■優しい両親を想う
日が昇るより前に、目が覚めた。
現在、"2度目の人生"という珍体験の真っ只中なのだが、朝起きる度に夢なのではないかと未だに疑ってしまう。
木の香りを存分に感じさせる木造家屋には今、ハルカ一人しか居ない。できるだけ"普通の子供が起きる時間"には帰ってきてくれる母親も、この時間帯は家に居ない。
生前………いや、前世からの癖で早く起きてしまうだけなのだが、早くに起きて活動していると母と父が申し訳なさそうにするので、下手に起きて家事をするわけにもいかない。
4歳の子供とはとても思えない思考回路だが、うずまきハルカにとってはこれが普通である。前世の記憶があるのに子供らしく振る舞えなど、到底無理な話だ。
前世、ハルカは忍であった。
うずまき一族という忍一族に生まれ、戦乱の中を駆け抜けて戦の中で死んだ、平々凡々な忍の一人だった。
木の葉の里と手を組んだ事は覚えている。だから当時を生きた者としては、里の繁栄は非常に喜ばしい事だ。
しかし、その里の中にうずまき一族の者がハルカを含め2名しか居ないとはどういう事だろうか。
うずまき一族の証明となる赤い髪。里を隅から隅まで歩いても、ハルカ以外には母しか持っていない。
手を組んだのは失敗だったか、と心のどこかで思う。
今さらどうなる事もないと解っているが、それでも前世の感覚で物を考える癖が抜けない。一族単位で争っていた世の中では、『里』というシステムそのものが異質なのだ。
早くに起きたのはいいが、夜はまだまだ明けそうにない。昔なら任務の準備をしている時間だ。
無駄な時間を過ごしたくはないので、布団から身を起こし、日課である修行を行う。両親には詳しい事は言っていないが、何となくハルカが『どこまでできるか』というのは解っているのではないだろうか。次の休暇には一緒に修行をしよう、と言われた事がある。
それも、もう数ヶ月前の話だ。父ミナトは里でも有数の忍らしく、あちこちを飛び回っている。母クシナも忍で、父よりは家にいる事が多いが、それでも忙しそうに働いている。
今は戦時中だ。
里の期待を背負う身では、そうそう簡単に休みを取れるものでもないのだろう。
実は昨日、3日後に前線地域後方支援部隊の見習いとして戦場近くに赴く事が決まった。
"後方支援"と言っても、特に何かをするわけではない。ハルカの素質を勘づいている上層部からの指示で、『戦場を見る事』が目的だ。
父が長期任務で里を離れている間に半ば強引に決まり、母がいくら反対しても
覆らなかった。
ハルカとしては、そんなに悪い判断だと思っていない。前世で見飽きた景色が広がっているだけだろうし、小さい頃に
戦を知っておく事は悪い事ではない。母はそう思っていないようだが。
―――気持ち悪くなったと言って、途中で帰って来なさい。
母が前にしゃがみ込み、ハルカと目を合わせて確と言い聞かせた言葉だ。
明日から一週間前後の長期任務が入っているらしく、その目からは涙が溢れそうであった。
前世の両親と重ねてしまったり、プライドが邪魔したりと中々素直になれなかったが、初めてクシナを『母』と認識した瞬間だった。
1ヶ月ほど姿を見ていない父に、無性に会いたくなった。
庭で手裏剣術の修行をする。
母は"危ないから"と持たせたがらなかったが、父の説得もあり、下忍とそう変わらない装備を持っている。
忍の性か、己の身を守れるだけの力がないと不安で仕方がないのだ。
柔軟、走り込み、チャクラコントロール。手裏剣術以外にも色々とこなした後だが、まだまだやれると思えるのだから不思議だ。
前世ではここまで出来なかった。もちろん大人になってからは楽々とこなせたが、この年頃でこれだけの量をこなせた覚えはない。
なんやかんやとしている間に、地面に自分の影が出てきている。いつもは日が昇る前に帰ってくる母が、今日はまだ帰ってきていない。
これまでも幾度もあった事だ。
両親は忍。
ハルカも忍であったから、その事についての理解はあるつもりだ。
なのに今日は、手の震えが止まらない。
馬鹿な考えを振り払おうと、クナイを両手に構えて的に投げつける。
遠くの木の裏や少し離れた地面などにも設置してあるが、何故か目の前の一番簡単な的だけ真ん中から少しズレた。
「あら、珍しいってばね」
「!」
「ハルカが真ん中を外す事なんて、そうそう無いから………ちょっとびっくりしたってばね」
「おかえり母さん。ごめん、朝ごはんの用意はまだでてないんだ」
「そうなの? じゃあ、豪勢にいこうってばね!」
普段通りの会話。
クナイを回収している途中、ふと気が付く。
手の震えがいつの間にか収まっていた。
両親を認めようとしなかったのは、"また"なくしてしまうのが怖かったからかもしれない。
もう失いたくない。
前世でも戦争で親をなくした。今世も同じ理由で一人になってしまいそうで、内側に入れたくなかったのだ。
まだハルカには
忍者学校に通う資格すらない。純粋に、年齢が足りないのだ。
だから、『自分が守る』とは言えない。
「今日はごめんね。思いのほか時間がかかったんだってばね。その代わり、今日は1日休みよ!」
「大丈夫だよ。任務、気をつけてね」
「あ〜もうっ! かわいいってばねー!」
母を手伝いながら、他愛もない話をする。
特に内容はない。
思えば、この優しい親子の時間を意識して過ごしたのは、これが初めてだ。
だからだろうか。心なしか、母の顔が少し嬉しそうに紅潮しているように見える。
だが、それにしては何か違和感がある。
何か言い辛い事でもあるのだろう。これでも精神年齢は母より少し上なのだ。この程度の機敏は察せるし、内容も何となく想像できる。
3日後の戦場見学について何か進展があった、といった所だろう。
こんな時には、"実は前世の記憶があるんだ"と言いたくなる。余計な心配をかけなくて済むし、実力を隠したり、言葉遣いに気を使ったりしなくていい。
頭がおかしいと取り合ってくれないか、他国のスパイかと疑われるのがオチだが。
「………ミコトの子供も戦場に行くんですって。ハルカより1日くらい後らしいんだけど、帰りはその子と一緒に帰ってきてね」
「わかった。あの、"ミコト"さんって……」
「ああ、ミコトは私の友達だってばね。うちはフガクさんの奥さんで、子供はイタチくん。覚えてないかな? 何回か会った事あるってばね」
黒髪の女性と、その腕に抱かれた男の子が思い浮かぶ。
確か子供は自分と同じくらいの年だった。
イタチ。覚えておこう。
「くれぐれも気をつけるってばね。比較的安全って言っても、戦場には違いないんだから」
「うん、気をつけるよ」
気をつける。
気持ち悪くなったらすぐに言う。
いくつか約束をした後、久しぶりに感じる気配が近くにある事に気づいた。
「ただいま」
「おかえりってばね!」
「おかえり父さん」
父ミナトだ。
次期"火影"が決定した父は、家の中では少し天然が入る。任務でもそうなのかもしれないが、少なくとも『木の葉の黄色い閃光』としての顔はあまり見せない。
虫も殺さないような顔だ、と初めに思った。綺麗に透き通る碧眼の奥にある『忍』としての一端が見えなければ、もう少しは付き合いやすかっただろうに。
もう一人分の食事の用意は、母がやった。こういう所で夫婦仲を見せつけられるのだが、ハルカとしては反応に困るばかりで、中々慣れない。
父と母の会話の中で、「今日はオレも休みだよ」という言葉が聞こえた。父は約束を覚えているのだろうか。
『次の休暇には一緒に修行をしよう』とハルカに言ったのは、父だった。
この時代の戦い方を知るには良い機会だし、自分の強さを知る事もできるので、できれば覚えていてほしい。
「ハルカ、ちょっといいかい」
「何? 父さん」
クナイなどを全て並べて手入れしている所に、父から声がかかった。普通の4歳はクナイの整備などしないのだろうか、とふと思う。
ちょいちょいと手招きされているという事は、それなりに大事な話なのか。父はいつも通り穏やかな表情をしているが、目はいつもより真剣だ。
武器をざっと整理し、ハルカから見れば少し高めのイスに座り、父と対面する。
母が淹れてくれたお茶が湯気を吐き出す。
昨日からの心境の変化、1ヶ月ぶりの再会、気恥ずかしさなどが相俟って、目を合わせられない。
そもそもクナイを整備し始めたのだって、夫婦のイチャイチャっぷりにあてられたのもあるが、家族との過ごし方を忘れてしまったからだ。
物心つく頃には母がおらず、父も若くに戦死してしまった為、ハルカは一族総出で育てられたようなものだ。それはそれで不満はないが、家族だけで過ごす密な空間には慣れないのだ。
だが、嫌いではない。
湯呑みを両手で包みながら、ゆっくり目線を上げて父と顔を合わせる。
ふっ、と父が笑う。
「そんなに強く握りしめちゃったら、コップが割れちゃうよ」
「!」
言葉と共に伸びてきた手のひらが、自分の手の上から湯呑みを包んだ。
大きい。
当たり前の事だ。改めて確認するまでもない。しかし、それでもなお、ハルカはこの手を初めて見た気がした。
「ん! そろそろ本題に入ろうか。戦場に行く事についてなんだけど、やっぱり無しにするのは難しいんだ。でも、オレとしてはハルカの意思を大切にしたいと思ってる」
「"オレ達"だってばね」
「うんうん、そうだね。で、ハルカはどうしたい?」
「私は………その……」
困った。
本音を言えば、別にどちらでもいい。既に見た事があるし、今さら改めて見た所で何も感じない。
上層部がどう考えているのかは知らないが、ハルカの目的は『今の戦争を知る事』だ。それも、"知れたらいいな"という希望でしかない。特にどちらでも困らないのだ。
"行きたくない"と言えばややこしい事になるのは目に見えているから、ここは"行ってみたい"と答えるのが正解だろうか。
しかし、4歳の子供が戦場に興味を示すものか。
行きたくない、と考えるのが普通ではないのか。
問題は、両親に行動力があり過ぎる事だ。行きたくないと言えば、恐らくそうしてくれるのだろう。忍になるのだから我慢しろ、と言われる可能性もあるが。
父と母は、待ってくれている。
ハルカの選択を尊重する、と言ったその言葉を違えないようにしているのだ。
「………行ってみたい。見て、確認したい事がある」
「ん! わかった。じゃあ、予定通りに進めるよ」
「心配だってばね。ハルカはまだ子供だってば」
「大丈夫だよクシナ。オレ達の子供なんだから」
「ミナトは甘いってばね!」
「心配ないよ母さん。危ない事はしないから」
父の手を外し、お茶を一口飲む。
「ん! 今日は一緒に修行しようか」
「えっ大丈夫なの?」
「問題ないよ。今日は休みなんだ」
「疲れてるんじゃ・・・」
ハルカは何もわからない子供ではない。父親が忙しく飛び回っている事も、担当の教え子が死んでしまった事も知っている。
直接聞かされたわけではないが、そういった噂は自然と耳に入ってくるものだ。若くして英雄視される父を認められず、ある事ない事を言いふらす大人もいる。
余談だが、ハルカは波風の性ではなく、うずまきの性を名乗っている。
戦時中の今、"木の葉の黄色い閃光"波風ミナトの名を知らぬ者はほとんどいない。また『波風』という性は珍しく、名乗ればすぐに波風ミナトの子供だと解ってしまう。
どうせ特徴的な赤い髪でうずまき一族だとバレてしまうのだから、"うずまき"と名乗っても危険度は変わらないと判断されたのだ。
"波風ミナトの子供"と、"うずまき一族の子供"では、前者のほうが狙われる。少しでも『木の葉の黄色い閃光』の動きを鈍らせる事ができれば、それだけ勝率が上がるのだから当然だ。
そんな事情もあり、里の人のほとんどはうずまきハルカが英雄の子供だと知らない。だから、平気で父親の悪口をハルカの目の前で言うのだ。
修行をつけるという事は、ミナトとハルカの親子関係が露見する可能性を秘めているという事だ。その件からも、修行をしても良いのかと気になる。
普通の子供はそんな事は気にしないだろうから、ハルカも口に出す事はしない。しかし、先程の会話は純粋に父を
慮っただけではない事は確かだ。
だが、修行をつけてもらえるなら是非ともそうしてもらいたい。何度も言うが、新しい忍術や体術に触れるというのは、とても貴重な体験なのだ。
本来なら、そういうものは他の忍一族との殺し合いの中で覚えていくものだ。それを安全な組手で再現できるというのは、前世があるハルカからすれば信じられない事である。
「ん! 大丈夫だよ。近くの森に行こうか」
「うん。よろしくお願いします」
立ち上がり、父に頭を下げる。
修行をつけてもらう身としては当たり前の事だと思っているが、親子ではまた違うのかと不安になる。
何せ、前世を含め初体験だ。
勝手がわからない。
「おにぎり作ったから持って行ってね。ハルカ、頑張りなさいってばね」
「うん」
「ありがとうクシナ。準備はできた? ハルカ」
「いつでも」
装備を整え、父の傍に立つ。
「じゃあ、行こうか」
「行ってきます」
「いってらっしゃいってばね!」
母の元気な声を最後に、いきなり景色が変わる。
玄関から森へ。
これが、木の葉の黄色い閃光………。
ただ単純に『速い』のかと思っていた。しかし、これは体術ではなく忍術。それも時空間忍術の可能性が高い。
「ん! それじゃあ、やろうか」
「はい」
「まずは軽く組手をしようか。ほら、かかっておいで」
「あまり舐めないでよね」
「良い心構えだよ」
対立の印を結ぶ。
「よーい、スタート!」