「あーっ!」
とある日の朝、ダックシャトルのミーティングルームで、申し訳程度にかけられているカレンダーをぼんやりと眺めていた花咲ランは、いつになく大きな声をあげる。
「もしかして今日って七夕じゃん?」
過ぎた日にバツ印をつけるのがランの日課であるようだった。彼女の髪の色によく似た赤い油性ペンの先が指す「7」という数字に、すぐ傍で空調の設定をしていたヒロが目を輝かせる。
「わあ!もうそんな時期ですか!」
リモコンを定位置に戻し、ぴょこぴょこと楽しげに髪の一房を揺らしながら、ヒロは懐かしむように目を閉じる。
「思い出すなあ、センシマンDVD第三弾の初回特典についてくる、番外編の七夕回がですね……」
「あーはいはい」
いつものようにスイッチが入り、熱のこもった口調で語りだすヒロ。を、げんなりと受け流すラン。変わらない朝である。普段であればそんな二人を呆れつつも微笑ましく眺めているジェシカであるが、今日は怪訝な顔つきをしたまま、首を傾げるばかりである。
「……タナバタ…?」
小さく呟いた声に気付いた二人が、くるっとジェシカに目を向ける。
「あ…そっか、ジェシカさんは七夕知らないんですね」
「A国では七夕ってないんだ?」
「え、ええ…聞いたことないわね…日本特有のもの?」
教えてくれないかしら、と興味深げに依頼したジェシカに、二人はきらきらと目を輝かせる。無理もない、いつもは説明する側であるジェシカに、“教えるのが楽しくてたまらない”といった様子で、二人はああでもないこうでもないと解説を始めることとなった。
☆
「……というわけで織姫と彦星が七夕の夜だけ会えるって言われてるんですよ」
「あたしたちもあんまり詳しいことは知らないんだけどさー」
幾度かの脱線を繰り返しながら、ものの数分で説明は終わる。たどたどしい説明にも関わらず、要点は伝わったようだ。
「悲恋だわ…ロマンチックね…」
ジェシカは微かに染めた頬に手をあて、そのままうっとりと目を細める。見かけによらずロマンチストの気がある彼女は、すっかり七夕の話が気に入ったようだった。
「………でも案外、彼らにとっては苦行ではないんじゃないかな」
突として会話に参加してきた第三者の声に、三人は初めて意識を向ける。スライド式のドアからひょっこりと顔を出したのは灰原ユウヤである。起き抜けの笑顔で、おはよう、と間延びした声をあげた。
「どういうこと?」
「星の寿命は僕らに比べて長いから。ね、ジンくん」
「人間の寿命を100歳だとして換算すると0.3秒に1回会っているらしい」
ユウヤの後に続いて入ってきた海道ジンは、実に淡々と言葉を紡ぎ始めた。いつも通り表情の変化は少ないが、今日は僅かに眠そうに見える。
「そもそも二人が引き離された理由って自分たちの仕事をおろそかにしたせいだからねえ」
「自業自得だな」
「ちょっと………ロマンのかけらもないこというのやめなさいよ…」
先ほどまで目を潤ませていたジェシカはどこに行ったのか、嫌に現実的な二人に向かって、げんなりと項垂れている。しかし当の二人は、きょとんと顔を見合わせて首を傾けるものだから、もうそれ以上ジェシカが声を上げることはなかった。
「とりあえず、今日は晴れるといいですねえ」
うまい具合にヒロが締めくくったところで、ぱたぱたと廊下から足音が聞こえてくる。
「ごめんごめん!寝坊しちゃって!」
頭をかきながら部屋に入ってきたのは山野バンである。が、いつもと違う空気に戸惑ったのか、一歩二歩と後退する。
「え…と……なにかあったのか?」
「あ、いえ、別に、これは…七夕が…」
うまい具合に説明ができず、ヒロは言葉を濁すこととなる。しかし向かうバンは、“七夕”という単語にぱっと顔を輝かせた。
「七夕かあ、今日だっけ?織姫と彦星、会えるといいな」
はじけんばかりの笑顔とバンの言葉に、ジェシカは嬉しそうに手を叩く。
「バンもそう思うわよね!」
「え?うん」
いまいち状況がつかめないまま、バンは照れ臭そうに頬をかく。
「だっておれは、一年も会わないなんて耐えられなかったからなあ」
意味ありげに笑って見せるバンに、首を傾けるランとジェシカ。興味深げに聞き返そうとするヒロ。こちらもまた意味ありげに目配せするユウヤ。それから――
「顔を、洗ってくる」
一同に聞こえるか聞こえないか、微かな声で呟いて、そのまま部屋を後にするジン。
彼がタオルを顔に当てたまま、恥ずかしげにずるずると洗面台の下に座り込むのは、実に数分後のことだった。
いつもと変わらない、朝の話である。
2012/07/23
(星に願いを)