みぞの鏡3

教室の入り口でフィーを見て固まっているハリーを彼女は数秒間見つめ、その後すぐに脱ぎかけの透明マントに目を向けた。
ここ数年見る事のなかった透明マント。昔、いきなりジェームズに送られてきて以来ずっと彼が悪戯に役立てていたのを思い出す。
フィー達からしたら凄く嬉しい代物だったけど、リリーにとったら迷惑以外の何物でもなかっただろう。なんて、当時のリリーの苦労に苦笑した。


「その…フィーもその鏡を…?」
「ううん…たまたま見つけたの。」
「ああそっか…って、医務室にいなくていいの!?」
「ん?あぁ…いいの!こっそり抜け出して来たからバレてない!」
「バレてないとかの問題じゃないと思うけど…。」


呆れた顔をするハリーに、フィーはただクスクスと笑う。すぐに拭ったとは言え、この教室が暗くてよかった。おかげで涙の跡が見えなくて済んだ。
ホッと肩の力を抜いて、フィーはまた鏡へと向き直った。


「というか…その言い方だと、ハリーがこの鏡に会いに来たって聞こえるけど?」
「!」


コツン、と鏡に額を当てて口を開く。フィーの言葉にハリーは動揺したようで、静かな教室にハリーの息を飲む声が微かに聞こえた。


「……フィーは、この鏡で何を見たの?」
「……ハリーは?」
「僕は……パパとママが…、」
「……そっか。」


そっか、とまた一言呟く。
ハリーのパパとママ。それはジェームズとリリー。会いたいに決まってる。フィーはグッと込み上げてくるものを必死に抑え、口を閉ざした。
ジェームズとリリーがあの日、無事でいたらそんな事にはならなかったのに。自分の力が及ばないばかりに、ハリーには苦しい想いをさせてしまった。フィーは己を責め、際限なく溢れる『たられば』で頭を埋め尽くした。

ぎゅっと閉じていた瞳を開けると、また視界に彼らが映る。その表情は慈愛に満ちていて、どうしようもなく手を伸ばしたくなる。フィーはそんな彼らをこれ以上見たくなくて、ふい、と鏡から目を背けた。


「――ハリー、また来たのかい?」


突然後ろから聞こえてきた声に、フィーは思い切り振り返った。真っ暗な部屋の中、目を凝らしてよく見てみると、彼は壁際の机に腰掛けていた。
まさか、最初からそこに……?


「それにフィーも…なぜここに来たんじゃ?」
「…えーっと…ぼーっとしてて…歩いてたらここに来ちゃった、から…。」
「だからこそ医務室にいるもんじゃ。フィーが居ないと分かればポピーがまた怒ってしまうぞ。」
「……(ツーン)。」


唐突に始まったダンブルドアのお説教に、フィーはあからさまに顔を背ける。ハリーはそんなフィーの態度に憧れのダンブルドアの前だからか、フィーの名前を咎めるように呼んだ。
そんなハリーに、ダンブルドアは朗らかに笑って宥めた。


「いいんじゃよ、ハリー。わしは気にせんよ。」
「ぼ、僕、気が付きませんでした。」
「透明になると、不思議と近眼になるんじゃのう。」


ダンブルドアが微笑みながらそう言ったからか、ホッと肩の力を抜くハリー。すぐにダンブルドアが魔法を使ってここで待ち伏せしていたことがわかったフィーは、じとりと横目でダンブルドアを見た。


「…………、」


ハリーとダンブルドアが話している間に、フィーはまた鏡を見る。たっぷりとした慈愛を含みながら変わらず困ったようにフィーを見つめる四人に、フィーは音もなく謝った。きっと、伝わっているだろうと信じて。
フィーの想いに応えてくれたのか、それともフィーの勝手な妄想なのか。定かではないが、ゴドリックの口が「気にしてねぇよ!」と動いたような気がした。

そして、ダンブルドアはハリーと話し終えたのか、「さて、」とフィーの方へ目を向けた。ハリーもそれにつられてフィーを見る。
いつもならキラキラと光るダンブルドアの瞳を見つめ返すが、今はどうしても見れるような心境ではなかった。
心の中を暴かれそうで、怖いから。


「フィー、君には何が映ったのかの?」


問いかけられたそれに、フィーはゆるりと頭を振る。ハリーもダンブルドアの問いかけが気になるのか、口を開くことなくただ黙ってフィーとダンブルドアのやり取りを眺めていた。
どうしても『答えない』という選択肢はないらしく、ダンブルドアはただフィーが言うのを待ち続ける。やっぱり私が折れるのか、と半ば諦めたかのようにフィーはため息を落とし、そっと口を開いた。


「…とても忘れ難い…忘れたくない、大切な人たち。」
「大切な人たち、とは?」
「…意地悪だなあ。」


眉を下げてフィーが笑うと、ダンブルドアも笑った。自分が意地の悪いことを聞いたという自覚はあるようだ。


「私の望みは、大きすぎる。」
「……え…?」
「だからこそ、望まない。…望みたくないの。」


そう口では言っているが、本当は心の底から溢れてくる望みに、瞳に薄い膜が張る。それが涙となって落ちるのには、時間はかからなかった。
望みたくないなんて、所詮は戯言だ。


「フィーっ…!?」
「なのに…こんなのって…!」


ポタポタと重力に従って落ちていく涙を手でごしごしと拭い取る。
ああ、だめだ。誰か、私の口を塞いで。なんでもいい、早く、はやくしないと、言ってしまう。言葉に出してしまう。はやく、はやく、


「――…もう、向こうに行きたい……!」


それが、私の一番の望み。

大きな、大きな、私の望み。

嘘偽りない、たった一つの。


「それはわしが許さなんだ。」
「……どうして…、…」
「それを君が聞くのかの?」
「…ッ……」
「彼らはフィーの為にこう・・までしたんじゃ。それを放棄するのはちと違うんじゃないのかの?」
「……かってる…っ…、」


まさしく正論。けれどフィーは頭がぐちゃぐちゃで、そんな言葉なんて聞きたくなかったとダンブルドアを睨みつける。
それを傍らで見ていたハリーは、フィーとダンブルドアのやり取りにハラハラして、目はうろうろと泳いでいる。それも相まってか、感情の高ぶりのままにフィーは叫んだ。


「分かってるよ!!」


その叫び声は、夜の静けさに包まれた教室に響いて、消えていく。これ以上はここにいたくないとフィーは乱暴に涙を拭って、そのままの勢いで走り去った。

ハリーに、たくさんの疑問を残して。


「…フィーには、生きてもらわねばならんのじゃよ。」


ダンブルドアの悲しげな、哀しげな声が、月明かりの射し込む教室に、静かに溶けた。