駅からメインストリートと反対へ数分、さらに1本脇道へ入ると人通りは一気に減り、夜でも賑やかなナックルシティの喧騒が遠くなる。住み始めてそろそろ一年のフラットも、だんだんと愛着が湧いてきた。右肩に下げたショルダーバッグを覗き込む。手元が暗いし、覚束ない足が絡まって中々鍵が見つからない。腕のビニル袋の持ち手が重さで細くなって食い込んで痛い。よいしょ、と反動をつけて持ち直すと詰め込まれたビール缶がカチカチと音を立てた。腕は痛いし、鍵は出てこないし、イライラする。あーもう、と独り言ちてフンと鼻を鳴らしていると、ヌッと現れた人影が隣家のドアに手を掛けた。

「キバナじゃあん」
「……よう」

 上手く回らない舌で名前を呼ぶと、呆れたような顔で彼は片手を挙げた。

「ちょっとさあ、これ持っててよォ。鍵ぃ探すからあ」

 家へ入ろうとするキバナを呼び止め、ずいとビニル袋を突き出すと、嫌々ながらも受け取ってくれる。

「なんだよこれ全部ビールじゃん。うわっ……ていうか酒くさ」
「うるさいなあ。何飲むかは私の自由だし、酒臭いのも自由」

 こんな日は飲まなきゃやってられない。空いた手で光らせたスマホをかざすも、乱雑なバッグの中に鍵の姿は見当たらない。会社のロッカーかもしれない。なんでこんな、嫌なことばっかり。もういろんなことがどうでもよくなって、考えるのもめんどくさくなって、「もーいい、ありがと」と半ばふんだくるように山のようなビールを奪い返すと玄関先に座り込んだ。
 なにやってんだと怪訝そうなキバナを無視して缶を取り出してプルを引く。プシュッという小気味良い音がするはずだったのに、揺らされた上にぬるくなったそれは汚い音と共に泡を噴きこぼした。ぼたぼたとビールが手に溢れてくるのを慌てて吸い上げる。何も言わないまま、隣り合った玄関先にキバナも腰を降ろした。

「……いる?」
「そんじゃいただきます」

 スニーカーを避けるように長い腕を伸ばし遠くで開けるも、キバナのビールもやっぱり吹き出した。ぺっぺと泡を振り払った後、缶をこっちに向けてくる。お互い何か言うわけでもなく、コチンと缶を交わす。静かな夜だった。ただただ、それぞれビールを飲むだけ。

「わたしさあ、ちゃんと好きだったんだよ」
「うん」
「好きだったんだよお」
「そうだな」
「なのにさあ……」

 膝を寄せて蹲る。座ったら一気に眠気がやってきた。なのにさ、と繰り返すも頭は働かず言葉は続かない。指の力も抜けてきて、するりと落ちかけた缶を咄嗟にキバナが拾ってくれた。

「おいおい、こんなところで寝るなよ」
「だって鍵見つからないんだもん」
「仕方ねえからウチに来い」
「はははっ、弱った女を誘わないでよ」

 立ち上がったキバナを見上げるも、背が高い彼の顔は夜に紛れてよく見えない。腕を引っ張られ、ずるりと重たい体を持ち上げる。このまま抱き寄せられちゃったりするのかな。それでもいっか、なんてぼんやり思ってたのに、その手は私の腰ではなく地面のビニル袋を拾い上げた。

「オレさまをなんだと思ってんだ。そんなコトしねえ」
「そうだよねえ」

 ごめんごめん冗談だよ、と背中に投げるも、正直、誰でもいいから他の男に抱かれたらちょっとは気が紛れるかも、なんて考えてた。だけど、目の前の優しい男をそんなことに使ってはいけない。

「待って、キバナ、行かないで」

 大切な隣人が居なくなってしまうことを少し想像しただけなのに。さっき目一杯泣き尽くしたはずなのに。涙が次から次へと溢れて止まらない。感情が言うことを聞かない。玄関に足を踏み入れかけていた彼は、子供のように泣きじゃくったままの私の手を掬い取る。大きな手だなあ。失いたくないなあ。いなくならねえから安心しろと笑う彼の口元に八重歯が覗く。小さな星のかけらのように見えた。

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