門限も遠に過ぎ、夜の21時。私は動きやすいTシャツ短パン姿になり、右足にはサポーターを付ける。奥にしまっていたダンボールからバスケットボールを取り出して、履き慣れた靴を履いて寮を出た。
5月の夜はまだ薄ら寒い。まずは体を温めないと、と走ることにした。田舎ならではの星の明るさを頼りに、私は配分ペースを崩す事なく走る。ボールは分かり易い場所に置いたため、勝手にどこかへ消えるなんて事もないだろう…多分。
20分程走り、体から汗が流れる。そよそよと漂う風が心地いいが、それもそこそこに首筋に伝う汗をタオルで乱暴に拭い、もう行き慣れた外に設置されてあるバスケットコートへ足を踏み入れた。
ゴールの下に取ってきたボールを置き、その近くでまずはアップをとる。念入りに体を解した後、持ってきておいたスポドリを一口飲み、ボールを手に取った。
数回ボールをバウンドさせ、まずはシュートタッチを確かめるように3Pラインからボールを放つ。そのボールは、リングに当たることなく綺麗にネットをくぐった。
「よしっ」
毎日これはしているが、衰えていないのは嬉しいものだ。むしろ衰えていようものなら、この3Pシュートを教えてくれた緑色のおは朝信者に怒られてしまう。
ゴール下に転がるボールを拾い、それを額に当てて目を閉じる。ドクン、ドクン、と自分の心臓音が鮮明に聴こえてくる。そして数秒後、スッと目を開けて深く息を吐いた。
「っ、」
反対側のゴールへ、ドリブルをしながら向かう。頭の中で敵がそこにいるかのように思い浮かべ、ボールへ伸びてくる手を避けるかのように、背中の後ろでボールを右手から左手へ移動させる。一回ボールを弾ませ、体を捻りながら上体をそらし、勢い良くボールを投げた。スパッと気持ちのいい音が鳴り、ボールは重力に従い下へ落ちる。
「ふー、いい感じ!」
うんうん、と今の自分の動きに満足して、またボールを弾ませる。完全に自分の世界に入っていた私は、全くもって油断していた。
「こんな時間に彷徨いてるとはいい御身分だなァ」
「………生徒会長…」
コートに入ってきたのは、星月学園の生徒会長。緑色の瞳を細めて、呆れた顔をしている。
ああ最悪だ。選りに選って生徒会長なんていう面倒な人に見つかるだなんて。
私と生徒会長は、これが初対面じゃない。もっと前、入学式の時に話しかけられたのを今でも覚えている。
「女がこんな夜に彷徨くのは“襲って下さい”って言ってるようなもんだぞ!」
「いいじゃないですか、昼にやったってそれこそ格好の餌食じゃないですか」
「夜はもっとダメだ!ほら、さっさと寮に帰れ!」
「まだ今日のノルマは終わってないので、帰れないです」
「ノルマぁ?んなもん誰が決めたんだよ。天羽はバスケ部じゃないだろ?」
意味がわからないとでも言いたげな会長に、さも当然とばかりに私は告げた。
「部長です、中学時代の」
「中学!? そんなのもう関係ねぇだろーが!」
「それが私たちにはあるんですよ。これを毎日しないと怒られちゃうんです」
忘れもしない、入学して一週間が経った金曜日のこと。その日は何故か凄く疲れていて、練習するのも忘れて熟睡していたら、次の日に征十郎から電話がかかってきて物凄く怒られたのを。
どうしてわかったのか、なんて彼にしてみれば愚問でしかない。その日から私は練習を欠かした事がないのだ。
「もうすぐ終わりますから、放っといて下さい。例え襲われたとしても、会長には関係のない事ですし」
「関係ない事あるか!お前はここの生徒!それだけで守るのは当たり前だろ!」
「……いや、別にいいですってば」
「だから生徒会に入れ!」
「いやいやいや、話ぶっ飛んでます。ていうかそれ前にも断りましたよね?」
人の話を聞かない人だな、ほんと。入学式の日も生徒会に勧誘してきたが、即答でお断りさせてもらったのだが、まさか忘れてるなんて事はないだろう。
「とにかく、守るなら夜久先輩を守って下さい。あの人いろいろ無防備ですし」
「天羽も守ると言っているんだ」
「いりませんてば。…どうしても理由を付けるなら、貴方が私を見ていないからです」
シュッとボールを軽く放り、ガンッとリングに当たってネットをくぐる。あーあ、またボールを取りに行かなければ。
「…どういう意味だ。俺はちゃんとお前を、」
「お気付きではないでしょうから、はっきり言っておきます。
私を、誰と重ねて見てるんですか?」
拾い上げたボールを抱えて、会長の瞳を見つめる。深緑の瞳はゆらっと揺らぎ、開かれた口からは何も音が発せられない。
どうやら今の私の質問に心当たりがあるようで、必死に次の言葉を探している。別にそんな事をしなくてもいいのに、てかそこまで焦る必要はないと思う。
人は誰かを重ねて見てしまうものだ。それが似ている人なら尚更。私が誰と似ているかなんてそれこそ私には関係のない話だが、予想は……、
「もしかして、私と夜久先輩を重ねてます?」
「!!」
当たってしまった。会長はわかりやすく肩をビクリと反応させ、驚いた眼差しを向けてきた。いや、ただの勘です。
「別に、ずっと一緒のように見られるのは不愉快ですけど、ひとときでしたら何とも思いませんよ、私は。他の人がどうかなんて知りませんけど」
置いていたタオルで汗を拭う。今日もいっぱい汗かいたなー、なんてどうでもいいことを思いながらコートを出た。本当はまだ少しノルマは残っているが、もう今日は続行不可能だろう。
「帰らないんですか?」
「え、あっ、帰る、」
「では、失礼します。おやすみなさい」
ぺこりと軽く礼をして、私は会長に背を向けて歩き出した。思えばあの自信家な会長が珍しく吃ってたなぁ。それほどびっくりしたのかな、と首を傾げながら自室に戻り、シャワーを浴びてスマホを見た。
卒業してから一度も欠かすことなく続いてる、一人の人とのLINE。内容は日々の日常生活だが、これが私の癒しとなっているのは間違いない。
「…ほー、涼君とこに勝ったんだ…。いいねぇいいねぇ、順調じゃん…キセキ倒し」
くふふ、と嬉しくて思わず笑ってしまう。キセキのみんなは大好きだが、今のみんなのバスケは正直好きではない。むしろ嫌いの部類だ。
「なーんか、久々に会いたいかも。虹村先輩に」
もう一年は会っていない元主将を思い浮かべる。我儘だらけな私達を纏めるのは大変だっただろうに、怒りながらもちゃんと最後まで面倒を見てくれた、大切で大好きな先輩。
ふ、と口元を緩め、返信していなかったLINEに返す。
「《黄色いわんこ、やっつけたんだね、おめでと!次は何処だろう…真君とか?笑》」
みね君とは多分まだだろうし、残る選択肢は真君しかない。そう推測して言ってみたが、外れたら笑い物だな。
返信を待とうとしたが、急速に来た眠気に抗うことなく私は眠ってしまったのだった。
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