声2
「っ、ハッ……」
渡り廊下には、フィーの荒い息遣いしか聞こえない。やはり授業中のせいか人っ子一人の気配もないとは、どこか不思議な気分だ。皆授業をサボる、という行為をする者はいない。
…いや、今はそんな事を気にしている場合ではない。
フィーは長い道のりを無我夢中で走り、漸く一つの扉の前で足を止めた。何の変哲もない扉だけど、これはここの部屋の存在を知っていて初めて視界に留まる。知らない人にしてみれば、これは壁と一体化されているように見えるのだ。
「開け」
部屋に入る為に言葉を紡ぐと、ドアは一瞬だけ眩い光を放ち仕掛けが外れた。何故ここで開錠呪文を唱えなかったのか。
それは、この扉はそんなものでは開かない仕組みになっているから。この扉は特定の声でしか開かないようになっているのだ。
それほどこの部屋――“癒しの部屋”は繊細なもので。フィーは浅く息を吐いて意を決して扉を開けた。
―――ガチャ…
「……ジェームズ、リリー。」
校庭で聞こえてきた声の主…ジェームズとリリーの名前を呼ぶ。だけど返事は返ってこない。それは何度も経験したことだった。体験したことだけど…と、頭では理解しても身体は…心は、酷く落胆する。
ぶんぶんと頭を振り、ソッと二人が眠っているベッドに近づいて顔を覗き込む。
“死んだように眠っている”
まさに、その例えがピッタリだった。
「…ねえ、さっき…私のこと呼んだよね?」
ゆっくりと話し始めたフィーの声は、木霊することなくふわりと消えていく。けれどフィーは話すことを止めない。
「もしかして…ジェームズはさっきの箒が私の顔に直撃したの、見てた?だとしたら酷いよ。」
ぎゅむ、とジェームズの鼻を軽く摘む。いつもこの仕草はフィーがやられる方だった。身長の高いジェームズやシリウスを、いつもフィーは見上げる側だったから。
「リリーも呆れた?いや、リリーは初めての時から心配してくれてたもんね。今回も心配かけてごめん。運動音痴はなかなか治らないよ。」
たはは、と困ったように笑う。いつもなら、二人も笑ってくれたのに。そうやってフィーは“いつもなら”とここに来る度に比べてしまう。
ぎゅう、とリリーの手を握る。いつもポカポカしてたリリーの手。今は冷たくもなければ暖かくもない。でも、冷たくないってことだけで生きているんだと証明してくれていた。
「…早く起きてよ。でないと二人の話…、あることないことぜーんぶセブルスとかアルバスとかに話しちゃうよ。」
起きていたらきっと二人は猛反発してくるであろう。そんな未来を想像して、クスッと笑みを零した。
「また来るよ。今度は私一人で喋りたくないから…だから、起きててね。ジェームズ、リリー。」
二人の額に交互にちゅ、とキスを落としてフィーは癒しの部屋から出た。
誰もいない城内は信じられないくらい静かで、いつもはふよふよと漂っているゴースト達の姿も見えない。そんな人っ子一人いない道をただ当てもなく歩いた。
癒しの部屋に行く時は急いでいた為、特に気にもならなかったこの静かさ。ホグワーツ生はいつの時代も授業は真面目に受けるんだもんなあ、とかなり今サボっている自分が不真面目に見える。
勿論授業に戻ろうかとも考えたが、出来もしない飛行訓練なんかもう御免だと早々にやめた。
――どれほど歩いただろうか。不意に動かしていた足を止めて、何気無く空を見上げた。太陽を包むように存在している青々とした空は、何年経っても変わらない。
すると、誰かがフィーの肩をポンっと軽く叩いた。
「うわっ!」
「いきなりごめんね。驚かせちゃったかな?」
「い、いえ……。」
フィーの肩を叩いたのは、とってもハンサムなハッフルパフの男子生徒だった。
端正に整った容姿さえも嫌味なものは一つもない。そんな彼を今の状況も忘れてぼうっと見つめていると、彼は少し困ったような…けれど少し嬉しそうに口を開いた。
「僕はセドリック・ディゴリー。よろしくね」
「あ、私は、」
「フィー・ディオネル…だろう?」
台詞を遮られて彼が紡いだのは、今自分で名乗ろうとしたフィーの名前だった。何故知っている?と思わず目を丸くして驚く。
「どうして名前……、」
「きっとホグワーツ中知ってるよ、君のことは。」
「え、何で……、」
「んー…、君があのハリー・ポッターやウィーズリーの双子と仲が良いこととか、最近双子に混じって悪戯をするのはフィー・ディオネルだとか…。それに、飛びっきり可愛いってのも聞いてるよ。」
パチリとウィンクするセドリックにフィーは頬を赤く染めた。誰だよそんな事言ったのは…!
「ないないない!最後のは絶対ない!」
「え、そうかい?でも僕はこの噂が本当なんだって今確信したけどね。」
「〜〜っ、それはどうもありがとう!」
にっこりと微笑まれてそう言われれば、もう何も言えない。熱い頬を手の甲で拭うように押し当てて礼を言った。思わず声が大きくなってしまったのは恥ずかしさからだ、察して欲しい。
「っそ、そう言えばセドリックはハッフルパフなんだね。」
「ん?うん、ちなみに双子と同じ学年だよ。」
「…えっ、先輩!?」
正確に言えばフィーの方が何倍も上だが、今は違う。フィーは一年生で、セドリックは三年生。不覚だったと頭を抱えると、セドリックは優しい声色でふわりとフィーの頭を撫でた。
「別に今更敬語なんて使わないでくれよ。それと…名前も、普通にセドリックでいいから。」
よろしくね、フィー。と手を握られたフィーの顔はきっと最高潮に赤いだろう。おまけにゆるりと細めた目で顔を覗き込むように見つめられれば断れと言う方が無理である。
握られた手はそのままに、フィーは蚊の鳴くような声で返事をした。
「…よろしく、セドリック。」
フィーの返事を聞いたセドリックは嬉しそうに笑った。その笑顔を見て確かにヘルガが気に入りそうな感じだ、と彼がハッフルパフに入った事の必然性を感じた。
そうしてフィーとセドリックはいつの間にか空が茜色に染まるくらい話し込んでいた。
それに最初に気づいたのはセドリック。ちょいちょいと外を指差して、流れるようにそこへ目を向けたフィー。「もうこんな時間!?」と驚いた後、フィー達はお互いに顔を見合わせて笑った。
ぐうう、と鳴る二人のお腹。そういえばお昼ご飯は食べていなかったと思い出し、急ぎ足で大広間へと向かう。その間も笑いは絶えることはなかった。
「じゃあまたね、セドリック。」
「うん、また話そうね。」
別れの言葉を告げて私フィー達はお互いの寮の席へと座った。勿論いつもならハリー達の所に座るのだが、今日はそうはいかないみたいだ。
いや、ハリー達の所というのは合っている。合っているのだが…それにプラス、
「「フィー!!」」
悪戯仕掛け人の二人がいたのだ。
二人はいきなりフィー引っ張ったかと思うと自分たちの間にフィーを座らせた。ぎゅむぎゅむと両隣からきつきつに挟まれて、私 フィーは肩身を狭くしたようにきゅっと縮こまる。
「あーっと、ありが、」
「「どうしてディゴリーと大広間に来たのさ!!」」
お礼を遮られ、軽くデジャヴ感を味わいながらも彼らの質問の意味を暫しの間考えた。
「……ああ、セドリックのこと?」
そう、“ディゴリー”などと言われ最初は彼の父親――エイモスと被ってしまった。もちろんエイモスが彼の父親だということはセドリックに確認済みだ(話を聞いた限りだと立派な親バカになっているらしい)。
「それ以外に誰もいないだろ!」
「あー、…いやぁ…、」
言葉を濁しながら、とどう説明すればいいのかと思案する。チラリと二人を見上げればギラギラと獲物を狙うかのような瞳をしていた。
けれどそれも一瞬で、次に見た時はいつもの飄々としたものはなく、少しの焦燥が映されていた。
「そこまで対した話でもないんだけど…実は私、飛行訓練の授業を途中で抜けたの。その時にセドリックに会ってさ。それから今の今まで話し込んじゃって、それで慌てて二人でここまで来たの。」
それに、と言葉を続ける。
「彼のお父さん…Mr.ディゴリーとも知り合いだから、それのこともあって仲良くなったの。」
「それだけだよ?」と言えば安堵したように両方からギューッと抱きしめられた。突然の事に頭にハテナを浮かべるも、その温もりに浸るようにフィーは瞳を閉じた。
端から見れば変な光景かもしれない。だけどこの温もりは、そんなことが気にならないくらい心地よく、手放したくないものだった。
「…フレッド、ジョージ。早くご飯食べよう?冷めちゃうよ。」
ポンポンと二人の背中を軽く叩くと、「「もうちょっとー。」」と少しくぐもった声が耳を擽る。仕方ないか、とフィーは諦めて目の前に並ぶ料理から視線を外すと、バチっとハリーと目が合った。
ハリーは慌てて目をそらして口いっぱいにチキンを頬張る。なんだかそれを見て思い出すのはシリウス。彼も何故か食事中に目が合ったらああやって目をそらしてチキンを馬鹿食いしてたなあ、なんて。それをジェームズが隣で見て笑って。リーマスは苦笑しながら早々にデザートに手を伸ばして。ピーターはおどおどしながら皆を見比べて。そんな四人にフィーは馬鹿みたいに指差しながら笑って。リリーは目を釣り上げて行儀が悪いと怒って。最終的には絆されて。
ふとした場面で思い出すそれは、とても幸せなものだった。