今日 オレは 死ぬ。
瞳に隠れたのは
「皇子、おめでとうございます!」
「これで、この国も安泰だ」
晴れやかな表情を見せる群集の前に佇むのは、一人の精悍な男。
その目は鋭く、真っ直ぐに伸びた背筋は、彼の風采を威厳に満ちさせている。
「お前も笑え」
静かに、だが不遜な声音で一言、彼は、その横にひっそりと佇んでいる一人の青年に声を掛けた。
空の色とも、海の色とも言える両眼を持つ青年。
だが、その色は本来の輝きを放つことはなく、伏せられた瞼の下で曇っていた。
微動だにしない青年に痺れを切らしたのか、男は腕を伸ばす。
そのしなやかな腰に腕を回し、身体を密着させて群集の方へ微笑むと、一際大きな歓声が巻き起こった。
そして、人々を見下ろす位置に立つ王は、青年にしか聴こえない小さな声で言う。
「分かるだろう。お前に、逃げる道などない。あるのは、一生鎖に繋がれ、出口のない箱庭で朽ちていく未来だけだ」
「・・・はい」
しかし、主たる者の言葉は、青年の心には何一つ響かなかった。
なぜなら、彼は既に希望という存在を、自分の中から消していたから。
(オレは、今日ここで死ぬ。佐伯克哉という人間の生は、今、ここで終わったんだ)
絶望に縁取られた心は、眠ることすら許されない。
「大した身分だな。それとも、主の言う事すら訊けない、哀れな愚民といったところか」
先程の事を揶揄するように責めるのは、今まで笑顔で民に接していた、王座に君臨する者。
克哉の目を全く見ずに、冷淡な言葉だけを連ねる。
「ここだ」
古い鍵を取り出し、錠を開けると、そこは石畳の部屋だった。
簡素なベッドが一つある以外は、何もない。
「ここが、今日からお前の部屋だ。・・・・死ぬまでな」
「・・・・・・」
互いに互いを映さない瞳は、何を想うのか。
そんな事、誰にも分からない。
ただ分かるのは、これから始まる生活を考えれば、今ここで自ら命を絶った方が、確実に楽になれるという事だけだ。
重い音を響かせて、扉が閉められた。
これから先、この扉の向こうの世界には、オレは居ないんだ。
だが、それでも良いと思った。
どうせ、オレにはもう、帰る場所なんて無いのだから。
あの男の所為で、何もかも奪われた。
家族も、友人も、自由も・・・。
せめて最後の足掻きと、自らの喉を裂くものを探したが、それさえ見つからない。
疾うに枯れた涙は、ただ自嘲を誘うだけだった。
此処に閉じ込められてから、何日経っただろうか。
毎日同じ景色を、たった一つの小さな窓から見つめる。
それだけが唯一、克哉の心を穏やかにしてくれるものだった。
必要最低限の粗末な食事だけを与えられ、右足には枷。
これが運命だと云うのなら、オレはそれに抗うことすら許されない処まで堕ちている。
重い扉から覗いたのは、久しく見た専制者の顔だった。
一瞬だけそちらに向いた後、また窓へと視線を戻す克哉に、男は侮蔑的な視線を送りながら近付いて行く。
そして、懐から一本の短剣を取り出した。
抑揚のない声で迫るのは、余りに残酷な選択。
「これは、最初で最後の情けだ。どう使うかは、お前が決めろ」
手渡された短剣をじっと見つめる青眼が、僅かに揺れる。
欲しかった自由が、やっと手に入るのだ。
これで、全てから開放される。
克哉は短剣を握り締め、その切っ先を自らの喉へと向けた。
変わらず冷たい視線で見つめる皇子は、何を思ったか、静かに口を開いた。
「・・・それとも、私を殺すか?」
驚いて顔を上げると、自分のそれが、鋭利な灰紫の双眸に映った。
その眼が、妖しい光を灯す。
そして、きつく握られた克哉の手の上に自分の手を添え、そのまま自身の左胸へと導いた。
「ほら、ここだ。・・・違えるなよ。一撃で貫け」
「・・・!」
目の前の男の思いもよらぬ行動に、克哉は息を呑む。
握られた手が熱く、全身の熱全てがそこに集中している様だ。
「どうした?殺したい程、憎んでいるんだろう?この私を。こんな機会は二度とないぞ」
「・・・ッ・・・・・・あっ・・・はっ・・・」
薄く笑ったままの表情が、恐怖心を煽った。
呼吸をすることすら儘ならなくなり、短い息を繰り返す。
視線を合わせる事に耐えられず、克哉は目を逸らした。
「フッ・・・。震えているのか。案外、殊勝だな」
小刻みに揺れる短剣が誰の所為なのかは、言わずとも明白だ。
茶番は終わりとでも言う様に、克哉の手から刃を取り上げ、顎を掴むと、無理やりその空色に自分を映した。
「忘れるな。お前は誰にも渡さない。・・・最後の双蒼。朽ちる時は、この掌の上だと言う事を、胸に刻み込んでおけ」
―――『双蒼』
それは、手にした者に、永遠の力を与えると信じられている一族。
その両眼は海より深く、空より澄んだ色を湛え、視る者を魅了する。
辺境の地でひっそりと暮らし、半ば伝説とさえされていた、誰の眼にも触れられる事の無かった民。
彼らをついに見つけたのが、この国の先王だった。
抵抗する人々はことごとく切り捨てられ、気付けば、村で残った者は克哉ただ一人だった。
右足の枷を解きながら、変わらぬ物言いで話す男。
「――ここから出してやる。お前に、やって貰う事が出来たのでな」
来い、と命令され、静かに後に続く克哉。
一度も振り返らず、淀み無く歩く皇子が、前を向いたまま一言だけ言葉を放つ。
「私の事は、御堂と呼べ。・・・分かったな?双蒼」
「・・・はい、御堂様」
御堂さんが、ノマちゃんの手の上から掴んだ剣で、自分の胸に突き立てる所が書きたかっただけです(笑)
――シリアスって難しい・・・。
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