■鼓動
眉間にこれでもかと皺を寄せた彼は、ベッドに横たわる私の左手を掴んだ。恐る恐る、まるで触れたら壊れてしまうとでも言うように。
「大丈夫だって。手術が成功すれば日常生活は問題なく送れるって先生言ってたじゃん」
「………」
「もう、これから手術なんだからそんな辛気臭い顔しないでよ」
「…………」
ダメだこりゃ、と私は苦笑した。
私の病気はそうとう厄介らしく、ボンゴレが手配した最高スタッフですら手術の成功確率は70%。つまり、3割の確率で死ぬ。
いつも生と死の狭間に身を置いているくせに、もっと刹那の世界で生きているくせに、たった30%が許容できないらしい。顰められた顔は戻る兆しを見せない。
ザンザスの手が私の頬を撫ぜる。指の腹で、背で、時には手のひらで包み込むようにして。ザンザスの優しい行動に、私は何だかほわほわした気分になった。
繋がれた手を強く握り返すと、ザンザスの目が軽く見開かれる。
「大丈夫だよ」
徐々に、ゆっくりと、静かに繋がれた手に力が入っていく。手が潰れるかと思うほど強く握られて、実はすごく痛い。
瞬きを一つ。すると、辛そうな悲哀に濡れた顔が、意思を感じさせる瞳に変わっていた。
「死ぬな」
死なないよ、とは応えられない。絶対なんてこの世にはないのだから。だから、繋いだ手の上から更に手を重ね、ザンザスから目を逸らさずに微笑む。きっと伝わっていると信じて。
雨の音が耳に入って、ザンザスとは反対の窓側に目を向ける。ついさっきまで太陽が見えていたのに、雨粒が窓ガラスに張り付いていた。「今日の予報、雨だったっけ」と視線を向けずに尋ねれば、「知らねぇ」と短く返ってきた。
その言葉を聞いて、あれ?と心の中で首を傾げる。意外なことに、ザンザス率いるヴァリアーの面々はニュースをよく見ることを私は知っている。主に国際情勢などの理解のためらしい。それは、唯我独尊を地で行くこの人も例外ではない。だから、天気予報を見ていないのはおかしいのだ。
何でだろうとザンザスをじっと見つめていれば、視線に気づいたのか、ザンザスが私に視線を移した。
「何だ」
「……何でもない」
そういえば、と考える。私が朝起きたときにはもう病室にザンザスが居た。確か、10時くらいだったと思う。『今来た』とか言ってたから、てっきり朝のルーティンが終わってから来たのだと思っていたけれど、もしかして。
「ねぇ、今日はニュース見てこなかったの?」
「……たまたまだ」
「そっかそっか。たまたまね」
私がくすりと笑うと、むぎゅ、と頬を抓られた。
「痛いイタイ痛い。ごめんって」
そういうことなのだ。この男は、たまたま、私の手術がある今日に限って、朝のルーティンを忘れて来たのだ。
さっきから様子がおかしいのも、柄にもなく『死ぬな』だなんて言ったのも、
たまたまなのだろう。
私がニヤけそうになる顔を必死に元に戻そうとしていると、コンコンとドアを叩く音が聞こえた。ザンザスがピクリとも反応していないから、前から気づいていたのだろう。「失礼いたします」と澄んだ声が聞こえて、看護師さんが入ってきた。
看護師さんが準備を進めるのを横目に、私はザンザスに笑いかけた。
「大丈夫だよ。心配しないで」
「もし死んだら遺骨は海に撒いてやる」
「まさかの散骨!? ま、いいや。行ってくる」
「ああ、行ってこい」
今さらながら、私は緊張してきたらしい。バクバクと動悸が激しくなって、手には汗が滲む。
私はザンザスの傍に居たいんだ。だから、だから――。
目を閉じて、静かに祈った。
麻酔で意識がなくなって、次に目が覚めたときにはもう病室に戻ってきていた。生きてる。
「あ、おはよう、ザンザス」
「遅せぇよ」
「あはは。ごめんごめん」
手術は無事に成功したらしい。ただ、しばらくは入院が必要とのこと。ちなみに、私は3日間も眠り続け、昨夜には危篤状態に陥っていたらしい。全く記憶はないが。
それでも生きてる。生きてるんだ。
「病院通いは覚悟しておけと、医者が」
「うん、わかった。大丈夫だよ。生きてるもん」
ザンザスが私の手の甲を撫ぜる。入院生活が長かったせいで、すっかり肉が落ち、骨ばってしまった。苦笑して「すぐ元に戻るよ」と言っても、まるで聞いちゃいない。
ザンザスの目元にうっすら残る隈は見えなかったことにして、窓を見る。夜だというのに星はほとんど見えない。
徐ろに手を持ち上げられ、ザンザスが私の脈拍を測るけれど……。
「ザンザス、親指じゃダメだよ。自分の心音と混ざって、正確に測れないらしいよ」
「…………」
聞いているのかいないのか、ザンザスは手を離す気はないらしい。真剣な顔で脈を取っている。
「………」
「……」
手首が強く押さえられたせいで、どくどくと脈打っているのがよく分かる。親指で押さられているので、まるで同じリズムで鼓動を刻んでいる気分になる。
もしかしたら、ザンザスも同じことを考えているのかもしれない。
今ここで『人の心臓の音にはリラックス効果があるんだよ』とでも言えば、この天邪鬼な男はすぐに手を離してしまうのだろうか―――ふと芽生えた小さな悪戯心を抑え込み、ザンザスの顔を見上げた。
この
鼓動が止まるまで