「は!? なまえってここに通ってたの!?」
「う、うん」
「もっと早く言ってよ!!」
「クソ川うるせぇ」
「岩ちゃんだって驚いてたくせに!!」
「そりゃあ驚いたけど…んな怒ることか?」


「怒ることだよ!!」と声を荒げる及川にとうとう我慢ならなくなったらしく、岩泉は眉間に皺を寄せてゴツン! と及川の頭を殴った。「痛い!」及川の叫びがこだました。


「オレたちはまだ納得いってないンだけドォ? みょうじチャン?」
「靖友しつこい……」
「アァ!?」
「荒北、もう少し優しく言ってやれといつも言ってるだろう! だからなまえが転校してしまったのだぞ!?」
「なに、それは本当か?」
「そうだぞ福、すべては荒北のせいだ」
「東堂ォ!?」


このやり取りを見るのも久々だ。
なまえはクスクスと笑い、やがて一粒の涙をこぼした。


「あれ…なんで……」


おかしいな、と人差し指で拭うも、涙は止まらず頬を濡らしてゆく。


「なまえ、」


東堂が、名前を呼んだ。


「……たし、だって、」
「え?」


ぎゅう、なまえは及川の手を強く握った。思いの丈をぶつけるように。強く、強く。


「私だって! ずっとここにいたかった!」


初めて明かされる、なまえの本当の想い。喉の奥から絞るような声に、その場にいた全員が目を見開いた。
普段のなまえは、冷静で、いつだって自分たちを見守ってくれている存在だった。そんななまえが子どもみたいに泣きじゃくり、叫んでいるなんてとても信じられる光景じゃなかった。


「みんなと一緒にインハイ行きたかった! 応援したかった! ゴールで出迎えたかった! っ、お、『お疲れ様』って言いたかった! ……っ、でも、できなかった…!」


目を強く瞑り、視界を閉ざす。ずっと栓をしてきた想いが口から溢れて止まらない。


「っ、――…っ、ずっと、ずっと、会いたかったよぉ…!!」


ためて、ためて、溜め込んでいた言葉が、涙とともに外へ出てゆく。それは福富達の胸にするりと入り込んできた。
――あぁ、なんだ。なまえも一緒の気持ちだったのか。そう認めてしまえば、次第に顔には笑みが広がっていく。


「俺たちも、一緒にいたかったぜ」


新開の柔らかい声が、鼓膜を揺らす。ぎゅっと瞑っていた目をそろそろと開け、なまえは及川や花巻達の肩越しから顔を覗かせた。その表情は声色と同じくらい優しげなもので。
ああ、やっと会えた。


「〜〜〜っ、ふくちゃん、っ、しんかい、じんぱち、やすとも……ッ…!!」


箱根学園から出て行ったあの日のように、手を伸ばした。あの時は虚しく空を切ったが、今度は違う。
精一杯伸ばされた手は、大きな手に包まれた。







「――で、親戚のお家にってことで宮城に引っ越すことになったの」


あのあと、場所を食堂に変えてなまえが転校の理由を語った。
両親ともに交通事故で他界してしまったこと。一人になったなまえは宮城の親戚に預けられることになったこと。だから転校しなければならなくなったこと。


「最初はね、宮城なんてって思って…ふさぎこんでたの。誰とも関わりたくなくて、ずっと窓の外見て。そんな私の手を引っ張ってくれたのが、及川だった」


あれは、なまえの心と同じように少しどんよりした雲空だった。


「ねえねえ!」
「…………」
「ねえねえってば!」
「……なに、」
「やっと見てくれた! このイケメンをシカトするなんて!」
「…………」
「ごめんって! 謝るからそんな目で見ないでくれる?」



第一印象は最悪だった。でも、話をしているうちに尽八みたいだなって思って、気づいたら笑ってた。


「ほら、体育館シューズ持って」
「は?」
「いいから! はい!」
「ちょ、及川……」
「よし! レッツゴー!」



ほんの少し仲良くなった頃。及川は突然私に体育館シューズを待たせて、椅子から引っ張り上げて廊下を走り去る。もちろん引っ張られてる私も走った。
着いた先は体育館。まだ二年生の及川は遅刻の言い訳をして私を二階に連れて行った。


「ここで見てて」


そう言って、及川は私を置いてさっさと練習に参加してしまい、私は仕方なく練習を見ることに。
――ダンッ!! そんな音が聞こえて、私は目をそこへ向けた。その音は及川がサーブを放ったもので、もう一本打とうとしていたから、私はそのまま見ていた。ボールが宙へ放たれる。キュキュ、とスキール音が小さく聞こえ、及川は跳んだ。高く、高く。
――ダンッ!!さっきと同じ音が体育館に響いた。だが、なまえの胸中はまったく違っていた。


「……すごい…」


なんだろう、この高揚感は。――ああ、自転車と似てるんだ。ワクワクして、ドキドキして、目が離せなくて――…。ずっと見ていたい。


――気づいたら、私はバレー部の入部届けを提出していた。


「で、今もバレー部にいるって感じかな」
「えー、及川ってば超初心〜!」
「なんでよ!!」


あはは、と笑い声が食堂を包む。その本心からの笑顔に、福富達は互いに顔を見合わせてやれやれと首を振った。


「今年のインターハイ、勝つのは俺たちだ」


まだ始まっていない、高校最後の夏の大会――インターハイ。福富達は皆強い光を瞳に宿して、それをなまえへと向けた。


「その俺たちに、お前さんも入ってるんだぜ、なまえ」
「新開……」
「そうだな。来れるようなら来てくれ。今年は我が箱根だからな!」
「尽八…」
「つかゴールで出迎えててくれネェの?」
「靖友、」
「言っただろう。――俺たちは強い、と」
「福ちゃん………」


止まっていた涙が、また頬を伝って流れ落ちた。テーブルにぽたぽたと小さな水溜りが作られてゆく。


「いつでも来い。お前の居場所はここにもある」


力強い言葉に、なまえは声にならずただただ頷いた。こくり、こくりと、何度もなんども。
父と母が死に、自転車部のみんなと離れ離れになって、突然新しい環境になって。どうしようもなく不安だった。もう居場所なんてなくなってしまったかと思った。
だけど、それは違った。新しい居場所は及川が作ってくれて、ここの居場所も福富達が守ってくれていた。


「ありがとうっ………!」


嗚咽交じりに出たそれは、ゆっくりゆっくりみんなの心に溶け込んでいった。



(おまけ)

「何言ってんの!? なまえは俺の方が好きですー」
「及川と言ったな、お前こそ勘違いは止した方がいいぞ! なまえはこの俺に惚れているのだ!」
「…頼むクソ川…それ以上はやめろ。あとで恥ずかしい思いをするのはお前だぞ…」
「東堂ォ、テメェもだよ!! なまえがいつンなこと言ったヨォ!?」


穏やかに話が終わるかと思いきや、いつの間にか『なまえはどっちが好きか』という議題で二人が騒ぐ。
それを見て岩泉と荒北が眉間に皺を寄せて止めようとするが、二人は聞く耳持たず。
言われている当の本人は、


「ねえねえ福ちゃん。久しぶりに福ちゃんの走り見たい!」
「わかった。すぐに準備してこよう」
「なら、ウサ吉見に行くか?なまえ」
「あ、行く。新開もママっぷりが板についてるね」


まったく興味を持たず、福富と新開と一緒に食堂を去ったのだった。はてさて、それを彼らが気づくのは一体いつになることやら。