夢を見た。あの日から、幾度となく見る、同じ夢。
 わたしは砂塵の中、方向を見失って立ち竦んでいる。足元に寄り添うイーブイの、自慢の毛並みも砂に塗れて萎れている。
 砂煙の向こう、ゆらりと立ち上る大きな影。赤々とした石炭と炎を浮かび上がらせて、大地を震わせながら立ち昇る。
 わたしの足はいつのまにかすなじごくに捉えられていて、もがけばもがくほど、ずぶずぶと沈んでいく。唯一わたしに愛をくれる、柔らかであたたかく、勇敢ないきものを、流れ落ちる砂からなんとか掬い上げて、精一杯の力で放り投げた。イーブイはわたしの手を離れ、一目散に駆けていく。
 黒々とした腕が、ゆっくりと振り下ろされる。引き裂かれる空気の立てる甲高い音は、継母や義妹の声に似ている。ゆらめく炎は、わたしを支配せしめんと弧を描く継母たちの瞳と同じように燃え上がっていて、もしかしたら、砂嵐の奥に潜んでいる彼女たちが、飲み込まれていく無様な私を見て、笑っているのかもしれない。
 夢の中で死んでしまうと、どうなるのだろう。私は思う。死んでしまったその先で、何か別の、もしかしたらもっと幸せな、別の夢が見れたりするのだろうか。
けれど、私は知っている。わたしは助かる。助かってしまう。だってこれは、かつての現実で、結末はどうしたって同じなのだから。
 全てを飲み込む獄炎に、巨体が崩れ落ちていく。強く腕を引かれ、わたしは引き摺り出される。砂地に投げ出された身体に、少年のかたちをした影が落ちる。愛しいいきものの、ふさふさとした頬擦りで、また同じ夢が繰り返されるのだと、私は気付く。ああ今回も助かった良かったと、初めのうちは思っていたけれど、この夢を繰り返すにつれ、いつまでも砂の下の景色を知ることができないことへの落胆を強く感じるようになっていた。
「なんで、どうして助けるの? わたしは、私はーー」
 誰にも愛されず、このまま生きるのであれば。腕の中のイーブイを縋るように抱えて、わたしは泣き喚く。太陽を背負った彼の表情は翳って見えない。焦げ付く炎の残り香を纏って、少年の長い菫色の髪が踊る。
「かならずむかえにいくから」
 彼は、私を抱きしめて言う。少年の腕は、私の背中に届くには、まだ幼く頼りない。靡く髪の隙間で、少年のくちびるは動く。けれど、声は聞こえない。ごうごうと鳴る砂嵐の中で、彼の声は、聞こえない。

 いつもここで目が覚める。外は鈍い銀色に滲み出していた。傍で滑らかな腹を上下させていたイーブイは薄目を開けて、まだ日照まで時間があるとわかるや否や、再び安らかな眠りについた。しんとした静けさの中、すうすうと小さな吐息が聞こえる。家の中の誰も、まだ眠りの中にいるようだった。
見ている間はどうにも恐ろしいけれど、目覚めてしまうのを名残惜しく思うくらいには、この夢を好ましく思っている。
 少年がダンデという名であることも、本当は迎えになど来ないことも、大人になるにつれて嫌と言うほど理解した。それでも、継母にぶたれた日や父に無視をされた日、悲しいことがあったときは、必ずと言っていいほどこの夢と共に、逃げ出してしまいたい夜を、いくつも越えてきた。
 窓を開けて夜露で湿った緑と土の匂いを吸い込むと、クローゼットの中身を部屋の片隅の鞄へ詰め込んだ。車が来るのは午後と聞いている。そうしたら最後、この家に戻ることはないだろう。夫になる男とのことは、二十も年が離れていることと、金に汚く、あまり良い噂のない企業を経営していることしか知らなかったけれど、会いたくないと思うには十分すぎるほどだった。
 いつまでも荷造りが終わらなければ良いのに。子供じみた祈りとは裏腹に、数えられるほどの荷物は、あっという間に小さな鞄一つへ収まった。
 
 昼過ぎに、ベルは鳴った。金切声に呼び出される前に、鞄を手に部屋を出て階段を下っていく。壁に飾られた家族の肖像に、私の姿はない。
 予想していたことだったけれど、見送りは誰もおらず、玄関ホールには長い影が一つ、伸びているだけだった。扉口には、眩い外光で菫色の髪を縁取った男が一人。
「やあ、待たせたな。迎えにきたぜ」
 張り上げたわけでもないのに、男の声は、がらんどうのホールによく響いた。
 驚きのあまり何も言えないでいると、不幸を覗き見ようとしていた義妹が、柱の陰から身を乗り出して、大声で叫んだ。「お母様!ダンデよ、ダンデだわ!」
 娘のただならぬ声に、駆け寄ってきた継母は真っ青な顔をして「どういうことですか」と招いていない客に詰め寄った。
「彼女をオレの妻として迎えに来たのです」
 ダンデはヒヤリとした声で事務的に答えた。
「この子の婚約者はあなたではございませんわ」
 継母の反論に、ぞんざいな素振りで上着の内ポケットに手を突っ込むと、ダンデは紙の束を取り出して何やら走り書きをした。その時、わなわなと震える継母の唇をちらりと一瞥して、口の端を歪めたのを私は見逃さなかった。
「別に相手は」束から一枚千切ると押し付けた。「誰でも良いのでしょう」
「不服でしょうか、マダム」
 怒りで燃え上がる継母の眼をじっと見つめ返すダンデの瞳は、彼女のそれよりも爛々と輝いている。しばらくどちらも譲らなかったが、継母は紙片を握りしめると、踵を返して奥へと戻っていった。
「どうして」
 やっとの思いで絞り出した声は、掠れていた。
「残念ながら、元婚約者の彼には、キミより大事なものがたくさんあるらしい」
 弾んだ声で、ダンデは答える。
「そうではなくて、どうしてここに、なぜ私を……」
 困惑で取り留めのない言葉しか出てこない私を見て、ダンデは楽しそうに肩を揺らした。
「あの時キミは、愛されたいと言ったじゃないか。うつくしい、心からの言葉だった。そしてオレは、迎えにいくと約束した」
 そうだろう、と、尋ねる調子で口にしながらも、ダンデは私の答えを待つことなく玄関の扉を開き、ずんずんと進んでいく。
「オレが愛してやろう。今ならこの両腕は、どこまででも届く」
 立ち止まる私に、彼は手を差し出す。震えていることを悟られないよう、手を重ねる。あの時すくい上げられた私の運命は、ずっとこの手のひらの中にあったのだ。太陽すら飲み込んだ、ダンデの瞳だけが燦々と煌めいている。燃え上がる炎のような、よく知った瞳だった。

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