目の前にはジンがいて、ジンの目の前には自分がいて。さすがに背丈も、服も、雰囲気も、お互い変わったけれど。それだけは前と何も変わらないはずなのに。
(なんだろう、なんだろうな)
 この妙な違和感は、いったい何だろう、か。


***


 あれよあれよという間にダックシャトルに乗り込んで、それから数分が経てば、それまで点滅していたシートベルト着用のサインが音を立てて消えた。安定した飛行に移ったことを知らせるそれは、緊張で顔が強張っていた面々の肩の力を抜かせることとなる。遅めの簡素な夕食を済ませ、今後の予定についてコブラから注意をあおぐ。……ふと、後ろに座る後輩たちに目を向ければ、まさに欠伸を噛み殺している、といったところで、話の半分も頭に入っていないようなその表情にバンは苦笑した(そのせいで自分が注意されることになったのだが)。
 打ち合わせはものの10分で終わり、それぞれが思い思いに椅子を倒し、配布されたブランケットを片手に就寝の準備を進める。鬱陶しいと思っていたエンジンの音も、気圧のせいでおかしくなった耳も、慣れてしまえばどうということもない。思えば今日はいろいろなことがありすぎた。バンの身体はもはや限界で、見かけによらず座り心地がよい椅子に身を沈めれば、襲いかかる睡魔に従う他ないだろう。丁度、見計らったように暗くなった室内で瞼を閉ざせば、瞬時。バンの意識は次第に遠のいていった。



 ……目を覚ましたのは深夜だった。何時かは分からない。というのも、時間を確認しようと取り出したCCMの電源を、律儀に切っていたものだから確認のしようがない。窓の外は真っ暗で、おおかた午前2時か…そのくらいだろう。周りは寝息やいびきの大合唱状態で、たまに寝言まで聞こえる(たぶんヒロだ)。再び眠りにつこうにも、一度覚醒してしまった意識を眠りに追いやるのは難しい。バンは小さく溜息をついた。が、ふと、ある名案を思いついた。この事件に巻き込まれて以来、久しく忘れていた冒険心というものが、むくむくと膨れ上がって来たのである。

(……機内でも、見て回ろうかな)

 乗り込んだばかりのダックシャトルは、知らないことばかりだ。沸き立つ思いを抑えられずに、しかし音を立てないようゆっくりと、バンは足を進める。足元の微かな明かりを頼りに、ドアを開く、そして――
 果たして冒険は、1分もたたずに終了することとなる。


 ドアの向こう、少しばかり広がった通路、その暗がりの向こうに、見紛うこともない彼の姿がある。薄ぼんやりとした光を浴びながら窓の外を眺めている。白い肌をより一層白くさせながら、暗闇を見つめるその目は、不確かだがどこかひどく悲しそうに見える。不意にうつり込む月の明かりが、彼の前髪の一房をひときわ目立たせていた。

(ジン、)

 バンは先だっての、妙な違和感を思い出す。…抱きしめたい、と思った。しかし、それを衝動のままに行うには、時間が経ちすぎた、とも思った。隔てりが、できてしまったように思う。自分が変わったように、ジンもまた変わったんだろう。姿、形以外にも、きっと大きな何かが。…少々、時間が経ちすぎた。今度こそ、何も知らない。自分の知っている、ジンはもういない。触れてはいけない。気安く、触れてはいけない。

(ああ、なんだ、これか、)

――数分、そうして見つめていただろうか。逡巡していたバンは、やがて気付かれないように、ドアを閉めようと手を伸ばし、踵を返……そうとしたその足が、何かしらのセンサーに触れたのだろう。
 あっという間もなく、光が通路を照らす。
「う、わ!?」
 暗闇に慣れた目は光の侵入を拒み、バンをおおいに驚かせるに値した。慌てて電気を消そうと手を伸ばすものの、目を丸くしたジンと目が合えば、下手に動くことができなくなってしまう。
「…バン、くん?」
「あの、えっと、」
「…お手洗いかい?」
「あ、いや、違うんだ、けど」
 しどろもどろになってしまったバンを横目に、ジンはきょとんと首を傾けてから近づいてくる。
「……眠れないのなら、これを」
「へ?」
 受け取らないわけにもいかず手を差し伸ばせば、錠剤がふたつ、バンの手のひらに転がってくる。市販のものだが、と添えられた言葉に、今度はバンが首をかしげる番だった。
「すいみん、やく?」
「ああ」
 どうやら、ここに来たのは自分が眠れないからだと勘違いされたらしい。合点がいったバンは慌ててお礼を言い、取敢ず薬をポケットにしまう。
「ジンは、…じゃなくて……ジンも、眠れないのか?」
「ああ、ここ最近は、ずっと」
「最近?」
 てっきりこのシャトルの乗り心地のせいかと思っていたが、どうやら違うらしい。引っかかった言葉をオウム返しに尋ねれば、ジンは穏やかな口調で続けた。
「……丁度、おじいさまの一周忌で」
 息を飲む、とっさに、先刻窓の外を眺めていたジンの顔がよぎる。ジンに再会してから、彼が頑なに口にしなかった、その人。バンの惑うような視線に気付いたのか、ジンはやわらかな表情で言葉を濁した。
「…すまない。この話は、よそうか」
 もう寝よう、そう続けられた言葉は、バンの耳に届かなかった。
「ごめん、」
「え?」
「俺、もう、なにも知らない、ジンのこと」
「バンくん?」
 突然、表情を曇らせたバンに、ジンは慌てて歩み寄る。
「……すきなのに、何も、知らない」
「バンくん、いきなり、どうしたんだい」
「…おれ、怖くて。久しぶりに会ったら、ジンが、知らない人になっちゃったみたいで」
「……」
「すきなのに、すきって、いえなくて、すきっていっていいのかも、もう、自信がなくて……きっと、時間が、経ち過ぎたんだな」
 弱々しく笑って見せれば、向かうジンは泣きそうな、どちらかというと怒ったような表情を作る。そうして、おずおずとバンの肩口に額を寄せ、驚いて身を引く彼を引きよせるように腰に手をまわし、半ば吐き捨てるように呟いた。
「君は、いつも、いつも、そうやって」
「……ジ、ン?」
「……そんなの、僕も、なのに」
 バンは爪弾かれたように顔をあげる。しかし、自身の胸に顔を埋めるジンの表情は窺い知ることができない。
「ジン、」
「…ひとつ、提案があるのだが」
「……?」
「なら、もう一度最初からはじめればいいと思うんだ」

 自然に、指と指が絡まっていく。不意に触れたぬくもりは、ジンからのかすめるだけの口づけだった。気恥ずかしさからか素早く唇を離そうとするジンの手首を掴んで、今度は深く重ね合わせる。久々なせいか否か、息継ぎもままならない。…しかし数分、そうしていただろうか。ほとぼりも冷め、少しだけ冷えた指先を感じながら見つめ合えば、気まずそうに視線を反らされる。それでも、名前を呼べば返事をしてくれる。

「いつもの、ジンだ」
「え?」
「……キスする前は瞬き二回、終わった後にもう二回。あとそれから…」
「ば、バン君!」
 顔を赤らめ、素っ頓狂な声をあげたジンの唇に、バンは人差し指を押し当てる。
「みんな起きちゃうよ?」
「……」
 大人しくなったジンを、今度は自分から抱きしめる。耳元に唇を寄せる。呟く。
「ねえ、教えてよ」
「…え?」
「俺、知りたいんだ」
「何を」
「今までのジンのこと、全部。俺に連絡ひとつくれないで、勝手に留学なんて決めた日から、全部」
「……新しくはじめるんじゃ、」
「新しくはじめるには、相手のことをよく知っておかないとね」
「……根に持ってるのかい」
「当然」

 わざとらしく笑って見せれば、困ったように笑みを浮かべる。弄ぶように指を絡ませ、その手をぎゅっと握りしめれば、ためらいがちに握り返してくる。

「ねえ、教えてよ」

 それが知らないジンでも、それでも、きっと自分は、








2012/02/27
(疑問符)





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