※女装注意






「「男女逆カップルコンテスト?」」
 二人のその声があまりにもぴったり揃っていたものだから、アミは思わずふき出してしまった。


 秋も近付くある日のことだった。授業が終わったばかりの放課後の教室は、まだざわざわと騒がしく、会話に花を咲かせる生徒達でひしめき合っている。山野バンと海道ジンも、これと言った理由があるわけでもなく、立ち話に興じていた。楽しげに笑い合う二人、そんな彼らに突然声をかけたのは同じクラスの川村アミだった。
「二人とも、話があるんだけれど」
そういうわけで、冒頭に戻る。



「…そうね、ミソラ二中文化祭恒例の、クラス対抗…ファッションショー?とはまた違うけど」
「ああ、もうそんな時期かあ」
 バンは合点がいった、というように間延びした声をあげた。対するジンはいまいち状況が理解できていないかのように、不思議そうに瞬きを繰り返している。
「まあ端的に言うと、クラスから男女をそれぞれ一人ずつ選抜して…男子が女子の格好を、女子が男子の格好をして、ステージをウォーキングするの。だから逆カップル。衣装は作るのも市販のものでもどっちでもあり。資金は学校側から貰っているわ」
 お札が数枚入った茶封筒を、二人の前で小さく振って見せる。へえ、と呟いたバンはようやくその話に興味を持ったのか、少しだけ身を乗り出した。
「テーマは自由。だけど、審査員は先生たちだから、過激なものは即アウト。…優勝クラスにはそれなりに賞品もあるわ。以上、何か質問は?」
「えっと、その…男女…コンテストとは…クラス展示とはまた違うのかい?」
 今まで一言も声を発することの無かったジンが、おずおずとアミを窺がって言った。
「男女逆カップルコンテストよ、ジン。ええ、そうね。オープニングセレモニーのおまけみたいなものだから…」
「あっ、クラス展示もあるのか。だから最近、みんな放課後残ってるんだ」
「そうよ、まったく…、最近二人してすぐ帰っちゃうんだから」
 皮肉たっぷりなその声に、バンとジンはばつが悪そうに顔を見合わせ、そのまま俯いた。最近は、学校帰りにキタジマ模型店に寄ってバトルをするのが日課となっていたのだった。アミは二人をじとっと見つめていたが、やがて、やれやれというように溜息をつく。
「……まあいいわ、許してあげる。……二人には今までの分働いてもらうから」
 一瞬、パッと顔を輝かせたバンとジンだったが、アミの言葉を全て聞き終わった頃には二人とも冷や汗をかいていた。こうなったアミは手のつけようがない。怯える二人を知ってか知らずか、彼女は小さなカバンから赤い縁の眼鏡を取り出しながら、そのままきっぱりと言った。
「わたしが担当になったから」
「……へ?」
「だから、わたしが担当になったの、コンテスト」
「はあ、」
「監督よ、監督。絶対カズのクラスに負けないわよ」
 眼鏡をかけ、フレームをくいっとあげながら、アミは声高らかに言い放つ。
「あんな!ふにゃふにゃの!カズなんかに、負けてたまるもんですか!!」
 その声に、クラスの誰もが驚いて振り向いた。咄嗟にあらやだ、と口に手をあて上品に笑うアミだったが、目は笑っていない。再び顔を見合わせたバンとジンは、おそらく、例の女装役に抜擢されたのだろう、哀れな彼の姿を思い浮かべる。女子に囲まれて、まんざらでもなさそうに笑うカズが、意外と簡単に目に浮かんだ。
「…ご愁傷様だなあ、カズ」
「…そうだね」
「何か言った?」
 その声に二人は凍りついた。揃ってぶんぶんと首を振る。アミはよろしい、とでも言うように天使のような笑みを浮かべ、そして、ジンの方にくるりと向き直った。
「さて……ジン、覚悟はいいかしら」




 ジンが折れるのに、そう時間はかからなかった。最初は何が何でも嫌だと喚いていた彼だったが(ジンがここまで声をあげるのも珍しかった)、アミ率いる女子軍団の勢いの前には成すすべもなかった。最後の希望とでもいうように、ジンが縋るように見つめたバンはというと、にこやかに「似合うと思うなあ」、なんて笑うものだから、ジンはすっかり意気消沈してしまっていた。
「ごめんね、ジン。満場一致だったのよ」
悪びれもせずにそう言ったアミに、いつの間にかとっていたらしいアンケート結果を差し出されれば、ジンはもう何も言えなかった。うなだれるジンの隣で結果を楽しげに眺めていたバンが、彼をなだめるように続けた。
「ほら、ジン、色白いし、顔ちっちゃいし、似合うよ、女装」
「……ぜんぜん、褒められた気がしないよ、バンくん」
「男装の方は、バレー部の彼女にやってもらうわ、今はきっと外周の時間だから…ほら、あそこの」
 二人の会話は一切耳に入っていないらしい、窓の外を眺めていたアミが名前を呼びながら手を振ると、彼女は微笑みながら手を振り返してきた。クラスで一番背の高い女子だった。
「……アミさんが男装するんじゃないのかい?」
「俺もてっきりアミだと思ってた」
 かかわったことのない人物には、いっそう心を許すのに時間がかかるジンのことだ、相手がアミなら、という理由で今回の件を引き受けたようなものなのに、これでは話が別である。
「あら、言ったでしょ、わたしは監督です」
 ジンの願いも虚しくきっぱり言い放ったアミは、近くで待機していた女子数名を呼び寄せる。わくわく、と効果音でも付きそうな面持ちのその女子達は、あっという間に縮こまるジンを取り囲んだ。対するジンは、何が起こっているのかすら分からず、目を白黒させている。
「さっ、ジンくん」
「こっちこっち」
「あ、あの…」
 ほとんど面識のない女子の勢いに気圧されたのか、ジンは借りてきた猫のようにおとなしくなっていた。あっという間に成すすべもなく手を引かれ、きゃいきゃいという悲鳴をまといながら、彼は隣の空き教室に連れて行かれてしまった。台風のようだ、とバンは思った。
「なんというか、トラウマにならないといいけどな……わわっ」
「さあ、バンはあっちね」
 ジンを唖然と見送っていたバンは、いきなりアミに腕を掴まれて倒れそうになった。抗議する暇もなく、そのまま引きずられるような形で、バンは黙々とクラス展示の準備をする男子の集団に放り込まれたのだった。





 それから数十分が経っただろうか。持ち前の器用さを活かして、立て看板にペンキを塗っていたバンは、突然教室に響いた女子達のキンキンした黄色い悲鳴に肩をビクつかせた。塗りかけの看板が汚れないよう気をつけながら、何事かと声の方向に目を向ける、と、そこには。
「ジン…!?」
女子達に囲まれ、ぐったりとしたジンがいた。
「バン、くん…」
 ジンは、バンを見た途端安心して泣きだしそうになっていた。バンは慌ててペンキの付いたエプロンを脱いで駆け寄り、寸でのところで立ち止まって、しげしげと彼を眺めた。身体のあちこちが汚れているため、迂闊に近寄ることができないのをひどく残念に思った。
「……ジン、すごいな、びっくりした。本物の、女の子みたいだ」
「うれしく、ない…」
 赤いスカーフの黒いセーラー服に、タイツ、ローファーといった装いの彼は、なんとも、どこからどうみても女子だった。彼の線の細さと肌の白さが際立っている。軽く化粧でもされたのだろうか、長い睫毛が、より長く綺麗に見えた。
「持ち合わせがこれしかなかったの。でも、全部着こなすなんて、嫉妬しちゃった。ジンにはサイズ、大きいくらいなんだもの」
 横から口を挟んだアミが、うんうんと満足げに頷きながら言った。口には出さなかったが、その目からは勝算が見て取れた。周りの女子達も、ジンの予想以上の出来に頬を染めていたようだった。バンは呆気にとられた。女子とは、本当に、怖い生き物だ。
 そうこうしているうちに騒ぎは広がり、やがてクラスのほとんどの生徒が一斉にジンを取り囲む形となっていた。LBXの大会であれだけ人に囲まれ、注目されても動じなかった彼が、今は顔を真っ赤にさせて俯いている。アミに何か話しかけられても、心ここにあらずといった様子で返事をするだけだった。スカートの裾を皺が出来るのではというくらい握りしめて、必死に羞恥に耐えている。格好のせいだろうか、いつもの数倍小さく、頼りなさげに見えた。
(……かわいい、なあ)
 バンはそう思いながら、ぼんやりとその光景を眺めていた。
 眺めているだけ。だった。はずだったのだが。
 気付いた時には、バンはジンのその手を取って走り出していた。




 後ろから引きとめる声がしたが気にしない。
 教室を、それはもう勢いよく飛び出し、廊下を全力で駆け抜け、階段を駆け降りる。強引に引っ張られるような形になったジンは驚いていたが、その手が離されることはなかった。むしろ、強く握り返された。それだけで、胸が締め付けられるほどに嬉しかった。何度か人にぶつかりそうになりながらも、スピードを緩めることなく外へ飛び出す。行く当てもなく、ただ人から逃れるように裏庭に向かった。ひと気が全くないそこでようやく立ち止り、バンはジンの手を離す。呼吸を落ちつかせながら、ジンと向き合う。彼は驚きと、不安と、羞恥と、いろいろな感情がせめぎ合った顔をしていた。耐えきれず、そのまま、力任せに抱きしめる。
「バン、くん…?」
「ごめんな、いきなり、こんな」
 息が上がっているため、声が上手く出せない。バンは動揺していた。いったい、なんで自分がこんなことをしたのか、もはや分からなかった。声を紡げずにうろたえていると、ジンはおずおずとバンの背に手をまわし、優しく、バンの頭を撫で始めた。
「僕は、平気だ。全然平気だよ。気にしないで」
 自分のことを落ち着かせようと微笑んで見せるその顔と、温かい指の感触の優しさに、バンはたまらず泣きそうになった。
「バン君、どうしたんだい、言ってみて。ゆっくりでいいから」
 ジンの声音はひたすら優しかった。ゆっくり、つられるように、バンは口を開く。
「ジン、が、そんな、…かわいかったら、みんな、ジンのこと、意識しちゃうだろ」
「そんな心配は…」
「いる!」
 バンは、より一層強くジンを抱きしめた。服のせいだろうか、女の子のような、ふんわりとした香りがひろがった。
「やっぱり、嫌だよ、ジンが、全校生徒の前で、こんな格好…」
「それは…僕も、嫌だよ」
「なら…!」
「……なら、聞くけど、なんでバンくんはあの時、反対してくれなかったんだい」
 あの時、アミ達から女装を強いられ、縋るように助けを求めてきたジンの目を思い出す。
 少しばかり不機嫌そうな音を含んだその質問は、全くもっともなことでありバンは少しばかり口ごもった。
「……それは、えっと…」
「……?」
「見てみたい、っていうのは、本音だったから…?」
「……」
 ジンは、溜息をついて肩を竦めた。そして、困ったように笑ってから、ゆっくりと目を瞑った。
「……げんきんだね、バン君は、」
 バンは目を見開いた。ジンの柔らかい唇が、バンの唇を塞ぎこんだからだった。ジンからの口づけは、初めてだった。触れるだけの、一瞬の出来事が、数分のように感じられた。やがて名残惜しげに離されたその形のいい唇が、ゆっくりと動き始めるのを、バンはぼんやりと眺めていた。
「……バンくんに頼まれたら、…君の前なら、こんな格好、いくらでもしてあげるさ」
 時と場合によるけどね、とジンは笑った。
「ジン、」
「…もう一度、アミさんに、代役のこと、お願いしてみる、」
「ごめん、ジン……」
「いいんだよ、元々僕がやりたくなかったことなんだから。バン君は気にしないで、…それより、これ、どうしようね」
 ぱっと身を離したジンの俯く視線を追ってみると、そこには乾ききっていなかったペンキでべたべたになってしまったセーラー服があった。濃い黄色がべったりと付着したそこは、慌ててこすったところでさらに広がるだろう。なすすべもなく言葉を失っていると、なぜだか、どうしようもなくおかしくなってきた。どちらともなく笑い合って、二人は再三のキスを交わした。



 さて、遅れてご登場した二人の平謝りに対して、アミがこれほどにないまで怒りを爆発させ…たかと思ったら、バンの耳元で“もっとバレないところでやりなさいよ”と意味ありげに笑いながら囁いたのはそれから数十分後。
 そして後日、クリーニング仕立てのセーラー服を着て、コンテストに出場することとなった山野バンの姿が、あったとか、なかったとか。








2011/12/30
(男子と女子と)





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -