あれから一日は経ったと思う。やはり足と馬ではどうしても速さが違う。
早く、速く、ともどかしい想いを胸に溜めながら森の中を歩いて行くと、ガヤガヤと賑わっている市場へ辿り着いた。凄く疲れたわけではないが、それでも多少は疲労感のあった体を休めるのに丁度いいとメリルはふらっと立ち寄ることにした。
「いらっしゃい!今なら安くしとくよ!」
林檎を山の様に積んだ商人の声がメリルの耳に入ってきた。お?と目を向けると、バチっと商人と目が合う。にかりと笑った商人はちょいちょいと手招きをした。
「いらっしゃい!嬢ちゃんはどっから来た?」
「えー、と、空の部族の所から来ました」
「!」
「空の部族?この子らと一緒じゃねェか!」
メリルの空の部族と言う言葉に反応したのは、隣で商売を営んでいたユン。そんなユンを商人が指差すものだから、メリルも自然とそこへ目が行った。
「(…美少…年?女?どっちだろう…)貴方も空の部族を通って来たんですか?」
「あー、うん」
「他にもお仲間さんが?」
「まあね。今はみんな思い思いに買い物行ってると思うけど」
「へぇ…、それじゃあ頑張って下さい」
購入した林檎の入った紙袋を両手で抱き抱えて去ろうと立ち上がる。メリルがユンから背を向けた瞬間、
「ただいま、ユン」
「おかえり、ヨナ!雷獣も」
「僕らも帰って来たよ」
「ジェハ、キジャ達も…。みんな早かったね」
「ユン一人に任せてられないもの」
ドクン、と心臓が一つ波打った。危うく紙袋を落としそうになったが何とか阻止し、進もうとしていた足が止まる。
聞きたくて、聞きたくて仕方がなかった声が、すぐそこにある。
「嬢ちゃん、大丈夫か?」
林檎を買った店の商人が、メリルへ労わりの言葉をかける。それに気づいたヨナ達もメリルへ目を向けた。
「誰だ?」
「俺たちと同じ、空の部族から来たんだって」
「ふーん…姫さん?」
ヨナはユンの言葉を聞いて、メリルの元へ歩み寄る。近づいてきたヨナの気配にメリルはハッとなり、商人に軽く礼を言って歩こうとした。
けれど、それよりもヨナがメリルの腕を掴む方が早かった。
「貴方、大丈夫?少し休んで行くといいわ」
優しいヨナに、ぐっと息が詰まる。ああもう、昔はもっと見た目に気を使って、姫様らしい姫様だったのに。今は修羅場を幾つも越えてきた者のようだ。
「だ、いじょうぶです。すみませんでした」
震える声を抑えながらヨナに謝り、再び歩こうとするメリル。それを側で傍観していたハクが、メリルの被っていたフードを取った。
瞬間、ハラリと風で靡く空色の髪。
ヨナとハクの、息を呑む声が聞こえた。
「ぁ…メリル…?」
ヨナに名前を呼ばれたメリルは、諦めたようにヨナへと振り向いた。その空色の瞳に見つめられたヨナは、目を見開きわなわなと震える。
突然二人の様子が変わったことに、ジェハ達も臨戦態勢とまではいかないが、それなりに気を巡らす。
目の前の女は、敵か、味方か。
「どうして、ここに…」
するのハクがヨナを自身の背中で隠した。当たり前だ。今や高華国の兵達は全て敵と言っても過言ではないのだから。
ハクは、従者として当たり前の事をした。
「…ハク、」
「姫さん、迂闊に近づくな。お前らもだ。こいつは俺と張り合えるくらいに強い」
ハクにそこまで言わせてしまう目の前の少女に、ジェハは訝しげに見やる。見た所ヨナよりも少し年上なように思えるが、そこまで力があるとは思えない。けれど、あのハクが“強い”と言うのだ。その実力は侮れない。
「…メリル、貴方は……敵?それとも…味方…?」
ヨナの問いに、メリルは悲しげに微笑んだ。その笑みを見た瞬間、ハクはその長い槍をメリルへ突きつけた。
眼前に鋭い槍があるにも関わらず、顔色一つ変えないメリル。なるほど、ハクの言うことは本当らしい。ジェハはふぅん、と楽しそうに笑った。
そんなジェハとは裏腹に、ヨナは冷や汗をたらりと流しながら慌ててハクの名前を呼んだ。
「は、ハク…っ…!」
「下がってて下さいね、姫さん。流石にメリル相手じゃああんたを守りながら戦うのはしんどいからな」
久しぶりの強敵に、自分の中のケモノがにやりと笑う。そして、本能のままにメリルへ斬りかかった。
あともう少し、というところでメリルは腰に差していた刀を鞘から抜き、キン!とその迫り来る槍を弾いた。その後すぐにハクの首目掛けて刀を振り下ろすも、槍の柄部分で受け止められる。
「あのハクのスピードについて行ってるなんて…」
「…空狼」
「え?」
「メリルは、その速いスピードから“空狼”と呼ばれているらしいわ。今までその本当の意味を理解してなかったけど…、やっと、意味が分かったわ」
ジェハは知ってる?と尋ねられ、こくりと頷いた。知ってるも何も、空狼の名は有名だ。それこそ雷獣と同じか、それ以上に。
まさかその空狼が女だったとは思いもしなかったが。
二人の戦いはヒートアップしていく。流石に見かねたヨナはキジャの緩んだ手を振り払って二人の元へ走っていく。
後ろから自分を止める声を聞きながら。
「やめて、……やめなさい!!」
ヨナはハクを守るように、その両腕を広げて二人の間に入り込んだ。それにはさすがの二人も驚き即座にピタリと動きを止める。
すぐにハクが自分の後ろにヨナをやったが、怒りはあるらしくヨナに向かって怒鳴った。
「いきなり何をしてるんだあんたは!!」
「だ、だって!」
「だってじゃないだろ!! おいこら白蛇!」
「す、すみません姫様!」
「キジャのせいじゃないわ!元はと言えばハクがメリルに斬りかかるからでしょ!?」
ギャーギャーと騒がしくなったヨナ達。ぽつんと放置されたメリルは、目の前で繰り広げられるやり取りにふはっと笑みが溢れた。
そんなメリルの笑い声が聞こえたヨナ達は、言い合いをやめてメリルを見る。見られている本人であるメリルは、最後に見せたものと同じ、へにゃりと穏やかな笑顔を見せて頭を垂れた。
それは、昔イルとヨナに忠誠を誓った日と同じ光景だった。
「…――長くお側を離れて、大事な時に貴方様をお守り出来なくて、申し訳ありませんでした」
イルが亡くなった時、城から追われた時、兵に見つかって殺されかけた時、
貴方の側に居なかったことが、こんなにも悔しいなんて。
「…メリルは、私の、味方……なの?」
そうであって欲しい
そんな願いの込められた、先ほどと似たような問いかけにメリルは顔を上げて目を細めた。
「私は、陛下直々に命じられた貴方様――ヨナ姫様の従者に御座います。
味方以外の、何者でも御座いません」
その一言に、ヨナはメリルへ飛びついた。涙を散らしてメリルの肩へ顔を埋めて大泣きしだしたヨナに、メリルはついにあたふたを焦り始め、ハクへ助けの眼差しを送る。
それをハクは見なかったふりをして無視する。途端にガガン!と白目を向くメリルに、可笑しそうにハクは笑った。
「う、…っふ、……よかった…メリルが無事で、本当に……!」
「姫様…、」
髪も短くなって、体には擦り傷が目立つ。1年前までは傷一つない肌で、髪も腰下までの長さだったのに…。
変わり果てたヨナの姿に、ズキリと胸が痛む。
「…もう、何処にも行きませんよ」
やっと、帰ってこれた
貴方の元に
「…お帰りなさい、メリル」
涙で潤む瞳を細めて、綺麗に微笑むヨナ。一瞬ほけっと惚けてしまったが、すぐに気を取り直して口を開いた。
「はいっ……ただいま、帰りました。ヨナ姫様…!」
流れるような動作で跪く。
空色の狼は、漸く紅き姫と再会を果たした。
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