「恋人とは、たとえば何をするものだったろうか」
「……は?」

 妙に堅い口調で紡がれたその言葉に反して、実に間の抜けた声が口から抜けてゆく。それが自分のものだと気付いたのも、少々時間が経ってからだった。



 そもそも、何がどうしてこんな状況になったのか。上手く働かない頭をぐるぐると動かして、苦労人青島カズヤは考える。事の発端は数時間前。授業も終わり、週始めの面倒な掃除当番が今週であることを知れば、思わず大きなため息がこぼれる。次々と帰宅するクラスメイトに囃し立てられながら、ぼんやり掃除用具入れの前で準備を進めていた時だった。いつもより少しざわついている女子たちに気付き、そのやけに熱っぽい視線の先になんとなしに目をやれば、教室の前で佇んでいる彼の姿。目が覚めたように慌てて近付けば、「話がある」と、切り出したのは他でもない、海道ジンのほうで。カズの手に握られているほうきに目を向ければ、ジンは「放課後またくる」と言い残して、軽やかな靴音を立てて踵を返したのである。

 ……今でこそ戦いを共にした仲ではあるが、アルテミスのあの一件以来、なんとなく蟠りが残ったままの相手だ。二人きりで会話など、どうにも緊張しない、はずがない。上の空で掃除をすすめ(そのせいで女子達に怒られた)、トントン拍子に約束の時間。片手をあげ、よお、ともやあ、ともつかないような挨拶をしてから、椅子に座り込む。放課後の教室はだいたいいつも閑散としているが、今日はとりわけ自分と、ジンが二人だけ。机一つを挟んで並んで座っている。最近めっきり日が落ちるのが早くなったから、きっともうすぐ窓から夕日が差し込み始めるだろう。

 自分より目線一つ違う相手の顔を覗き込めば、ぱちり、目が合う。一瞬逸らし、また合ったかと思えば、意を決した、まさにそういう具合で自分を見つめ返してくる。
 さて、一体何が切り出されるのか。青島カズヤは覚悟を決める。このさい何を言われたって仕方がない。




 ……という具合でふりだしに戻るわけだが、正直、拍子抜けもいいところである。冗談はやめろよ、と笑い飛ばそうにも、目の前でぎこちなく身体を強張らせているそいつが、冗談なんて言うような人間じゃあないってことくらい、(今まで伊達に行動を共にしてきたわけじゃあない、)……重々承知している。事実、向かう相手は実に真剣な眼差しをもって見つめてくるものだから、カズは引きつった笑いごと言葉を飲み込む他なかった。
「カズくん」
 ためらいがちな声に意識を向ければ、一気に現実に引き戻される。反応が芳しくなかったことに少しばかり苛立っているのだろうか。なんにせよ無理もない、いぶかしげな顔をするジンと目が合う。
「あ、えー…と」
「まず、最初は、何を」
「いや、まず最初に、……つか、なんで俺なんだよ」
 机に頬杖を突き、唇を尖らせながら、この状況がどうであれ一番疑問だった質問を投げかける。そもそもこういう相談なら、きっと自分以外にも適任がいるだろうに。そんな思いを込めれば、ジンは不思議そうに首を傾げる。
「なぜって、……カズくんは、そういうことを、よく知っているのではないかと思って」
「へ?」
「だって、アミさんと」
「ちょ、おい、いうな!いうな!」
 勢いよく、椅子から立ち上がる。ガタガタと音をたてるそれは、今現在の自分の気持ちをよく表しているようで。情けなさと恥ずかしさに真っ赤になりながら、カズはそのままずるずると座り込むことになった。
 さて、原因のジンは、その一連の動作を眺め、不思議そうに瞬きを繰り返すだけで、一切悪気のかけらも感じられない。
「違ったかい」
 悪びれもせず言ってのける。……もはやこうなったジンは、手の付けようがない。観念して、カズはしぶしぶ口を開く。
「おまえさ……こんなにめんどくさかったっけ」
「……?すまない…?」
「や、もう……なんか……いいや……」
「ありがとう」
 意図的ではないにしろ、今の状況で言える精一杯の嫌味をも流され、実に嬉しそうに顔をほころばせるジンにカズは呆れ顔でため息をついた。
(こんな顔も、できるようになったんだよなあ。)
 普段ならば微笑ましく思うところだが、今日ばかりはこの微笑みが恐ろしい。カズはまた、本日数度目のため息をつくことになる。




 ……さて、一種の好奇心を持ってまじまじと見つめてくるその視線のせいか、カズの頬には自然と熱がともり始める。気持ちを静めるためにわざとらしく咳払いをしてから、カズはジンを見返した。
「えーと、何の話だっけ」
「恋仲である二人がまず初めにとる行動とは」
「……紛らわしい言い方するなよ。恋人が最初に何って…そりゃあ、さあ。手を、こう…」
 言いながら、カズは手を宙に浮かせ、そのまま握ったり開いたりを繰り返す。その様子を視線で追ったかと思えば、ジンは首をかしげる。
「手はつないだ」
「………さいですか」
 早速出鼻をくじかれたカズはがっくりと肩を落とす。
 ……ジンが、バンと、いわゆる、そういう関係だっていうのは、実は最近まで知らなかったことだ。前々から仲が良いなと思ってはいたが、まあ、なんというか、そりゃあ、良いわけだ。
 宙に浮かせた手は、まさに手持無沙汰でカズの膝元に帰っていく……ことはなく、実に自然な流れでジンの右手とつながれることになる。
「!?おま、何、して」
「いや……」
 ジンは目を伏せ、何かを考えるような仕草を見せてから、思いついたように指を一本一本からませてくる。
「順を追ってみようかと」
「はあ?」
 本日数度目かの無茶苦茶な提案は、やはり冗談ではないようだった。そのままジンは、興味深げに手を握ったり緩めたりを繰り返している。指のうごく感覚がやけに生々しい。

「次は」
「へ?」

 手はしっかりと繋がれたまま、ジンがぽつりと呟く。

「この次」
「う、まだやんのかよお…」
「やるもなにも、まだ何も教えてもらっていない」
「いや……そう、だけどさあ」
 引き続き期待を込められた目で見つめられれば、カズはもはや意気消沈するしかない。
「あーそうだな。出かける、とか。買い物とか?」
 適当に思いついたことをぶっきらぼうに言ってのければ、ふむ、とジンが口元に空いた方の手をやる。
「……今からは無理だな」
「そりゃそうだろうよ!」
 無意識なのか。天然なのか。おそらくこの場合両者とも当てはまるのだろうが。カズの必死の叫びも耳からすり抜けていっているのか、少々残念そうに時計から目を離したジンは、カズを見つめる。
「この過程は飛ばそう」
「ああ……えっと次は……じゃなくて、おい、もうやめようぜ」
「なぜ、」
「なぜ…って…」
「何か問題でも?」

(この状況が既に問題だろ!!)

 内心毒づきながら、カズはうなだれるしかない。

「次は」
「……あー……」
「……」
「あ、」
「……?」
「いや、これは…」

 幾分かもったいぶっていると、ジンが怪訝な顔つきでカズを凝視する。視線に耐えきれぬカズはもはや、返答をする以外の選択肢を選ぶ余地がなくなった。

「……え、と、別にこれは、おそらく世間一般の意見であって、だから、経験上の話ってわけじゃなくて」
「ああ」
「……ひくなよ」
「何を今更」
「……」
「……」
「キス、とか?」

 自分でも聞き取れるか聞き取れないかすれすれの音量でぼそりと呟けば、それまで真顔を貫き通してきた目の前の人物が、きょとんと首をかしげたかと思うと、ぱちりぱちりと瞬きをする。

「……キ…?」
「……おい、なんだよ、知らないってこともないだろ」
 てっきり、呆れられるか、流されるかのどちらかだろうと踏んでいたのに、向かう相手の反応が芳しくない。にわかに焦り始めるカズを知ってか知らずか、ジンはもう一度、考えるように俯いた……かと思ったら、ゆっくりと顔をあげる。

「キスというのは確か」

 呟きながらジンは椅子を引き、机に手をつき、そのまま頭を傾け、前のめりになる。

「……こういう」

 唇が触れる寸前で止まったところに、ジンの顔、がある。



 ぐるぐるとまわる思考回路に促されるようにその事実に気付いた途端、……カズの顔は真っ赤に染まることとなる。
「ちょ!!ま!!」
 慌てて肩を掴んで、ジンを引きはがす。向こうも向こうで突然のことに驚いたのか、ジンは目を見開いてこちらを見つめている。気付けば夕日の差し込む教室。ジンの長い睫毛が、同じくジンの白い頬に、くっきりと影を落としている。

(なんだこれ、なんだこれ)

 今更ながら視線をうまく交わすことができなくなったカズは、右手で顔を覆いながら力なく俯く。心臓の音が、やけにうるさい。

「カズくん、」

 声変わりを終えたにしては高めの、心地よいテノールが鼓膜に響く。今日ばかりは、自分の名前がそれであることを恨めしく感じる。ぎぎぎ、と音がするほどにカズが頭をもたげれば、先ほどよりも僅かに近くなった距離に、ジンがいる。

「しないのか?」
「いや、」
「……?」

「……こういう時って、目、閉じる、もんだろ」
(じゃなくて……!)
 不自然に声が上擦り、カズはもはや、自分でも何を言っているか分からない。
さて、ジンはというと、冗談めいた言葉に従うように、ゆっくりと瞼を閉じる。普段から顔の変化が少ない分、一挙一動が特別な動作に見える。

「……こうか?」
 言いながら、再度ゆるくつながれた、右手がひどく、あつい。
「…………まじで、少し、だけ、だかんな」
「ああ、」
 左手をジンの頬にかければ、びくりと肩が揺れる。余裕ぶっておきながら、彼も緊張しているようで。
 顔を傾ける。吐息の音が近い。目の前で、長い睫が揺れている。



「……ん…」
「………!!」



 触れるだけの、実に短いそれ。ジンの声が小さく漏れるのとほぼ同時に、チャイムの音が鳴り響く。それまでどこか現実離れしていた風景が、一気に普通の教室に戻る。慌てて唇を引きはがせば、カズはジンから飛びのいて、ガタガタと椅子から立ち上がる。

「お、おれ、用事、思い出したから!!」

 荷物に手をかけ、ジンの顔を見ないように背を向け、走り出す。途中で躓きそうになりながらも、全速力で廊下を駆け抜ける。
 丁度職員室から出てきた担任の怒号の後ろに、自分を呼ぶ彼の声が、聞こえた。ような気がした。




(シンデレラか俺は!!)
 ひとしきり走ったあと、カズは玄関の靴箱の前でうなだれることとなる。
(だってなんか…!なんか…!)
 情けない、みっともない。唇を離して、さ、今日はこれで終わり、と笑い飛ばす、それでおわる、つもり、だったのに。
 (ジンのことだから、こんなものか、なんて呟いて、唇をぬぐって、)



 ――真っ赤に染まった頬と、漏れる吐息と、少しだけ、潤んだ瞳と。
「……想像してたのと、違うじゃんよ」

 しばらくはジンの顔をまともに見ることできない、気がする。







 さて後日、はにかみながら恋人を語るバンから、二人があの時既にいけるところまでいっていた、ということを聞いて、カズは再び意気消沈することになる。





2012/07/06
(おれの友達の話)

リクエストありがとうございました!


 
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