狂ったブラッジャー

 ピクシー小妖精の悲惨な事件以来、ロックハート先生は教室に生物を持ってこなくなった。そのかわり、自分の著書を拾い読みし、ときには、その中でも本人にとっては劇的な場面を演じてみせた。現場を再現するとき、たいていハリーを指名して(フィーも指名していたが、いくら言っても彼女が無視をするため、ハリーに集中砲火した)自分の相手役を務めさせた。
 今日の『闇の魔術に対する防衛術』のクラスでも、ハリーはまたもやみんなの前に引っ張り出された。その様子を眺めることなくフィーは魔法史同様、机に突っ伏して寝ることに専念しようとしたのだが、今日ばかりはそれどころではなかった。


「……狼男?」


 ハリーが演じる役が、狼男なのだ。


「ハリー。大きく吠えて――そう、そう――そしてですね、信じられないかもしれないが、わたくしは飛びかかった――こんなふうに――相手を床に叩きつけた――こうして――片手でなんとか押さえつけ――もう一方の手で杖を喉元に突きつけ――それから残った力を振り絞って非常に複雑な『異形戻しの術』をかけた」


 あの男は、何を言っているのか。


「敵は哀れなうめき声をあげ――ハリー、さあうめいて――もっと高い声で――そう――毛が抜け落ち――牙は縮み――そいつはヒトの姿に戻った。簡単だが効果的だ、」
――ガタン!!


 饒舌なロックハート先生の話を大きな物音が遮った。フィーだ。彼女は深い青の瞳に怒りを灯してロックハートを睨みつける。


「『異形戻しの術』? そんなもので狼男がヒトに戻れるとでも?」
「だが、実際に――」
「ありえない」


 反論の余地さえ与えず、フィーはピシャリと言い切った。


「愉快な話は物語だけで留めておいてもらえます? あたかもご自分がそれをなさったみたいな言い方をされると、まるで幼子が現実と空想を区別できていない様のようで、見ていてとっても哀れに思えてきますから」


 研ぎ澄まされた刃物のような冷たい瞳は、ロックハートを怖がらせるには十分だった。その様子にフィーはクスリと笑うと、終業のベルとともに教室から素早く出て行った。一刻も早くあの男から離れるために。
 だから、ハーマイオニー達三人が何かをたくらんでいることに気づくことが出来なかった。


「クィディッチ?」
「「そう!」」


 ウンウンと頷いたのは、双子のウィーズリー兄弟。苛だたしげに寮の談話室へとやって来たフィーを捕まえ、明日行われるクィディッチ試合に観戦に来て欲しいと誘ったのだ。パチパチと薪が燃える音を聞きながら、フィーは少しの間悩んだ末にこくりと首を縦に振った。その後のフレッドとジョージの喜びようと言ったら…。


「じゃあ明日は俺らのチームワークを見せなきゃな!」
「なんせフィーが見に来るんだから!」
「「我らが力をとくとご覧あれ!」」


 立ち上がってくるくるとソファーの周りを回ったかと思えば、恭しく礼をする二人。その様子がなんだか可笑しくて、フィーは気づいたらクスクスと笑い声を上げていた。ようやく見れた彼女の笑顔にフレッドとジョージは互いに顔を見合わせ、ぎゅうぎゅうとフィーに抱きついたのだった。

 ――土曜日の昼前、フィーは大きな欠伸を遠慮もせずにしながらクィディッチ競技場へと向かっていた。今日も今日とてミルクティー一杯で終えた朝食にハーマイオニーが何か言いたげに口をもごもごさせていたが、フィーはそれに気づかぬふりをした。


「どっちが勝つのかしら」
「グリフィンドールに決まってるだろ!? 金でグリフィンドールに勝てるわけがない!」
「まぁねぇ。でもお金の力って言ってしまえばおしまいだけど、一応向こうの箒はぜーんぶ最新物。乗り手がどれだけ下手くそでもきちんとしてる、お高いお高いアレに、実力の伴った者が乗れば勝敗は分かんないんじゃない?」
「実力の伴った者って、誰のことさ?」
「スリザリンの選手のことだけど」
「ハァァ!? それはマルフォイのことも言ってるの!?」


 観戦席で雑談していると、突然ロンに掴みかかられてフィーは苦しそうに眉間にしわを寄せる。見かねたハーマイオニーが止めに入ったが、ロンの勢いは止まらない。


「あのマルフォイだぜ!? 絶対金の力以外にチームになんて入れるわけないよ!」
「どうかなぁ。きっとドラコも相当練習したと思うけどな」
「…キミ、一体どっちの味方なの?」
「そりゃあグリフィンドールだけど」


 当たり前だとでも言いたげに答えると、ロンはじとっとした目でフィーを見た。しかしドラコのことは譲るわけにはいかなかった。いくら金の力でチームに入れたところで、ルシウス・マルフォイがそれを許さないと思ったからだ。いくら子どものことを思っているルシウスでも、実力がないのにチームに入って負けたとなれば“マルフォイ家”のいい恥さらしとなる。それはルシウスとしては避けたいものでもあるだろう。
 大方あの箒は、ドラコへの祝いってところだろう。そして体裁を守るための手段。フィーはそこまで考えて、スリザリンとグリフィンドールが練習場所の取り合いをしたあの日、ハーマイオニーが言った「グリフィンドールはお金で選ばれていない」という台詞に待ったをかけようとしたのだが、それよりも先に「穢れた血」とドラコが言ってしまったため、意識がそちらへ向いて結局はうやむやになってしまったのだ。

 そしてグリフィンドール選手がグラウンドに入場すると、歓声が巻き起こった。中にはレイブンクローもハッフルパフからも声援が聞こえて来る。両方とも、スリザリンが勝つ姿を見たくないのだ。それでもその中から、スリザリン生のブーイングや野次もしっかり聞こえた。
 クィディッチを教えるマダム・フーチが、フリントとウッドに握手するように指示する。二人は握手したが互いに威嚇するように睨み合い、必要以上に相手の手を握りしめた。


「いち――に――さん」


 笛が鳴る。観客のワーッという声に煽られるように、十四人の選手が鉛色の空に高々と飛翔した。シーカーであるハリーは誰よりも高く舞い上がり、スニッチを探して四方に目を凝らす。


「あ、ドラコがハリーに近づいてる」
「ほんっと、嫌味なやつよね」
「何言ってるんだろ…」


オペラグラスで二人の様子を見るが、生憎声までは届かない。また余計なことを言ってるんじゃないだろうなと心配するフィーだが、今度はフレッドとジョージを見ようとした瞬間、真っ黒の重いブラッジャーがハリーめがけて突進してきた。間一髪でかわしたが、ハリーの髪が逆立つほど近くをかすめた。


「な、え、」
「今の何!?」


 「危なかったな! ハリー」ジョージが棍棒を手に、ハリーのそばを猛スピードで通り過ぎ、ブラッジャーをスリザリンめがけて打ち返そうとした。ビーターであるジョージのナイスフォローにホッとしたフィーだが、ブラッジャーは途中で向きを変えてまたしてもハリーめがけてまっしぐらに飛んでくる。
 ハリーはひょいっと急降下してかわし、ジョージがそれをドラコめがけて強打した。ところが、ブラッジャーはブーメランのように曲線を描き、ハリーの頭を狙い撃ちしてきた。その後もハリーはスピード全開で逃げ回るが、ブラッジャーはすぐ後ろにぴたりと張り付いて追いかけてくる。


「おい! あのブラッジャー変じゃないか!?」


 さすがにロンも変だと思ったのだろう、他の歓声に呑まれないように声を張り上げてハリーの後ろをついて行くブラッジャーを指差す。ビーターのフレッドとジョージがハリーからなんとかブラッジャーを剥がそうと奮闘するも、まるで磁石のようにブラッジャーはグインと曲がり、ハリーの方へと猛突進する。


「(魔法……?)」


 タイムアウトが取られ、選手は地上に下降してゆく。その様を見ながらフィーは一つの可能性を頭に過ぎらせるが、次に問題なのは『一体誰が』ということだ。一概に魔法と決めつけるのは簡単だが、その魔法を“使役”している人が分からなければ意味がない。


「雨だ」


 誰かがポツリと呟いた。途端に雨は酷くなり、フィーはぶるりと身体を震わせた。ああ、暖かい紅茶が恋しい。場違いにもそんなことを思いながら、フィーはポケットの中にいる子を気にするが今の状態で話しかけることは出来ない。
 少しはマシになるかとこっそり杖を振って、ポケットの中にいる白蛇のサリンにだけ雨避けの魔法をかけてやった。自分にもかけたかったが、ここでフィー一人だけ雨に濡れなかったら聡いハーマイオニーに何か勘付かれてしまうため、我慢した。


「あーもー! なんなのあのブラッジャー!」
「フィー、叫んだところで意味がないわ」
「でも、あんなのに当たったらハリーが死んじゃう!」
「だからって私達に出来ることは見守ることだけよ! …信じましょう、ハリーを」


 今やハリーを守っていたフレッドとジョージは、守りから外されたのか側にはいない。ハリー一人であのブラッジャーを対処している。更にはドラコがそんなハリーをからかうように飛び回っているもんだから、ハリーは余計に苛立ちが募る。――そんなとき、ドラコの左耳のわずか上の方を漂っている金色のスニッチを見つけた。ドラコはまだ気づいていない。
 ハリーは空中で立ち往生した。バシッ!という音がハリーの鼓膜を揺らす。ブラッジャーがついに獲物を捉え、肘を強打したのだ。観客席で見ていたフィーは顔を真っ青にさせて空を見上げる。雨のせいで視界が悪かったが、やけに鮮明に見えたのは何故だろう。


「ハリー!!」


 フィーは堪らず名前を呼ぶ。ハリーは燃えるような腕の痛みでぼーっとしながらも、その声がしっかりと聞こえていた。ブラッジャーが二度目の攻撃に突進してきた。今度は顔を狙っているが、ハリーはそれを何とかかわした。意識が薄れる中で、たった一つのことだけが脳に焼きついていた――マルフォイのところへ行け
 そこからは一瞬だった。ハリーはそれに従うようにドラコめがけて急降下し、折れていない方の手を箒から放し、激しくくうを掻いた――指が冷たいスニッチを握りしめるのをハリーは感じた。脚だけで箒を挟み、気を失うまいと必死に堪えながら、ハリーはまっしぐらに地面に向かって突っ込んだ。下の観衆から叫び声が上がった。


「っ、早く行かないと!」
「あ! 待ってよフィー!」
「ちょっと! 二人とも!?」


 慌てて人混みを掻き分けてハリーの元へ急ぐフィーの後ろを、ロンとハーマイオニーが追いかける。三人が慌てて向かっているなんて知らないハリーは、少し気を失い、またぼんやりと目を開けた途端に視界に入ってきた存在に泣きそうにうめいた。