中学1年生から男子テニス部のマネージャーになって、あれから5年が経った。高校2年生になった今でも、私は変わらずテニス部でみんなをサポートしていけると、


そう、思ってんだ。


ねえ、私たちが過ごした5年間って、




無意味だったのかなあ。










目覚ましの音で目覚める朝。時計を見ると4時半という何とも早い時間。早いけど、これが私の常だった。

そう、“だった”んだ。



「…そういえば、やめたんだった」



5年間続けた習慣って怖い。もうすっかり覚めてしまった頭に苦笑して、また布団に潜り込んだ。時間はまだまだたっぷりある。もう少し、幸せな夢に浸っていてもいいよね?

その数分後、部屋からは規則的な寝息が聞こえてきたのだった。





「おはよう、莉藍ちゃん」

「おはようまま。いい匂いだね」

「ふふっ、莉藍ちゃんと朝ごはん食べるの久しぶりだから、まま頑張っちゃった」



本当に嬉しそうに微笑む母親の姿を見て、莉藍はやっぱり決意してよかったと改めて思った。

テーブルに並べられてあるのは、母親お手製のアプリコットジャムが塗られた焼きたてのトーストに、お洒落なティーカップに淹れられたミルクティー。そしてデザートに、と小皿に盛り付けられた鮮やかな果物。

朝からこんなに豪勢な食事を見たことさえ久々で、莉藍の頬も緩み、それを隠すように席に着いた。



「このジャム美味しい!」

「頑張ったもの!でも今回のは元が良かったからっていうのもあるわね」



莉藍の言葉ににこにこと頬を赤らめて喜ぶ母親。莉藍はそれを見てまだまだここにいたいと思ったが、生憎今日は学校がある。いつまでもこうしてのんびりしているわけにはいかない、とお喋りもそこそこに終わらせた。

玄関でローファーを履き、くるりと後ろを振り返る。いつもはなかった母親のお見送りに心が躍ってしまうのも、仕方がないのかもしれない。



「それじゃあまま、行ってきます」

「行ってらっしゃい。何かあったらすぐに連絡するのよ?」

「うん!じゃあね」



心配性な母親を背に、扉を閉めた。久々のローファーにそれだけで生活が新しくなったかのように思える。

今までは、テニスコートを傷つけない為に運動靴を履いて学校へ行っていたが、それももう莉藍には関係ない。学生の多くが履いているローファーを自分も今履いているのだと実感し、また嬉しくなった。



「おはよー」

「あ、おはよう莉藍」

「おっはよっ!莉藍ちゃんテニス部やめたんだってね!やっほい!」

「おま、喜びすぎだろ…」

「えー?タロちゃんは嬉しくないの?」

「ばっ、嬉しいに決まってんだろ!? でもさ、ほら……」



そこで言葉が詰まったタロちゃんもとい太郎は、ごにょごにょと言いづらそうに口を動かす。

そんなクラスメートが何を言いたいかわかった莉藍は、くすりと笑った。



「いいよ、タロちゃん。これは私が決めた事だし、今はもっと早くに辞めてればよかったって思ってるからさ!」



清々しい莉藍の笑顔に、太郎も、周りで見ていた他のクラスメートもわあっ!と騒ぎ出し、莉藍を中心に群がる。



「ねえねえ!じゃあさ、今日クラスで集まらない!? あそこのバイキング行こうよ!」

「今日は急すぎんだろ…来週とかでいいんじゃねーの?」

「それがいい!あたし今日バイトだからさ!」

「おっけー、なら来週ね!今回の集まりは莉藍も来るし、初めての全員参加じゃん!」



盛り上がるクラスメートを見ていると、ぽん、と莉藍の肩を誰かが叩く。後ろからのそれに莉藍は顔だけ振り向かせると、そこには嘘偽りのない笑顔を浮かべた早瀬はやせ海斗かいとが立っていた。



「海斗っ、おはよう!」

「はよ。朝から元気だな、莉藍もクラスの奴らも」

「みんな私の退部に喜んでくれてるんだよ」

「あぁ…だから莉藍がこんな時間に教室にいるんだな。……よかったな、辞めれて」



ここ最近の部活内での莉藍の扱いを知っているこのクラスだからこそ、みんな莉藍が部活を辞めたいということを知っていた。



「へへ…うん、よかった」



ゆるゆると緩む頬を隠すように手の甲を口元に近づける。そんな莉藍の照れ隠しに海斗も安心したように笑った。


すると、廊下から黄色い声が響いてきた。それだけでわかる。テニス部が朝練からやって来たのだと。



「ほら、みんな!作戦A!」

『『『ラジャッ』』』



莉藍が驚くのも束の間。クラスメート達は俊敏な動きで莉藍を教室の奥まで連れて行き、そこで莉藍を中心となるようにみんなで囲む。それだけじゃあ変だから、ということで数個のグループを作り、ワイワイと騒ぎ始めた。

え?え?と莉藍の戸惑う顔に、莉藍を囲んでいるクラスメート達は大爆笑だ。



「やだもう、精市くんったら!」

「ふふ、でも本当のことだよ?紗凪子さなこのおかげで俺達は安心して練習ができるんだから」

「も、もうわかったから。その…は、恥ずかしい…」

「本当に紗凪子は可愛いな!な、ジャッカル!」

「ん?……あぁ、そうだな」

「それにしてもほんとによぉ働くのう、柳生もそう思うじゃろ?」

「えぇ、素晴らしい女性だと思いますね」

「っ、みんなしてなに…?そんなこと言っても何も出ないからね!」

「紗凪子が照れている確率は98%だな」

「〜〜〜っ蓮二くん!!!」



仲のいい話し声が教室まで聞こえてくる。やはりつい最近まで一緒にいたからか、莉藍は辛そうに目を伏せていた。

5年。5年という年月は、忘れるにはあまりにも想い出が多すぎる。



「……莉藍、」

「…大丈夫だよ、海斗」



心配そうに名前を呼ぶ海斗に、莉藍は力無さげに笑みを作った。

暫くするとその声も聞こえなくなり、クラスメート達はほっと息を吐いた。



「やっと行ったな!」

「朝っぱらから煩い団体だぜ」

「…ねえ、あの作戦Aってなんなの?」

「ん?ふふふっ、みんなで考えた作戦!」

「…内容を詳しく言う気はないんだね」

「当たり前よ!まあまあ、莉藍は気にしなくていいわよ」



友人に半ば無理やり宥められ、莉藍は諦め気味に自分の席に着いた。みんながそうやって考えてくれた事が嬉しかった、というのは秘密だ。

その後、担任が教室にやって来てHRが始まる。


いつもとは少し違う、そしてこれから始まる日常の最初の一日目は、こうして幕を開けたのだった。