嘘か真か

長きに渡る医務室生活からようやく解放されたフィーは、とてもいい笑顔でポンフリーに礼を言った。あまりの見舞い客の多さにポンフリーが医務室への出入りを禁止した為、クリスマス後からポンフリー以外の人と顔を合わせることはなく、とても退屈な日々だった。
それで良かったのかもしれない。今ハリーと顔を合わせるのは少し気が引けてしまう。一生徒のフィーが、この学校の校長であるダンブルドアにあんな口を利いていたんだもの。それをダンブルドアは咎めるどころか許容していた。

それが余計にハリーに謎を与えているのだろうが、本当の事を伝えるにはまだまだ早い。自分が不死だということも、ジェームズとリリーが生きているということも。
――まだ、伝えるわけにはいかない。


「あれ…今日人少ないな…。今日が退院日だなんて伝えてなかったからハーマイオニーも起こしに来なかったし…。」


寮へ戻り、掲示板へと目をやれば、そこには『本日クィディッチ』とのお知らせが。


「き、今日クィディッチなの!?」


だからこんなに人が少ないのか!とフィーは慌てて外へと飛び出していった。

もう、逃げない。
ハリーはハリー。ジェームズじゃない。
そう、何度も頭で唱えて―――。







フィーが競技場に着くと、もうそこは歓声の渦だった。
すぐに上を見上げると、ちょうどハリーがスニッチを捕まえるところだった。自然と頬が緩む。リリー譲りのハリーの瞳は、今までにないくらいと言っていいほど輝きを放っていた。


「…おめでとう。」


試合経過は観れなかったけれど、君のその輝く笑顔で十分だよ。


「やっと、見れた…。」


晴天の空を自由に飛ぶハリーが眩しくて、フィーは手のひらを翳した。


「あら!フィー!」
「ハーマイオニー、久しぶり!」
「もう体調は大丈夫なの?」
「うん!平気だ、よ…。」


そこまで答えて、ふとフィーは辺りを見渡す。他の教師たちはいるのに、スネイプとクィレルの二人がいないことに気づいたのだ。


「ハーマイオニー…クィレル先生、どこに行ったか分かる?」
「クィレル先生?さぁ…もう城に戻ったんじゃないかしら?」
「っ…ごめん!先に戻ってて!」
「へ?ちょ、フィー!?」


突然そう言い捨てて走り出したフィーに、ハーマイオニーが戸惑いの声を上げる。けれどフィーはそれに応える事もなく城とは逆方向へと向かって行った。

どこに、何て分からない。
ただ、走った。

上空を見上げると、ハリーが箒に乗って森の方へと飛んでいくのが見えた。遠目からだがとても急いでいるようにも見える。
選手は試合が終わったらシャワーを浴びて着替えて休息をする。それが常だ。なのにハリーはどうして着替えもせずに森へ?

――もしかすると、そこに二人がいるのかもしれない。急ぐハリーを見てそう確信したフィーは、森へと方向を定めて脚を動かした。







「――ハァッ…ハッ…着い、た……。」


あまりの辛さにフィーの呼吸が乱れる。それを数回深呼吸して整えると、少し遠くから細々とした声が聞こえてきた。
足音を鳴らさないように、注意深く一歩一歩進みながらそっと耳を傾けた。


「……な、なんで……よりによって、こ、こんな場所で……セブルス、君にあ、会わなくちゃいけないんだ……!」
「このことは二人だけの問題にしようと思いましてね。」


焦り、吃るクィレルの声とは対照的に、スネイプの声は酷く冷淡だった。


「生徒諸君に“賢者の石”のことを知られてはまずいのでね。」


やっぱり石か、と一人納得する。もともとクィレルがそれを狙っている事は何となく分かっていた。それでもフィーが何も行動を起こさず泳がせていたのは、明確な証拠がない事ともう一つ、ダンブルドアから注意を受けているからだ。
その時、微かに遠くの木々かカサリ、と揺れる音が聞こえた。耳が元より良いフィー。そこにハリーがいることは明確だった。


「あのハグリッドの野獣をどう出し抜くか、もう分かったのかね。」
「で、でもセブルス……私は…、」
「クィレル、私を敵に回したくなかったら、」


そこで一度言葉を切ったスネイプは、グイッと一方前に出た。より近くなる二人の距離。
ここから見ている限り、どう見ても悪役はスネイプだろう。フィーはそんな事を思いながら苦笑をこぼした。


「ど、どういうことなのか、私には……、」
「私が何を言いたいか、よく分かってるはずだ。……あなたの怪しげなまやかしについて、聞かせていただきましょうか。」


怪しげなまやかしとは、いったい何なのか。フィーの想像していなかった台詞に、思わず眉間に皺が寄ってしまう。


「いいでしょう。それでは、近々、またお話することになりますな。もう一度よく考えて、どちらに忠誠を尽くすのか、決めておいていただきましょう。」


スネイプは踵を返すと、静かに歩き出す。だが、何を思ったのか長いローブをバサリと綺麗に翻してクィレルへと振り返った。


「それと、言い忘れていましたが…。フィーに手を出すな。後悔する事になりますぞ、お前も、フィーも。」


そう言い残し、今度こそスネイプは去っていった。たくさんの謎を抱えたハリーも、もうこれ以上は何もないと思ったのか、周りに気をつけて飛んで消えていった。

ハリーが飛んで行ってしばらく、フィーはその場にいた。何が起こったのかいまいち実感が湧かないからだ。
今の話を聞いていて、やはりクィレルが石を狙っている事が分かった。だが“怪しげなまやかし”とは?それが一体どういう類で、どういうものなのか、さっぱり分からないのだ。
ぐるぐると考えていたフィーは埒があかないとばかりに立ち上がり、よろよろと覚束ない足で城までゆっくりと帰った。


「フィー!どこ行ってたんだ!? ハーマイオニーからフィーが退院していたって聞いたのにどこにもいないから心配したよ!」
「ご、ごめんねハリー。…ちょっと散歩してたの!ほら、ずっと医務室で缶詰め状態だったじゃない?……で、何騒いでるの?」


本当は聞かなくても分かってる。きっとさっき聞いた話だろう。ハリーがハーマイオニーとロンに話さないわけがないのだ。


「そうだ、聞いて!スネイプが、スネイプが石を狙ってるんだ…“賢者の石”を。クィレルは今スネイプに脅されてる!スネイプが、アイツがダンブルドアを裏切っていたんだ!」


ハリーの数々の言葉に同意するかのように頷くハーマイオニーとロン。全くの的外れな見解と、まるで自分は全て知ってるという態度。そのすべてが、フィーを苛立たせた。


「…ちがう、違うよ。スネイプ先生はそんな事しない。スネイプ先生はダンブルドア先生を裏切らないよ。…有り得ないよ、それは。」


ぎゅっと手を握りしめて何とか怒りを鎮めてフィーは努めて優しく宥めるように言うと、ハリーは食ってかかってくるように吠えた。


「フィーはあそこにいなかったからそう言えるんだ!それに、君はスネイプに何も言われないしね!スネイプがダンブルドアを騙してたんだ!そしてアイツが石を奪おうとしてる!」


目をカッと見開いて矢継ぎ早にまくし立てるハリーに、フィーも鎮めよう鎮めようとしていた怒りがむくむくと頭をもたげてくる。
確かに、フィーとハリーとではスネイプは態度を変える。本来は私情を挟むべきではないのだが、繋がりが違うのだ。スネイプは今でも、忘れる事が出来ないのだ。リリーを愛しく想っていた事を。ジェームズに辱められる辛さを、怒りを。


「あの、フィー。…私たちもハリーの言う通りだと思うわ。スネイプは、賢者の石を狙ってるのよ。」
「ああ、フィー。何で君がそんなにスネイプの味方をするんだよ…。」


何で?そんなの彼が私の大事な人の内の一人だからに決まってるでしょう?
すぐにそれを言いたくなったが、彼らに言えるはずもなく、ただ募る怒りに深く息を吐き出した。その息は震えていて、今にも杖を取り出して呪文を唱えてしまいそうだ。


「……もう、いい。」


ぽつりと呟いたそれは、この場にいる三人には鮮明に聴こえていた。諦めたような、呆れたような、そんな声色が含まれた呟きが。


「私は、スネイプ先生を信じる。ハリー達はクィレル先生を信じる。ならもうそれでいい。これ以上無駄な口論を続けるつもりもないわ。…それじゃあ、おやすみ。」


三人を視界に入れずにフィーは足早に自室へと向かった。

我慢ならなかったのだ。大切な親友とも呼べるべき人が、あらぬ疑いをかけられている事が。
バタン、と扉を閉めてずるずるとしゃがみこむ。真っ暗な部屋は胸の内に広がっていた怒りをスゥーッと鎮めてくれた。