着慣れない和服に身を包んで、祖父の挨拶周りに付き添い、堅苦しく形式ばった祝いの席で精一杯の愛想笑いを振りまく。ジンにとって正月といえば、それ以上でもそれ以下でもない。
 大晦日は、テレビ番組に現を抜かし夜更かしすることもなく、いつもと変わらず規則正しい生活を送る。12月31日だった日めくりのカレンダーは、気付いたら1月1日だったし、また気付いたら1月2日だった。お正月だから、という理由でむやみやたらにはしゃぐことも、はめを外すこともない。……昔、そんなことがあったような気もするが、それは遠い遠い過去の話で、霞がかったようにおぼろげだった。もともと、4歳より以前のことは、あまりよく覚えていないのだ。しかし、そんな頼りない記憶の中でも鮮明に覚えていることがひとつだけあった。人ごみの中で、はぐれないように必死に手を握った、父と、母の――


 そこでジンは、ふと現実に引き戻された。部屋の隅の置時計が、重々しく鐘を鳴らし始めたからだった。響き渡るその音に眉を寄せ、気だるげに身体を起こし、小さく唸りながら伸びをする。机に突っ伏していたため、案の定身体のあちこちが痛い。広い部屋には、ただ時計の音だけが響いていて、それとなくそちらに目をやると、丁度、12時0分。気付いたら今年は、いや、去年は、もう終わってしまったようだ。



 冬休みになるのを見計らって執事と共に移った別荘は、ミソラから少しだけ離れた郊外にある。既にジン名義になっていたそこは人の目に付くことなく、先の事件の後処理に追われていた日々がまるで嘘のように静かだった。身の回りのことは全て執事がやってくれるし、なによりここには祖父が残したたくさんの本がある。過ごすにはもってこいといえるだろう。…少々、静かすぎではあるが。
(…みんなは、どうしているだろうか)
 静かな部屋で数日を過ごしていると、時折騒がしい音が恋しくなるものである。ほんの数日前のことなのに、それはやけに遠い昔のように思えた。正月は一緒に過ごせないことを告げた時の、彼らの残念そうな顔が目に浮かぶ。
(お正月、とは、…みんなで、過ごすものなんだろうか)
 考えてみたがわからない。ジンにとっての正月とは、先に述べた通りのものだった。その事実は、普段陰ひなたなく付き合ってくれる彼らと自分とに、僅かな隔てりがあることを再確認させられたようで、胸が締め付けられるような気持ちになった。
(バン、くん…)
 しばしの別れを告げた際に、とりわけ残念そうな顔をしていた彼を思い出す。彼は年末年始、どんな過ごし方をするのだろうか。少しも予想がつかずに、ジンはまた、ただただ苦しくなった。
 椅子に腰かけ、ぼんやりと想いを巡らせていると丁度、12時を告げる鐘の音が12回目を鳴り終えるところだった。突然、机に無造作に置いていたCCMが、けたたましく着信音を鳴らし始める。驚いたジンは椅子から立ち上がり、慌ててCCMを開く。そして、画面上に光る名前はほとんどを見もせずに、ほぼ無意識的に通話ボタンを押していた。




「もしも…」
『ハッピーニューイヤー!!』
「し……?」
 あまりにも突然すぎる、その挨拶の意味を一瞬忘れかけて、ジンは口を開けたまま押し黙ってしまった。電話越しの彼の口調からはうきうきとした様子が伝わってきたが、だんだんと反応が芳しくなかったことに気付いたのだろう。声は、みるみるうちに不安な響きに変わっていった。
『あれ?ジン?……だよね…』
 先程とは打って変わった、まるで捨てられた子犬のような声に、ジンは我慢しきれず笑い声を漏らす。その声に気付いてまた安堵したのか、まるで尻尾を振らんばかりに嬉しそうなその声に数回呼びかけられる。顔を見なくても、彼の姿がありありと浮かぶようだった。
「……あけましておめでとう、バン君」
『うん、おめでとう』
 声は相変わらず嬉しそうで、思わず顔がほころんだ。そのまま、ゆっくりと椅子に腰かける。
『ジン、今ひとり?』
「うん」
『寂しくない?』
「大丈夫だ、別荘自体は一人じゃないし、それに…」
 続けようとしたところで唐突に、彼の後方から「ジンくーん!」と綺麗に重なった声が聞こえた。ジンがきょとんと口を閉ざしていると、バンは慌ててそちらに向かって何事か非難の声をあげた。
『ああもう、ごめん、ジン…うるさくて』
「いや…バン君のお父様と、お母様、かな?」
『うん、大変だよ。新年だからってはしゃいじゃって』
「たのしそうだね」
『冗談、ただの酔っ払いじゃないか。うるさいだけだよ』
 うんざりと、CCM越しにも聞こえるようにか否か、わざとらしく大きくしたその声に笑ってしまう。後ろからは、まだ楽しげな声が聞こえていた。
『ね、うるさいだろ。お酒がはいると、もう手のつけようがなくて』
「仲睦まじくて、何よりだよ」
『そうかなあ』
 会話が一区切りすると、今度は何故かバンが押し黙った。部屋を移動したのだろうか、先程のにぎやかな声は消え、急に向こう側も静かになった。あちらとこちらで、沈黙が流れている。そうされてしまうと、どうしていいのかわからなくてジンは困ってしまった。CCMを持ちかえながら、たまらず、バンくん、そう名前を呼ぼうと口を開きかけた時、ふいに、彼が息を吸う音が聞こえた。
『…ジン、初詣行かない?』
「初詣?」
『だめ?』
「…だめじゃ、ないけど。いきなり、どうしたんだい」
 うーんと、えーと、バンは必死に言葉をつなげているようだった。そして、やがて意を決したように、彼は言葉を紡ぎ始めた。
『おれ、今年はジンと、いろんな、ことがしたいんだ』
「…いろんな?」
『うん、だから、なんていうか…初詣じゃなくていいんだ。スキーでも、雪合戦でも。春はみんなで花見に行きたいし、夏は海にでも、秋は……とにかく、なんでも……だってジン、こういうの、経験したこと』
「……ない、な」
『だろ?』
 きっと、電話越しの彼は目を輝かせているんだろう。嬉しくて嬉しくてたまらない、そんな調子で、バンは興奮気味に続けた。
『ジンにとってのはじめてが、全部おれだといいと思うんだ』
 一瞬、聞き流しそうになったその言葉を理解した瞬間、ジンは一気に顔が火照るのを感じた。電話越しであることを、初めて嬉しく思う。今度はジンがうろたえる番だった。情けなく、合間の言葉も補えず、ただ狼狽する。彼が自分を呼ぶ声が、やけ遠く聞こえた気がした時だった。
「……ぼくのでよければ、…はじめて、全部あげるよ」
 ふいに、その言葉が自分の口から出てきたことに、ジンは自分で驚いていた。電話越しに、バンが息をのむ声が聞こえる。数秒、数分、沈黙が続いただろうか。気付いたら、時計の長い針が6の数字を過ぎる頃だった。
『……ジン、もしかして眠い?』
「え?」
『だって…ジンがそんなこと、言うなんて…思ってなくて』
「……バンくんこそ、」
『ええ?俺のせい?』
 わざとおどけて見せたようなその声に、自然と口元がゆるんだ。きっと、相手も、真っ赤なんだろう。
「……そうだね……やっぱり眠いのかもしれない…こんな時間まで起きてたの…久しぶりで…」
 そう言うと、何故か自然と欠伸が止まらなくなってきた。電話の向こうで、からからと笑い声が響く。
『ジンって、そんな間抜けた声も出せるんだな』
「……切るよ」
『あっ、ちょっとまってよ、ごめんって、』
 ジンのすねたような口調に苦笑しながらも、バンはCCMを持ち直し、ゆっくりと時間をかけて口を開いた。
『予定、明日にでもメールするから、無視するなよ』
「……」
『今年もよろしく、ジン』
「……よろしく、バン君」
『おやすみ、』
「おやすみ…」

 
 通話の終わりを告げる音がやけに耳に残る。ふと込み上げるものを必死に抑え、泣きそうになりながらも、ベッドに身を沈めた。顔を枕に押し付け、まどろみ始めた意識の中で、ジンは必死に思い巡らせる。明日になったら、カレンダーに予定を書かなくては。その前に、日めくりカレンダーはやめてくれ、と執事に頼もうか。残りの冬休みは、忙しくなりそうだ。

 その後は、夢を見た気がする。初詣の慣れない人ごみの中で、誰かの後を追っている。必死に追いつこうとしながらも、掬われそうになる足元ばかりを見ている。泣きそうになりながら、その誰かを呼ぶ。すると、ふいに、離れそうになる手を、ぎゅっとつながれる。見上げなくても分かる。それはきっと、彼の手なんだろう。







2011/01/04
(今年も君と)
あけましておめでとうございます





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