紫色が細められ、低い声が耳に届いた。
「鍵を渡せ」
「・・・?鍵ですか?」
ベッドサイドに置かれた鍵を視線で教えれば、大きな手が小さな鍵を掴む。
「御堂さん?」
恐る恐るといった様子で、見た目よりサラサラな毛が素肌をくすぐる。
鋭い爪が自分を傷付けない様にと、彼が慎重に枷にある鍵穴に小さな鍵を差し込み、カチリと心地好い音を鳴らした。
ベッドに落ちる、銀の手枷。
そして離れゆく、その手を無意識の内に掴んだ。
「・・・」
「・・・。あの時は、その・・・。ごめんなさい。それと、ありがとう。御堂さん」
両手で包み、祈るみたいに額に当てる。
彼が握り返せないのを知っているから、余計に強く手を握り締めた。
僅かな温もりを、その手に残し、一階にある書斎で、大きなソファーに横になる御堂。
何も言わず克哉に自室を貸したまま、ソファーで寝食をする、1週間目の夜を迎える。
窓の外から、星明かりが紫色を照らし、温もりが残る手が彼の瞳を隠す。
「・・・彼に、《スティグマ》を渡しますか?」
穏やかな声音が御堂の耳に届き、カーテンを閉めに訪れた片桐が、何かに疲れた声音を聞く。
「渡せないだろ。これは、私の一族の問題だ」
「ですが、スティグマを渡さない限り、貴方は人間に戻れない」
「元から・・・、戻るつもりもない」
御堂の身体が変調をきたしてから、12年。
20歳を境に、この野獣の姿へと変貌していた。
「・・・ただ、貴方には申し訳ない事をした」
「いいえ。僕は、貴方に仕える事を誇りに思っていますよ。けれど・・・」
「問題は、彼だな」
片桐は克哉が眠る真上の部屋に視線を渡し、どうしたらいいのかな?と言葉を漏らす。
真っ直ぐな視線を御堂もして、静かに息を吐き出した。
「長居させ過ぎた。明日にでも・・・」
徐に天井へと手をかざすと、獣の手が握りこぶしを作る。
傷付ける事しか出来ない爪。言葉を話す度、恐怖心を与える牙。一目で異形だと分かる角。
『御堂さん』
「・・・家に帰そう」
そして軽く開いた手が、消えた温もりを探した。
翌朝に目が覚めた瞬間、違和感を腕に感じた。
昨日、手枷は御堂さんに外されているのに、まだ圧迫されている様な感じを。
「お風呂、入ったのにな・・・」
新しい着替えに身を包んでいるので、これは気の所為かも知れない。
けれど、服の上から腕を触ると、あってはならない感触に気付く。
袖を捲れば、その感触の正体が露見する。
「・・・何で!?」
小さな白い羽毛が左腕を覆い、肩の辺りまで生えていた。
何度確認しても事実は変わらず、今になって彼の行動の意味を理解する。
(こうなる事が分かっていたから、逃げ出す様に仕向けていた?)
なのに、自分はのうのうと、ここに居座っていた。
(どうしよう・・・)
右手が左腕に痛みを与え、半泣きになりながら羽をむしり取る。
(どうしよう!こんなの知られたら!!)
部屋に舞い散る羽毛。紅い絨毯に舞い落ち、紫色の瞳を持つ彼が自分の名を呼ぶ。
「克哉!止めろ!!」
「・・・み、ど・・・、さん・・・っ!!」
濡れた瞳で紫色を捉え、血が滲む腕を押さえて、彼からの二の句を待たずに部屋を飛び出す。
「待て、克哉!」
鋭い声が背中に刺さり、転がる様に階段を駆け降りる。
「!!」
しかし、階段を降りる途中、二階の柵から飛び降りた彼が、自分を踊場に留まらせた。
眼光も鋭い彼がゆらりと立ち上がり、こちらに手を伸ばす。
「い、やだ・・・。やだ・・・」
「・・・」
涙で滲む視界。何が嫌かと言えば・・・。
「オレは・・・。あなたの、そばにいたい・・・」
手を握り返される事もなく、抱きしめられる事がなくとも、ただ傍で彼を見ていたい。
それが出来ない事が、どうしても嫌だ。
「・・・分かったから、落ち着け」
指の背で涙を拭われ、震える手で彼へと抱き着いた。
1階のリビングにあるソファーにて、丁寧に片桐さんが左腕に包帯を巻いてくれ、どうして羽が生えたかを彼が説明し始める。
「見た通り、私には呪いが掛けられている」
始まりは、彼の祖先が、他人から汚名を着せられる所から始まる。
どうやっても、拭われる事が出来ない汚名、不名誉を祖先はまた別の誰かになすりつけた。
ただ、なすりつけた相手がまずかった。
「・・・つまり、あなたの祖先が、魔女をおとしめた?」
「ああ・・・。裁判に掛けられ、死罪を受けた魔女は、最後に呪いを残した」
“彼にスティグマを”
「スティグマ・・・」
包帯を巻きを終えた片桐さんが、ソファーを御堂さんへと譲り、左腕が彼に優しく捕われる。
「そうだ。私の一族に“不名誉”を、と」
「・・・」
「そして、魔女の呪いは強力で、私の周りにも影響する」
彼が父親の呪いを受け継いだ時、共に行くと願い出た片桐さんが、最初に影響を受けた。
「僕は、先に耳が生えたんです」
垂れた耳を弄り、今は気に入っていますと笑みを見せる片桐さん。
それに対し目を閉じて、彼はだがと続けた。
「君は、まだ間に合う。もう家に帰れ。遊びは終わりだ」
そう言われても、頑なに彼の手の平に腕を乗せたまま、小さく頭を振るう。
「理解しただろ?これは呪いだ。誰にも解けない、強力な呪い」
「い、っ」
爪が包帯を突き破り、白色に滲む赤色。
「痛いだろう?私は、君にそれしか与えられない」
じわりじわりと赤色が広がり、見るも堪えないと彼の手の平が離される。
最後に、残されるのは
「だから、二度とここには近寄るな」
拒絶と言う、別れの言葉。
→次へ
←前へ