相互リンク記念として、白夜様に捧げます。
少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。
ホットミルク
「コホンッ、コンッ・・・・・・今日はやけに寒いな・・・」
自分以外、誰もいない執務室。
書類に目を通しながら、誰にともなく呟いた。
あと数時間で終業時刻だ。
今日は早く帰って、温かい部屋で恋人とゆっくり過ごしたい。
そんな事を考えていると、今まさにその想い人が扉をノックし、自分のもとへとやって来た。
「失礼します、御堂部長。この書類に、後で目を通して頂きたいんですが」
「あぁ、分かった。そこに置いておいてくれ」
「・・・・・・」
「佐伯君?」
「あ!はい、すみません!ここに置いておきますね。・・・・・・あの、御堂さん、今日は早目に帰りましょうね」
「? あぁ、そうだな。今日は昨日より大分冷えるし。早く帰ってゆっくりしよう」
一瞬、眉根を寄せる様な表情を見せた気がしたが、すぐに私の返答に笑顔で返し、克哉は執務室を出て行った。
愛しい存在が離れると、先程よりも寒さが増した気がして、思わずエアコンの設定温度を高くする。
その日の業務を全て終えた頃には、一日の疲れがどっと押し寄せたような気怠さを覚えていた。
いつものように控えめなノックの後に見せる恋人の顔を見れば、それも幾分か増しになった気はしたが。
「そういえば、朝はそんな袋、持っていなかった気がするが…」
帰宅途中、克哉の荷物が朝よりも多くなっている事に気付き、本人に尋ねた。
「あ、これですか?昼休みにちょっと近くのお店で買い物をしたんです」
「帰りでも良かったんじゃないのか?」
「今日は早く帰りたかったから」
さっきと同じ事を言って、彼はいつもより近い距離で私の隣を歩いた。
夕食を終え、やっと二人きりの時間を過ごせると思っていたが、肝心の彼がまだキッチンから戻ってこない。
いつもなら、とっくに後片付けも終わらせている時間なのに。
気になってソファから立ち上がろうとした時、同じタイミングで、克哉がゆっくりと歩んで来た。
その手には、いつも私が使っているマグカップが大事そうに包まれている。
食後のコーヒーにしては一人分しかないそれに少々疑問を持ったが、私が口を開くより先に、愛しい笑顔とカップがこちらに差し出された。
「はい、孝典さん。風邪の引き始めには、これが一番ですよ」
「! ・・・気付いていたのか?」
隠しているつもりはなかったが、敢えて言うこともないと思って何も言わなかった。
本当は、朝から少しだるかったこと、今も喉が痛むこと・・・。
余計な心配をかけさせたくなかったし、何より、この程度の事は今までだって何度もあった。
その度、大して何かをせずとも早目に床に着きさえすれば、次の日には何とか出社できていたから、今回もそうするつもりだったのだ。
それなのに、この恋人は今朝起きた時から、私の体調の変化に気付いていたと言う。
「当たり前です。毎日一緒にいて、あなたが辛そうなのに気付かない程、バカじゃありません。
でも、あなたはきっと弱音は吐かないし、オレに気を遣わせたくない、とか考えていたんでしょう?
だから、今日は何としても早く帰って、栄養のある物を食べてもらって、ゆっくりしてほしかったんです」
その為に、わざわざ昼の休憩時間を削って、必要な物を買いに走ってくれていたなんて・・・。
―――あぁ、愛されているというのは、こういうことなんだろうな。
昔から、何にも頼らず生きてきた。
他者の力など借りずとも、それが出来る実力があると自負していたから。
それなのにどうだ。
君の愛を知ってから、私はこんなにも君にもたれ掛かりそうになる。
かつての自分なら、それは弱さだと嘲笑するだろう。
だけど・・・
「昼間から咳が出てたでしょう?声を出すのも、朝より辛そうですし」
自分ですら気付かなかった症状を指摘され、素直に驚いた。
執務室で話していた時、彼の顔が一瞬変わったのはそういうことだったのか。
「だから、これを飲んで温まって、今日は早く寝ましょう?」
そう言って渡されたカップの中には、見慣れない飲み物。
中身を尋ねると、克哉は微笑を絶やさずに答えた。
「ホットミルクですよ。中にブランデーと砂糖を少しずつ入れてみました。温まるし、よく眠れると思いますよ」
確かに、良い香りが鼻をくすぐり、それが心まで落ち着かせてくれる。
礼を言って受け取り一口啜ると、ちょうど良いほのかな甘さが飲みやすく、身体が温まってくるのが分かった。
「美味しい・・・。ありがとう、克哉」
「いいえ。このくらいしか出来ないですけど・・・」
「克哉・・・?」
「―――孝典さんは、もっとオレを頼って下さい。
オレじゃ頼りないかもしれないけど、でもこんな時くらいは…辛い時は辛いって、言って下さい。オレにもっと、もたれ掛かって下さい」
今までの笑顔に陰りが見えたかと思うと、克哉は苦しそうな、切なそうな、それでいて力強く真っ直ぐな言葉を、私の胸へと響かせた。
彼を頼りないと思ったことはない。
寧ろ、公私共に全幅の信頼を置いているのは彼だけだ。
だが、そうじゃない。
彼が言いたいのは・・・。
きっと
私が本当に超えたかった境界線。
自分で勝手に引いたその線を、彼は何ともなしに跳び越え、この手を掴んでくれた。
それを握り返すことは、弱さだろうか?
いや違う。
やっと分かった。
君のおかげで。
「・・・・・・ありがとう。そうだな。私には、こんなにも心地良い居場所がある」
素直に零れた言葉に、克哉はまた笑顔で答えてくれる。
自分の表情が柔らかくなるのを実感しながら手を恋人の頬にそえると、彼もまた、その手に自分の手を重ねた。
「じゃあこれからは、うんと君に甘えさせてもらおうか」
「ふふっ。臨むところです。さあ何でもどうぞ?」
「そうだな、ではとりあえず・・・今日はこのまま、こうして手を繋いで一緒に寝てくれないか?」
頬の上で重なった手に指を絡ませながら言えば、かわいい我が侭ですね、と笑いつつも強く握り返してくれる恋人。
彼にしか咲かない感情。
それを伝えるのは実はとても簡単なことだった。
そんなことに今更気付いて自分に呆れ
かつての己と比較し
けれど一番幸せなのは今この時で
きっとこれからもっと幸せになる。
君といれば、それは確信に変わるから。
「これを飲んで、早く良くなって下さいね」
優しい声音で言われ、柔らかな口付けが私の頬に落とされた。
⇒あとがき
⇒小説