男子の成長期とはまったく恐ろしいもので、つい先日まで同じくらいの背丈だった友人が、明日には数ミリ、また明日には数ミリ、そうして数日も経つと数センチの差がつくこともある。喚き立てる度キンキンと響いていた声は、ある一定の時期から低くなり、その時期になると喉を傷める男子が急激に増えて、英語の授業では音読の度にカサカサという何とも言えない音が入り混じるものである。そして、その頃から極端に口数が少なくなる。
 つい先日までじゃれ合い、小突き合い、冗談を言い合っていたような女子達も、そんな男子達の顕著な成長の前では途端にしおらしくなった。チラチラと上目づかいに彼らを窺がっては、やれ何君がかっこいいと囃したてるのも無理はない。


 さて山野バンはというと、いわゆるその成長の真っただ中にいる一人である。ひと度LBXの大会に出れば陰で大人の女性達に「かわいい」と持て囃されていたその少年らしい容姿から、いわゆる「青年」へと着実に変貌を遂げていた。ただでさえ、アルテミスに引き続きアキハバラキングダムでも露出の多かった彼のことである。専ら女子から注目の的となり、すれ違う度きゃいきゃいと声をあげる者も増えている。身長はぐんぐんと伸び、いつしかカズとも並ぶようになっていた。(あのアミでさえ、その変化には驚いていたようだ。)
 「最近身体のあちこちが痛いんだ」と苦笑するその声は、わずかながら前より低く響くように感じられた。


 一方、何かと彼と並ぶことの多い海道ジンは悩んでいた。
 彼もまた成長期の真っただ中である。その証拠に手足はすらりと伸び、身長もずいぶん伸びたものだが、いかんせん抜けるような白い肌は相変わらずであり、立ち姿は凛としているが、どちらかというと頼りなさげに見える。男性的な成長を一切遂げることなく、どこか中性的で危うい雰囲気を残したまま成長してしまった彼は、“「守られたい」というよりは「守ってあげたい」”と一部の女子から呼び声は高く、また、男子からも庇護欲をそそるものとして見えていたようだ。(といっても相変わらず女子からは圧倒的な支持を受けていたようだが。)

 そんなわけで何かと注目される彼らであったが、もちろん二人並ぶといっそう辺りが色めき立った。しかし、友人、親友、ライバル、肩書きはいくらでもあったが、実際の二人の関係に気付くものは少なかった。彼らが恋仲であるなんて馬鹿げた話、誰が信じるだろうか。



 ジンはそのことに安堵し、またわずかながら残念に思った。
(もし、僕が、女だったら)
 きっと、大きな声で自分たちは恋人同士であると主張するだろう。彼に言いよる者はいなくなる。他人の目を、世間を、もう気にすることもない。不安なのだ、所詮は自分は男。彼を取り囲む彼女たちのようにいい香りもせず、柔らかくもない自分が、いったいいつまでおこがましく、彼の傍にいれるだろうか。信頼していないわけではない。でも男同士という現実は、重くのしかかってくるばかりである。不安で、不安でたまらない。
(…女々しいな)
 笑い飛ばせもせず、代わりに数度目かの溜息をつく。放課後の教室は閑散とし、夕日のさしかかる窓際の席にぽつんと座っている。少し、まぶしい。
(馬鹿げてる)

 そうして数分が経って、帰ろうか帰るまいか思案しているうちに、廊下から騒々しい足音が聞こえてくる。何事かと耳を澄ましていると、「廊下を走るな!」という聞き覚えのある先生の声に続けて「すみません!」と上ずるその声が聞こえた。自然と、顔がほころんでいくのがわかる。


「ジン!!」
 後方の戸を勢いよく開け、先程の悩みの原因とも言える人物が飛び込んできた。息をきらせ、肩を上下にさせる姿から、彼が相当急いできたことがわかる。
「こんなところにいた!」
 いつになく嬉しそうに駆け寄り、ジンの座っている机の、前の席に腰掛ける。そのまま椅子を回転させる彼は、やはり身長が伸びたようだ。目の位置が、前と違う気がした。

「探したよ、もう帰っちゃったのかと思った」
「…バンくんはどうしてここに?」
「それは…」

「バンさーん!」

 二人の会話はそこで途切れた。
 声が聞こえた方向、窓の外に目をやると、女子生徒が二人こちらに向かって手を振っていた。可愛らしい子達だった。バン君は苦笑しつつもにこやかに手を振り返す。きゃっきゃと黄色い悲鳴をあげながら、彼女たちは去っていく。どうしようもなく、胸の奥の方から冷えていく感覚が生々しい。鼻の奥がつんとする。

「もしかしてあの子達、ジン目当てだな」
「……」
「…ジン?」

 普通ではないジンの様子に気付いたバンは、彼の顔を下からのぞきこむようにうかがった。口をはくはくと動かして何か言いたげにするジンは、今にも泣きそうな顔をしている。驚きと共に声が出た。

「ジン!?」
「……」
「具合でも悪いのか?言ってくれなきゃわからないよ」
「……不安、なんだ」
ジンの声は、情けない程に震えていた。
「え?」
「君は誰にでも優しいから」
 唇をかみしめる。こうしてないと、今にも涙があふれてしまいそうだった。

「わからなくなるんだ。君にとっての僕は、何なんだろう、…って」
「…俺はジンがすきだよ?」

 嘘の無いまっすぐな言葉は、果たしてジンを耳まで赤くさせるのに成功した。
 しかし、喜びとともにもやもやとした気持ちがわきあがる。このままではいけない。ジンは意を決し、膝に置いた掌を握ったり開いたりを繰り返しながら、必死に言葉を紡ぎ出した。

「そう…嬉しいんだ。それだけでも。でも、…いろいろ、その、あるだろう」
「いろいろ?」
「えっと…あ…表し方が」
 ジンのその語尾は情けなく小さくなった。
 きっと今の自分は、みすぼらしいくらいに真っ赤なんだろう。見ないでほしい、欲張りな自分を、いっそ蔑んでほしい。思考が面白いくらいに上手くまわらない。自分があんまりにも惨めで、ジンは泣きだしそうだった。

「ごめん、今のは忘れてくれ」

 言うか言わないかのうちにジンはまた、言葉を失うことになる。
 あろうことか、彼の温かい手が、自分の頬に触れたから。

「表し方、ってさ」
 バンの手がジンの頬を包み込む。驚きに目を見開いて、顔をそむけようとするジンを強く引き寄せる。あっという間の出来事だったが、ジンにとっては数分のことのように感じられた。一瞬気を失いそうになった。口づけされたのだと気付いたのは、それから少し経ってからだった。
「…こういうこと?」
 悪戯っぽく舌を出し、バンはジンの額に自分の額をくっつける。返事もできず唖然とするジンに、もう一度、もう一度、唇を重ねていく。
 朦朧とする意識の中で、唇を離す時の微かな音と、熱に浮かされたような彼の呼吸の音だけが響いている。苦しくて、痛くて、なんだか胸がつっかえて、もう、何がなんだか、でも幸せで。熱くて、暑くて、のぼせたように身体が動かない。高熱が出たみたいだ。どうにでもなればいい。もはや何も考えられない。はずだったのだが。
 舌を差し込まれたところで、ジンは慌ててバンをつっぱねた。
「!?バン、くんっ」
「わっ」
 強く押しすぎた、と気付いた時には椅子がバンと共に派手な音をたてて転がっていた。そこでようやく夢から覚めたように、ここは教室だったのだと思いだす。思わず腕で口元を隠す。顔が火照る。心臓がまだ、バクバクしている。
「……痛いよ、ジン」
「だっ…て…こんなっ…ところで…!」
 恨めしそうなバンの声に、必死で言い訳をする。おそらく海道ジンが今まで発してきた中で、もっとも情けない声だった。こちとらもう、何がなんだかわかっていないのだ。再び泣きそうになったところで、右の手を差し出される。
 ジンはハッとして立ちあがり、バンの手を引き上げた…勢いでそのまま抱きしめられた。倒れ込みそうになる身体を、必死に支える。
(バン君は今日、何度僕の心臓を止める気だろうか)
 肩口に顔を埋めた彼の顔は見えない。心臓の音がやけにうるさい。抗議の声をあげようと口を開いたところで、バンが静かに息を吸った。

「俺だって」

 その声がやけに低いものだから、ジンは押し黙ってしまった。抱きしめられる力が、強くなる。

「ずっと心配だったんだよ」
「え?」
「ジン、気付いてないだろ」
「何に」
「…クラスの男子が、…いや女子もだけど…ジンのこと、かわいいだの、きれいだの、勝手に、うるさいんだよ」
「…冗談」
「冗談なもんか!」
 
 肩を力強く掴まれ、揺さぶられるように引き離された。自然と面と向かう形になる。いかにも不機嫌です、と顔にかいてあるそのふくれっ面にはまだ幼さが残っているようで、場違いながらもなんだか安心してしまった。
 そのままジンは、声をたてて笑った。

「なっ、何笑ってるんだよ!」
 声をあげながらも、バンは驚いていた。ジンがこんなに愉快そうに笑う姿を見たのは初めてだった。
 怒っていいのか、見とれていいのかわからない。
「ふっ、ふふっ、」
「ジンー…」
「……ふ…ふっ、あの、…ごめん、ずっと怖かったんだ。成長期にさしかかってから、バンくんが遠くに行ってしまうようで」
「そんなこと」
「でも、さっきの顔みたら…バンくんは変わってないな、ぜんぜん。勘違いだったみたいだ」

 くすくす、張りつめた何かが切れたようにジンは笑った。
 いつものポーカーフェイスからは考えられない、そこにはバンも見たことのない幼さがあった。
(…かわいいなあ、もう)
 怒っていいのか、笑っていいのか、バンは頭を掻いた。
 そしてまたどうしようもなくなって、力任せに抱きしめる。

「…!?バン、くっ」
「……ジンなんて、勝手に、綺麗になっちゃって」
「……それ、嬉しくないよ」
「知ってる、ジンの嫌がる言葉くらい。でも、ほんとに、きれいなんだ、ジン」
 抱きしめる力が強くなる。
 言いようのない幸せに包まれながら、ジンにとって嫌で嫌で仕方なかったその褒め言葉が耳に染み込んでいく。
「俺のジンなのに」
「うん」
「ジンが他の、やつ…となんて許さないからな」
「うん」
「あと、笑った顔、他のやつに見せるなよ」
「……なんで?」
「なんでも!」
「…よくわからないけど…わかった、努力する」
「……ジン」
「なんだい?」
「好きだよ」
「奇遇だね」

 気付いたら外はもう、日が暮れていた。
 もうそろそろ、下校を促す放送がかかるだろう。

「僕もだ、」

 不安なのは、どうやら自分だけではなかったようだ。






2011/12/25
(成長痛)





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