3年ほど前のことだった。
 海道邸で数年置きに行われる義光主催のパーティーには、政界で名を馳せる者や、テレビで見かける有名人などが招待され、それはそれは盛大で華やかなものである。もちろんその中には表向きの立場としてだがイノベーター幹部も呼ばれており、家族や友人などと連れ立ってやってくる。その年は、海外にいる神谷コウスケも例外なく呼びだされた。普段のラフな格好とはいかず、父から渡された肌触りの良いスーツに身を包む。時差ボケでぐったりした身体を奮い立たせ、重い足取りで会場に訪れた。

 パーティーの序盤では海道義光の挨拶に目を輝かし、うんうんと相槌を打っていた彼も、窮屈で着慣れないスーツと、長々とした“お偉いサン”の話にほとほと飽き飽きしていた。管理された心地よい室温のせいか、うとうとしかけた目を擦り、数度目かの欠伸を噛み殺したところで、ぼんやりと会場を見渡してみる。ふと、奥まったところに、目に留まる人物を見つけた。なんとも、特徴的な髪の色をしている。年齢は、9つか、10くらいだろうか。質の良い黒のスーツに身を包んでおり、色が白いのが際立っている。ほっそりとした身体が印象的な少年だ。
(あれは…)
 コウスケは眠たいのを必死に我慢しながら、記憶の引き出しを開け、ある結論にたどり着いた。そして、口の端をあげて小さく笑うと、面白い玩具を見つけたとでもいうように、軽やかに少年に近づいて行った。





「壁の花かい」
「……」
「そう硬くならないでくれ」
 コウスケはわざとらしく肩を竦め、ジンの隣に並んだ。警戒心を露わにするその姿は、虚勢をはる小動物のようで愉快だった。
「海道…ジン君、だったっけ」
「……君は」
「そうだ、名乗るのが遅れたね」
 パッと壁から身体を離し、くるりと回るようにジンの前に立つ。金の艶やかな髪がさらさらと揺れた。礼儀正しくお辞儀をし、今までにないほど柔らかく微笑んでやる。ご令嬢がその場にいたら、黄色い悲鳴を上げながら卒倒するだろう美しい微笑みだった。
「神谷コウスケだ」
「……!神谷さんの、」
「そう、息子だ。ダディがいつもお世話になっているね」
「…いえ、こちらこそ」
 返事はそっけないが、海道ジンが警戒心を解き、肩の力を抜いたのがわかった。無表情で無愛想に見えるが、所詮は子供、けっこう、わかりやすい。
「君のおじい様のお考えは偉大で美しい。ボクは尊敬している。誇るべきことだよ」
「……僕も、おじい様を、尊敬しています」
 相変わらず目は合わせてくれないが、強張っていた顔が微かにほころんだのがわかった。ぎこちなく微笑み、頬を赤らめる姿には年相応の幼さがある。コウスケは目を見張った。“庶民の分際で海道先生に取り入る愚か者”と、そう、父から聞いていた。会う度いつも口にされる、今、目の前にいる彼の話。皮肉たっぷりに話す父も、容姿に対しての文句は口にしなかったのも頷ける。
(なんとまあ、非の打ちどころが、ないというか、なんというか)
 近くで見れば見るほどわかる。くっきりとした目鼻立ち。長いまつげに、白磁の肌。なにより珍しい赤い瞳。無表情さが相俟って、まるで精巧な人形のようだった。
「……僕の顔に、何か?」
 じろじろと品定めするような視線が気になったのだろう。ジンは眉間にしわを寄せながら言った。
「いいや?……美しいと思って。ああ、あと、敬語はいいよ。どうせ、少しも変わらないだろう」
 悪びれもせずそう返事をしながら、きょとんとする彼の白い頬に手を滑らす。美しい、と言ったのは嘘ではなかった。お世辞でもない。他人を評価するのが何より嫌いな自分の口から、この言葉がすんなりと出てくるとは思わなかったが。ただ、彼が瞬くたびに揺れる長い睫毛を、純粋に美しいと思った。
 彼は少し肩をビクつかせたが、手を払いのけることはなかった。そして、ゆっくりと目を伏せ、口を開く。ほんの少しの動作も、なかなか絵になった。
「……僕は、美しくなんてないはずだ」
 消え入るような、悲壮を含む声に眉をよせ、その意味を追求しようと口を開いたが、果たしてそれは叶わなかった。あるご婦人が、こちらに大股で歩みを進めてくるのが見えたからだった。慌てて手を離す。男が男に手を這わせるなんて、あまり美しい光景ではなかっただろう。

 一定の距離をとって立ち止ったその女性は、真っ赤なドレスを着こみ、片手に赤い液体が揺れるワイングラスを持っていた。コウスケを一瞥すると、さして興味もなさげに視線を反らし、ただ無感情にジンを見つめている。化粧のせいで、年齢はよくわからない。どちらかというと、綺麗な部類に入るが、その綺麗さがどこか末恐ろしく見えた。背が高い彼女は、ジンを見下すように鼻を鳴らす。ジンの小ささが一際目立って見えた。数秒、そうしていただろうか。いまいち状況を把握できていないコウスケが痺れを切らして口を開こうとした時、ジンが先に口を開いた。
「……奥様、ご機嫌いかがですか」
「……」
「その節は、大変お世話になりました。…と祖父も申しておりました」
「……」
「……旦那様にも、よろしくお伝えください」
 その瞬間、女は弾かれたように手に持っていたグラスの中身をジンの頭にぶちまけた。コウスケは驚きで声も上げられなかった。映画のワンシーンでも見ているようだ。周りからは死角になっているため、人々は気付かない。ざわざわとした喧騒の中、ここだけは静寂に満ちているようだった。
「!?なにを――」
 ハッとして思わず声を荒げたコウスケを手で制すると、ジンはゆっくりと婦人に歩み寄る。前髪の白い部分が、斑に赤く染まっている。その先から滴り落ちる雫を、さして気にした様子もなく、毅然とした態度で彼女を見据える。女は先程までの威勢が嘘のように、一歩、また一歩後退する。
「気は済みましたか」
「……」
「おじい様には、何も申しません、ですから」
「……ッ」
「本当に、これだけでよろしいのですか、奥様」
 目を細め相手を見つめるその姿は、コウスケもぞっとするような色気を放っていた。
 顔を真っ赤にさせ、また青くさせ、最後には蒼白となって、彼女は何事か喚き立てながら去っていく。その後ろ姿にゆっくりとお辞儀をする彼の姿は美しかった。

 一部始終を茫然と見つめていたコウスケが、再びパーティーの喧騒の中に呼び戻されたのは、ジンの執事らしき人物が慌てて近づいてきた時だった。ジンは彼に、何か拭くものを、と手短に伝える。早足で去っていく執事を眺めながら、コウスケはしばらくぶりに意識して呼吸をした。
「……ずいぶん熱烈なごあいさつ、だね?流行ってるのかな?日本で」
「……こういうのは、よくある」
 何食わぬ顔で呟いた彼は、首筋に垂れかかる赤い雫が衣服に付かないように、ゆっくりとシャツのボタンを外し始めた。誘ってるの?渇いた口で冗談を言えば、この服はおじい様に貰った大切なものだから、と生真面目に返される。
「……できれば白ワインがよかった、」
「はあ?」
「汚れが、目立たないだろう」
「……バカかい、君は。まったく…冗談になってないよ」
「そうだね、僕は馬鹿なんだ」
「認めるんじゃないよ、美しくない。……君のおじい様に言ってやればいいじゃないか、ご婦人にいじめられました、ってさ」
「……おじい様にご迷惑をかけることだけは、避けなければいけない」
 ふと、ジンが視線をずらす。その先には、多くの人に囲まれ笑みをたたえる彼の祖父の姿があった。
「僕が悪いんだ、庶民の出の癖に、いろいろな方に、……良くしてもらっているから」
「……」
 コウスケは苛立っていた。実に自分らしくなかった。こんな時、いつもの自分なら美しくないと馬鹿にして立ち去るだろう。それができない。それほどに、この少年は疲弊しきっているように見えた。
「おじい様に降りかかる災難は、全部自分に降りかかればいい」
「……だからって、こんなことされてもいいっていうのかい」
 執事を待っている時間が惜しかった。コウスケは胸ポケットから白のハンカチを取り出し、ジンの細い首筋をいささか乱雑にぬぐった。驚いて身を引こうとする彼の腰を、もう片方の手で引きよせ固定する。みるみるうちに白いそれが赤く染まっていく。ああ、美しくない。
「……僕は、あの人のためなら、何をされたってかまわない」
「じゃあ、そのために君は身体も売るってことだね」
 先程彼がシャツの襟を緩めた時に偶然目に入った首筋の赤いそれは、どうみても情事の証だった。案の定、今までハンカチを当てていたそこには、くっきりと跡がある。
「……っ」
 ジンは慌てて身を引き、首筋に手をやり、そのまま顔を俯かせた。暗黙の了解。性欲処理に、年端もいかない少年を使う、いわゆる“そういう趣味”。理解できない金持ちの道楽。なんとなく、噂は聞いていたが、本当にこんなことがあるとは。汚れてしまったハンカチを丁寧に畳みながら、コウスケはジンを見据えた。
「あきれた」
「……」
「さっきの御婦人の…旦那のお相手もしたんだ?」
「……」
「前言撤回だ、ボクは誰にでも身体を開くようなヤツは嫌いだね。美しくない」
「だから……さっきも言っただろう、僕は、そんなんじゃないって」
 先程、彼が言った言葉を思い出す。確かに、彼は自分を美しくないと言っていた。
「僕が海道の人間にふさわしくないのは、わかっていることだ。でも、あの時、あの日、僕を救ってくれたおじい様の力になれるならなんでもする……汚いことでも、なんでもする。本当の、孫になれなくてもいいんだ」
 息継ぎもせずにそう言い放った彼の目には、決意と、陶酔と、迷いとが入り混じっている。まだ10年も生きるか生きてないかの少年が、こんな目をできるものか。あきれていいのか、はたまた感心していいのかわからない。コウスケは溜息をついた。
「君なら、なるだろうね」
「え?」
「いや…なんでもないさ」
 小さく呟いた言葉は彼に届かなかったようだ。言葉を濁しつつ、コウスケはそのまま、あっという間もない動作でジンの腰を引きよせた。頭一つ分も身長差がある彼を、覗きこむような形をとる。この、相手を支配する感覚はたまらない。驚きで目を見開くジンの耳元に唇を寄せた。
「キスでも、してやろうか」
「…!?」
 耳まで真っ赤にさせたジンが、おびえたような目をこちらに向けてから、じたばたと身体を動かし逃れようとする。まったく、さっきまでの勢いはどこにいったんだ。コウスケは思わず、声をたてて笑った。
「……冗談、薄汚い濡れネズミなんかに、この僕がキスするとでも思った?美しくない」
 美しくない、もう一度コウスケは、吐き捨てるようにいった。
「おや、もう時間だ。行かなくては」
「……まってくれ、神谷コウスケ君、」
「なんだい?あらたまって。ネズミ君?」
「……名前だけは、覚えておいてあげるよ」
 瞬間、コウスケはきょとんと相手を見つめたが、じわじわ、口の端がつりあがっていくのがわかった。
「フン、偉そうな口をきくなよ、ボクは、美しくないものと顔見知りにはなりたくないんだ。次会った時には」
「他人だね」
「……生意気だな、ネズミはネズミらしく…そうだな、ゴミ箱に突っ込んでやりたい顔だ」
「楽しみにしているよ」
 先程とは打って変わった笑みを浮かべるジンを、半ば突き飛ばすように引き離す。
 丁度、彼の執事が慌ててやってくるのが見えた。それじゃ、と挨拶もそこそこにその場を立ち去る。去り際に彼の頭をぽんぽんと叩いたせいで、手が汚れてしまった。美しくない。

 それにしても、とコウスケは思う。
 呟いたその冗談を、後に本当に果たすことになるとは、その頃はちっとも思っていなかったものだ。
 3年前ほど前の、話である。





2011/12/27
(なれあい)





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -