壁に書かれた文字3

「皆さんも知っての通り、ホグワーツは一千年以上も前――正確な年号は不明であるからにして――その当時の、最も偉大なる四人の魔女と魔法使いたちによって、創設されたのであります。すなわち、ゴドリック・グリフィンドール、ヘルガ・ハッフルパフ、ロウェナ・レイブンクロー、そしてサラザール・スリザリン。彼らはマグルの詮索好きな目から遠く離れたこの地に、ともに城を築いたのであります。
 なぜならば、その時代には魔法は一般の人々の恐れるところであり、魔女や魔法使いは多大なる迫害を受けたからであります」


 先生はここで一息入れ、漠然とクラスを見渡し、それから続きを話しだした。
 フィーは語られる途中に出てきた四人の名前にそっと目を伏せ、当時のことを思い出していた。迫害を受けていたのも本当。人目から隠れるために城を築いたのも本当。だけど、このホグワーツが建てられた本当の理由は――…。


「数年の間、創始者たちは和気藹々で、魔法力を示した若者たちを探し出しては、この城にいざなって教育したのであります。
 しかしながら、四人の間に意見の相違が出てきた。スリザリンと他の三人との亀裂は広がって行った。スリザリンは、ホグワーツには選別された生徒のみが入学を許されるべきだと考えた。魔法教育は、純粋に魔法族の家系のみに与えられるべきだという信念を持ち、マグルの親を持つ生徒は学ぶ資格がないと考えて、入学させることを嫌ったのであります。
 しばらくして、この問題をめぐり、スリザリンとグリフィンドールが激しく言い争い、スリザリンはこの学校を去ったのであります」


 先生はここでまたいったん口を閉じた。その休憩はフィーにも必要で、いつの間に力が入っていたのか、ぎゅっと拳を作っていた手のひらを開き、机をぼーっと眺めた。


「信頼できる歴史的資料はここまでしか語ってくれんのであります。しかしこうした真摯な事実が、『秘密の部屋』という空想の伝説により、曖昧なものになっておる。スリザリンがこの城に、他の創始者にはまったく知られていない、隠された部屋を作ったという話がある。
 その伝説によれば、スリザリンは『秘密の部屋』を密封し、この学校に彼の真の後継者が現れるときまで、何人もその部屋を開けることができないようにしたという。その継承者のみが『秘密の部屋』の封印を解き、その中の恐怖を解き放ち、それを用いてこの学校から魔法を学ぶにふさわしからざる者を追放するという」


 長い語りが終わり、教室には沈黙が満ちた。いつものビンズ先生につきものの、眠気を誘う沈黙ではなかった。


「もちろん、すべては戯言であります。当然ながら、そのような部屋の証を求め、最高の学識ある魔女や魔法使いが、何度もこの学校を探索したのでありますが、そのようなものは存在しなかったのであります。だまされやすい者を怖がらせる、作り話であります」


 ハーマイオニーの手がまた空中に挙がった。


「先生――『部屋の中の恐怖』というのは具体的にどういうことですか?」
「なんらかの怪物だと信じられており、スリザリンの継承者のみが操ることができるという」


 干からびた甲高い声で答えたビンズ先生は、ノートをパラパラとめくりながら「言っておきましょう。そんなものは存在しない」ときっぱりと言い切った。
 その後もハーマイオニーに続くように生徒からの質問がだらだらと続いたが、先生はもうたくさんだとばかりにびしりと打ち切った。


「以上、おしまい。これは神話であります! 部屋は存在しない! スリザリンが、部屋どころか、秘密の箒置き場さえ作った形跡はないのであります! こんなバカバカしい作り話をお聞かせしたことを悔やんでおる。よろしければ歴史に戻ることとする。実態のある、信ずるに足る、検証できる事実であるところの歴史に!」


 ものの五分もしないうちに、クラス全員がいつもの無気力状態に戻ってしまった。フィーは教科書に目を落とし、授業を聞いているふりをして頭の中ではまったく別のことを考えていた。


「(歴史でも伝説でも…、元となるものがあるからそれらが語り継がれる。実際に彼は――サラザールは、部屋を作ってしまったのだから。ゴドリックにも、ヘルガにも、ロウェナにも知られずに…)」


 その部屋の存在を教えられたあのときは、ただ漠然と彼を見た。なぜこんなものを作ったのか、と。先生の語った伝説の通り、サラザールは他の三人と相対していた時期もあった。選別された人のみが、魔法を学ぶべきだとも言っていた。
 だが、最終的に、彼はホグワーツから去ってなどいない。その事実こそ、語り継がれてきた伝説が『嘘』と『本当』を混じり合わせて作られたものだという証拠となる。


「(サリン……?)」


 考え込んでいたときだった。するりとポケットから抜け出した白蛇は、するすると器用に生徒の足をすり抜けながら教室を這う。サリンの思惑が分からず戸惑うが、フィーはとっさの判断で目くらまし呪文をかけた。今のホグワーツでは、蛇などさらに恐怖心を煽るものでしかない。そうなればサリンはどうなるか――想像するだけで眉間に皺がよる。


「サラザール・スリザリンって、狂った変人だってこと、それは知ってたさ」


 授業が終わり、夕食前に寮にカバンを置きに行く生徒で廊下はごった返していたが、人混みを掻き分けならロンがハリーとハーマイオニー、フィーに話しかけた。その台詞にフィーは反射的に怒鳴ろうと口を開けたが、すぐに閉じて代わりに手のひらを痛いくらいに握りしめた。
 少し、この場から離れたい。一人になりたい。フィーはガヤガヤとうるさいそれから逃げるように、三人に向かって口を開いた。


「ごめん、先に夕食に行ってて!」
「え、あ、フィー!?」


 ハーマイオニーが自分の名前を呼ぶ声が聞こえたが、フィーは振り返らずに走る。やっと足を止めた場所は、ホグワーツの頂上である天文台だった。冷たい風を身体に浴びながら、着ているローブをギュッと手で握りしめ、座り込む。
 フィーにとってこの場所は、特別だった。特別だからこそ、ここにはなかなか来れなかった。


「…ひとりは、やだよ」


 ひっそりと呟く声は、誰にも聞かれることなく風に流される。それをいいことに、フィーは本音をぽろぽろと落としていった。


「泣きそうになったらここに来いって。俺は絶対にここにいるって。…そう言った、くせに…」


 はぁっ、と吐く息が震える。目に溜まる涙は今にも落ちそうだ。


「…いないじゃんか……」


 いつも隣にあった温もりはなく、体の芯まで凍らせそうな風が無情にもフィーを包み込んだ。
 サラザールの悪口を言われるのなんて、慣れてる。いつの時代でも“サラザール・スリザリン”は悪役だった。別にいい、だってそれこそが彼の狙いだったのだから。彼の狙いに私がどうこう言うつもりなんてない。
 だけど、わかって。大切な人が悪く言われることに、慣れるわけなんてないのだから。


「……ひとりは、寒いよ…」


 いつになったら、君は帰ってくるの

 ここに来れば必ずいた彼を想い、フィーは涙を拭った。ここでは一人で泣かないと、約束したから。


「早く帰ってきてよ、ばか」


 彼女が思い浮かべる人物とは、果たして。