その日の夜の事だった。
各々自主練に励むのをサポートするマネージャー陣。例に漏れずなまえも汗だくになりながら体育館の側の通路を走る。大量の洗濯物を洗うためだ。


「あ、烏野のマネージャー」
「おお! ヘイマネージャー!」


洗濯機へ放り込み、また体育館へ戻ろうとするなまえを呼び止めたのは、第三体育館で自主練をしていた黒尾と木兎だった。
思いもよらなかった人物達に、なまえは首を傾げながら返事をする。


「こっち手伝ってくんね? ボトルとか用意する暇なくてさー」
「あ、はい! 分かりました」


あまり関わった事のない他校の、しかも主将からの頼みを無碍にする事など出来るわけもなく、なまえは谷地や清子にこの事を伝えに早足で戻る。


「仁花ちゃん!」
「ファッ! ふぁい!!」
「あ、ごめん……。あの、私第三体育館に行ってくるから、何かあったら呼びに来てね」
「う、うん! こっちは任せて!」
「頼んだ!」


谷地の敬礼に倣いなまえも敬礼をしてからまた第三体育館へ。
ダン! と響く鈍い音を聞きながら、なまえはタオルやらドリンクやらを準備した後、赤葦のトスで上がったボールを強烈なスパイクで黒尾のコートに叩き込むシーンをコート側で見守る。


「わあ! 凄いですね!」
「へっへーん! だろだろ?」
「調子乗んなよ木兎! 次は俺が止める!」
「次も俺が決めんだよ!!」


子どものようなやり取りになまえは笑う。すると、どこか遠くで『ヅッギイイイイ!!!』と奇声が聞こえてきた。


「……なんだ?今の」
「おいおい幽霊とかか?」
「ゆっ!? な、ななななワケねーだろ! なっ、あかーし!!」
「はぁ…もしかするといるかもしれ、」
「そゆこと言うのヤメテ!!?」
「(…山口くんだ)」


“ツッキー”と呼ぶのは山口しかいない。なまえは漸く一歩踏み出した山口に、そっと心の中でお礼を言った。


「(コートに立っていない私が、蛍くんに言えることなんて何もないけど、山口くんは違う。いつだって一緒にいた山口くんだからこそ、蛍くんの心に届く。……ありがとう、山口くん)」


そして幽霊騒動を無理やり終わらせた木兎は、またもやスパイクを打つ。だが、今度は黒尾に止められて地団駄を踏んだ。
そんな中、木兎の誘いを一度は断った月島が第三体育館にやって来た。以前とは違うその顔つきになまえは見えないようにこっそり微笑む。
月島が木兎達に自分の質問をぶつけるのを聞きながら、とりあえずモップ掛けをして汗を拭き取る。チラリと月島の顔を見ると、そこにはもう今までの月島はいなかった。


「――てか、なまえがいるとか聞いてないんだけど」
「私だって急にお誘いされたんだから、蛍くんに言えるわけないでしょー? それに蛍くん、『遠慮しときます』って言ってたじゃん」
「それはそうだけど……」
「なになに? どーいう関係??」


ニヤニヤと聞いてくる黒尾や木兎を適当にあしらい、月島は練習に参加することに。
同じMBの黒尾からアドバイスを受けながら木兎の強烈スパイクを止めるべく飛ぶ月島の姿に、なまえの口元はゆるゆると緩む。


「殻を破った雛烏は、やがて大空へ飛び立つ」


そんな言葉を呟いたなまえは時計を見て「そろそろご飯食べないと終わっちゃいますよー」と白熱中の選手達に声をかけたのだった。
ご飯を食べ終わり、月島となまえは並んで段差に腰掛ける。夜でもじとりとした暑さは残っていて、二人ともうっすらと汗をかいていた。


「山口くんには感謝しないとね」
「……知ってたわけ?」
「知らなかったよ。でも蛍くんを呼ぶ声が体育館にまで聞こえてたからね、なんとなくわかった」


ぐーんと足を伸ばして空を見上げたなまえは、片付け忘れていたバレーボールを手に取って弄ぶ。くるくる、くるくると無意味に回している姿はどこか子どもっぽい。
月島はそんななまえを横目で見ながら、隣に彼女がいる事に安心感を覚えた。


「…どうして、大丈夫だなんて思ったの」
「ん? 今更な質問だね?」
「いいから答えて」
「せっかちだなあ……。んー、だって、蛍くんっていくら他人に『かっこいい』って言われても、自分が『かっこいい』って思ってなきゃ納得しないじゃん?」


遠回しな言い方に月島は眉間に皺を寄せるが、なまえがそうやって言うのはいつもの事だと息を吐いて諦める。


「それが何」
「だから、蛍くんならだいじょーぶだと思ったんだよ。周りが余計なこと言わなくたって、ちゃんと自分で動くだろうなって」
「は? ちょっと、もっと分かりやすく…」
「――蛍くん、かっこ悪いの嫌いじゃん」


息を吐くようにするりと紡がれた台詞に、月島は目をぱちくりとさせた。それを言った張本人はそんな月島の視線なんて気にせず、くるくると回していたボールを今度はオーバーハンドでぽーん、ぽーん、と真上にトスをする。手慣れた手つきのそれはとっても滑らかで、現在特訓中の西谷よりも遥かに上手かった。


「かっこ悪いのが嫌いな蛍くんなら、きっとかっこ悪いままで終わらないだろうなーって勝手に思ってたの。でも蛍くんなかなか気づかないし、でもって私がそれを言っても同じ視点に立ってない人から言われたら、余計に怒っちゃうかもしれないし…。そしたら山口くんが蛍くんに言ってくれたから、蛍くんは気づけた」


ぽーん、ぽーん…
一定のリズムを刻みながら上へ、下へと移動するボールの音が、どこか心地良い空気を生み出す。
慣れ親しんだバレーボールなのに、月島はそのバレーボールが遠く感じた。


「今の蛍くんは、誰にも負けないくらいかっこいいよ」


ぽすっとボールを両手でキャッチしたなまえは立ち上がって月島へと振り返る。月光を浴びながら微笑むなまえは、ただ美しかった。


「…敵わないね、なまえには」
「ふふふー。まだまだ負けないよ、蛍くんには!」
「はいはい」


明日の合宿もきっとしんどくて、辛くて、吐きそうなくらい苦しいものとなるだろう。
だけど、その辛さを乗り切った先にはきっと今とは違う景色があるはずだ。以前は思いもよらなかったその考えに月島は自嘲するが、嫌な想いは一つもなかった。


「ほーら、もう早く寝るよ! あんまり遅かったら日向くんとかがまた怒りそう!」
「別に怒らせておけばいいんじゃない? 僕には関係ないし」
「冷たいなあ……」


なんて言いながらも笑うなまえ。その笑顔がもう少し見ていたくて、月島は歩くペースをわざとゆっくりさせたのだった。