穢れた血と幽かな声

それから二、三日は、ロックハートが廊下を歩いてくるのが見えるたびに、サッと隠れるという手の繰り返しで、ハリーはずいぶん時間を取られた。フィーもフィーでロックハートの目に止まる容姿をしていることから、すっかり彼のお気に入りとなってしまっている。フィーの髪をひとたび目にすれば、必ずと言っていいほど近寄ってくるのだ。

その週は散々なまま土曜日を迎え、ハリーはグリフィンドール・クィディッチ・チームのキャプテン、オリバー・ウッドに朝早くから起こされてしまった。どうやらクィディッチの練習に行くようだ。
何もこんな朝早くに、と思ったが、ウッドにそれを言ったところで練習時間を遅らせるわけがない。仕方なくベッドから起き上がり、チームのユニフォームである真紅のローブを探し出し、その上からマントを着てハリーは螺旋階段を降りた。しっかりと箒を持って。

それからずいぶんと時間が経った頃、フィーはロンとハーマイオニーとともにスタンドに座っていた。こっくりこっくりと頭を揺らし、目は今にも閉じてしまいそうなフィーは、更衣室から出てきたハリー達にやっと終わったとでも言いたげに欠伸を一つした。だが、それはフィーの勘違いだった。


「まだ始まってもいないんだよ。ウッドが新しい動きを教えてくれてたんだ。」


そう言ってハリーは箒にまたがり、ふわっと空へ飛んでゆく。その姿を見ながらフィーはもう限界とばかりにハーマイオニーの肩に頭を預けた。瞬きの時間が長くなっている――もう、今にも寝そうだ。
すると、そんなフィーに「おーい!」と誰かが声をかけてきた。――フレッドだ。


「来てたんだな!おはよ!」
「おはよー…フレッド…。」
「おいおい、そんな今にも閉じそうな目で見てないで、もっと開いてろよ。俺らの勇姿が見えないだろ?」


スイーッとフィーの前まで来たフレッドは、太陽の陽射しを背に笑う。眩しそうにまた瞳を細めたフィーは、手を目元にかざしながら微笑んだ。


「わかった、ちゃんと見てるから…――ほら、キャプテンが睨んでるよ?」
「ゲッ!」
「おいおい相棒!抜け駆けはなしだぜ。」
「冗談だろジョージ。」


ウッドの睨みなどなんのその。二人はハリーの方へとスパートをかけながら飛んでいった。すると、カシャカシャとカメラ音が聞こえてきて、フィーは少し覚醒した目で後ろを見やる。そこには薄茶色の小さい少年――コリン・クリービーが、カメラを構えながら夢中になってハリーを撮っていた。


「わぁお……キョーレツだね…。」
「ハリー…集中できてないみたい。」
「そりゃあ、あれだけ騒がれれば嫌にもなるさ。」


数日前にコリンがハリーにサイン入りの写真を求めたことが原因で、ドラコと喧嘩したことを思い出したロンは、うんざりしたように競技場を見つめる。それは意地でもコリンを見たくないと態度で表しているようだ。

未だに撮り続けているコリンを、ウッドがしかめっ面でハリーやフレッド、ジョージに「あれはなんなんだ?」と尋ねるが、誰一人としてまともな返事を返さない。ウッドがスパイ疑惑を持ち出したところで、グリーンのローブを着込み、箒を持った生徒数名が競技場へと入ってきた。


「フリント!」


ウッドがスリザリンなキャプテン、マーカス・フリントに向かって怒鳴る。なにやら険悪な雰囲気にフィー達の目も自然とそこへ向いてしまう。


「我々の練習時間だ。そのために特別に早起きしたんだ!今すぐ立ち去ってもらおう!」
「ウッド、俺たち全部が使えるぐらい広いだろ。」


フリントはウッドよりも背丈が大きいため、自然と見下す格好に。それにプラスしてニヤニヤと品のない笑みを浮かべているものだから、ウッドとしても余計に苛立ちを募らせるばかりだ。


「いや、ここは僕が予約したんだ!」
「ヘン、こっちにはスネイプ先生が、特別にサインしてくれたメモがあるぞ。『私、スネイプ教授は、本日クィディッチ競技場において、新人シーカーを教育する必要があるため、スリザリン・チームが練習することを許可する』。」


長ったらしく読まれたメモに、フィーはスタンド席から立ち上がった。ロンとハーマイオニーも、不穏な空気を察知したらしく、マーマレード・トーストをバケットにしまっていた。


「新しいシーカーだって?どこに?」


ここでウッドの注意が逸れてしまった。きょろりと辺りを見渡したウッドに、自分の存在を知らしめるために堂々と新しいシーカーは闊歩する。やがてスリザリンメンバーの先頭にやって来たのは、青白い尖った顔いっぱいに得意げな笑いを浮かべている、ドラコ・マルフォイだった。


「ルシウス・マルフォイの息子じゃないか。」


フレッドが嫌悪感むき出しに言う。つい先日の書店での争いを思い出したのかもしれない。


「ドラコの父親を持ち出すとは、偶然の一致だな。その方がスリザリン・チームにくださったありがたい贈物を見せてやろうじゃないか。」


七人全員が、揃って自分の箒を突き出した。七本ともピカピカに磨き上げられた新品の柄に、美しい金文字で『ニンバス2001』と銘が書かれている。その文字は、朝の光をたっぷりと受けて輝いていた。


「最新型だ。先月出たばかりさ。」


ダイアゴン横丁にある店のショーウィンドウに飾られてあった、最新型の箒『ニンバス2001』。それは箒に乗る者や憧れる者ならば一度は手に入れたいと思う代物だった。


「旧型2000シリーズに対して相当水をあけるはずだ。旧型のクリーンスイープに対しては、2001がクリーンに圧勝。」


クリーンスイープ5号を握りしめているフレッドとジョージに対して、鼻先で笑ったフリント。これにはグリフィンドール・チームも一瞬言葉が詰まってしまった。
そんな不穏な空気を裂くかのように、フィー、ロン、ハーマイオニーが芝生を横切って現れた。この騒動を目の当たりにしたフィーの目は眠気の色など欠片もなく、むしろ冷ややかな雰囲気さえ醸し出している。


「どうしたんだい?どうして練習しないんだよ。それに、あいつ、こんなとこで何してるんだい?」


到着するなり質問攻めにするロンは、スリザリンのクィディッチ・ローブを着ているドラコを嫌悪の眼差しで見つめた。そんな眼差しを受けてなお、ドラコは嫌味ったらしく、得意げな笑みを崩さない。


「ウィーズリー、僕はスリザリンの新しいシーカーだ。僕の父上が、チーム全員に買ってあげた新しい箒を、みんなで賞賛していたところだよ。」


それだけでフィーはすぐに理解した。どうやら晴れてシーカーになれたドラコに対して、ルシウスはプレゼントを贈ったらしい。それも彼だけではなく、チーム全員にも。息子が世話になるからか、それとも己もスリザリン生だったからか、負ける姿など見たくないという思いもあるかもしれない。
だが、それが争いの火種となるなら話は別だ。朝早くに起こされた挙句、こんなくだらない喧嘩を朝っぱらから見せられるこちらの身にもなってほしい。


「いいだろう?だけど、グリフィンドール・チームも資金集めして新しい箒を買えばいい。クリーンスイープ5号を慈善事業の競売にかければ、博物館が買いを入れるだろうよ。」


馬鹿にしたような物言いに、スリザリン・チームは大爆笑だ。その下品な笑い声が酷くフィーの鼓膜を揺さぶり、気分は更に下降していく。
我慢できなかったのは、ハーマイオニーだ。彼女はずいっとロンの前に出てきて、真っ向からドラコと睨み合った。


「少なくとも、グリフィンドールの選手は、誰一人としてお金で選ばれたりしてないわ。こっちは純粋に才能で選手になったのよ。」
「は、ハーマイオニー、それは、」


それは違う――訂正を入れようとしたフィーだが、それよりもドラコの方が早かった。先ほどまで浮かべていた笑みをサッと消し、顔を歪ませる。


「誰もおまえの意見なんか求めてない。生まれそこないの『穢れた血』め。」


吐き捨てるように言ったドラコに、周囲からは轟々と声が上がった。フレッドとジョージはドラコに飛びかかろうとしたし、それを食い止めようとフリントがドラコの前に立ちはだかった。
アリシアが「よくもそんなことを!」と金切り声を上げる横で、ロンはローブに手を突っ込み、ポケットから杖を取り出し、「マルフォイ、思い知れ!」と叫んで、かんかんになってフリントの脇の下からドラコの顔に向かって杖を突きつけた。
バーン、という大きな音が競技場中にこだまし、杖先ではなく反対側から緑の閃光が飛び出し、ロンの胃のあたりに当たった。たちまちロンはよろめいて、芝生の上に尻もちをついた。


「ロン!ロン!大丈夫?」


ハーマイオニーが悲鳴を挙げるが、ロンは口を開くだけで言葉が出てこない。かわりにとてつもないゲップが一発と、ナメクジが数匹ボタボタと膝にこぼれ落ちた。
スリザリン・チームは笑い転げる。グリフィンドールの仲間は、次々とナメクジを吐き出しているロンの周りに集まりはしたが、誰もロンに触れようとはしない。


「ハグリッドのところに連れて行こう。一番近いし。」


ハリーがハーマイオニーに呼びかけた。ハーマイオニーは勇敢にもうなずき、二人でロンの両側から腕を掴んで助け起こした。


「フィー!フィーも一緒に……、」


ハリーがフィーを呼びかけたが、それは中途半端に消えた。不思議に思ったハーマイオニーがハリーと同じように見たが、そこには静かに怒るフィーがいた。


「…ごめん、先に行ってて。」


一度だけロンを見たフィーは、二人を安心させるように柔らかく微笑んだ。その微笑みは、まるで怒りなんて感じさせないもので。ハリー達はただ頷くしかできなかった。
遠ざかる背中をしばらく見つめたフィーは、飛びかかろうとしたポーズのまま固まっているフレッドとジョージの背中をポンポンと叩く。そしてグリフィンドール・チームの先頭まで来たかと思うと、呆然とするフリントやドラコを無表情に瞳に映した。


「っ…フィー?い、いったいどうしたんだい?」


比較的仲が良いと思っているドラコは、引きつった笑みで尋ねた。


「……どうした?そうだね…ドラコがあまりにも馬鹿すぎて、呆れたのかも。」


内に潜む闘志が、今にも表に出てきそうだ。フィーは杖に手が伸びそうになるのを堪え、青の双眸に鈍い光を宿らせた。


「…『穢れた血』…。それがどれだけ最悪の言葉か分かって言ったの?それともただご自慢の『父上』がそう呼んでいるのを聞いて、真似してるだけ?」


あの男は、息子にどういう教育をしているのか。フィーは以前の書店での騒動に踏まえ、ルシウスに対して激しい憤りを覚えた。


「今後、私の前でその言葉は使わないで。聞いてるだけで虫唾が走る。」


痛いくらいに拳を握りしめ、フィーは蘇る過去を払うように一瞬瞳を閉じたが、それもすぐに開けられる。


「大事な私の親友を、二度とその名で呼ばないで!!」


その台詞を吐いたのは、長い生涯の中で二度目のことだった。