人間、身体が弱っていると思考までマイナスになっていく、というのは正論だと思う。

今、まさにその状態。

ぼーっとした頭で、昼ドラを受け流す。テレビの中ではなんだか修羅場みたいだけど、そんなこと知るもんか。私だって風邪との修羅場で必死なのだ。

重い上半身を持ち上げて、主食である、昨夜から枕元に置きっぱなしでぬるくなったスポーツドリンクに手を伸ばす。ある程度飲んだ後で、錠剤を三種類口に放り込んで、一緒に流し込む。健康が自慢だった私の、「すぐ治る」という慢心が酷くした風邪はなかなかに辛くて、自炊など考えられなかった。そして、少ない食欲にはインスタント食品も厳しい。やっぱり、おかみさんの優しい申し出を受けて看病してもらえば良かった。

形ばかりの昼食を終え、重力の中へ身体を投げ出して再び布団へ沈み込む。天井の木目を見上げていると、取り留めのない考えが浮かんでは消え、消えては浮かんでくる。


元気になったら、最初に何をしようかなあ。日の光の中、散歩をして新鮮な空気を吸おう。

でも、いつになったら治るんだろう。このまま長引いて、お店もずっと休んじゃって、クビになっちゃったりして。

もしかすると、こんなに辛いんだもの、本当は風邪じゃなくてもっと重い病気かもしれない。ああ、きっと私、人知れず病で死んで野良犬の餌になるんだ。無断欠勤を続ける私に対し、クビを宣告しに来た親父さんによって発見される時には無惨な姿なんだろうな。肉片になる前に、桂さん、心配して見舞いに来てくれるかなあ。もっと素直にしておけば良かったなあ。そしたら「会いに来て」なんて可愛らしいことも言えたかもしれない。


薬が効いてきたのか、瞼が重い。


眠ったが最後、もう目覚めなかったりして。

そこまで考えて、思わず小さく笑った。なんて、馬鹿らしい………






さっきの心配なんて完全に取り越し苦労です、とばかりにぱっちりと目が覚めた頃には、障子の隙間から差し込む光は橙色の夕方になっていた。眠ったおかげか、佳境を過ぎたのか、身体もだいぶ楽だ。

軽く寝返りを打つと、額の上から何かがずり落ちた。その湿った手拭いを拾い上げた時、点いたままだったテレビの音にトントントンと軽い音が混じっていることに気が付いた。何だか良い匂いもする。どちらも台所が源みたいだ。

ちゃんと戸締まりしてたのに。泥棒の二文字が過ぎったが、すぐに消えた。部屋も荒れた様子は無いし、泥棒だったら長居するなんて、そのうえ濡らした手拭いまで乗せていってくれるなんて、おかしい。私が寝ている間に仕事を済ませて出て行くはず。


「誰かいるの?もしかして、おかみさん?」


すると、匂いだけを残して、軽快な音が止んだ。少し後に続いて、寝室の襖が滑る。


「おかみさんじゃない、桂だ」


突然現れた、そして、どこから持ってきたのだろうか、割烹着を着ている彼に目を見張る。予想外の出来事にびっくりし過ぎて何も言えない私をよそに、桂さんはこっちにやって来て、なめらかな仕草で傍らに膝を着いた。


「うわっ」


桂さんの手が、ぬっと額に延ばされたせいで変な所から声が出た。彼はもう片方の手を自分の額に当てて、頷いた。


「まだ熱はあるが、大丈夫だろう」


そして、すっくと立ち上がると台所に戻ろうとする。


「ちょっと待って桂さん!」


呼び止めれば、何だ、と振り向いた。


「何で家に居るの」
「先刻、店に行ったら病欠だと言われてな。二人とも心配していたぞ。治るまでゆっくり休みなさい、だそうだ」


優しく微笑む親父さんとおかみさんが容易に想像できる。私、恵まれているなあ。目頭が熱くて、なんだか、涙もろくなっているみたいだ。


「まったく、泣き虫なやつめ」
「違います…!お、起きたばっかりだから、欠伸出ただけです…っ!」


ゴシゴシと勢い良く目元を擦る。笑われているのは見なくてもわかる。手の甲で顔を隠しているうちに、「後少し、待っていろ」と残して、桂さんは台所に戻っていた。






間もなくすると、再び襖が開いて、奥からお盆を手にした桂さんが現れた。そこに乗せられた茶碗からは湯気が立ち上っている。ふわりとくゆる白い蒸気に誘われてか、きゅるる、と間抜けにもお腹が鳴った。慌ててお腹を押さえるも、噴き出すのが聞こえて顔が熱くなる。


「ちょっと…笑わないでくださいよね」


隣に座りながら、口元を歪めて笑いを堪える桂さんを、しょうがないでしょ、と目の端で睨んだ。


「腹の虫が鳴るようなら安心だな」


桂さんが茶碗を持ち上げるのを見て、受け取ろうと手を出したら、すいっと避けられた。


「…え?」
「病人はじっとしていれば良いのだ」


その言葉に両手を下ろすと、彼はレンゲに一掬いお粥を取って、すぼめた自らの口に近づけた。

ふー ふー

軽く息を吹きかけられたレンゲが私の前に差し出される。


「はい、あーん」


真顔でそう言う彼とは反対に、私は顔から火が出そうである。


「ちょ…何なんですかっ!自分で食べられます!!」
「何を言う!病人といったら『あーん』であろう。ほれ」


再び「あーん」と言いながら、レンゲを手にぐいぐいと迫る桂さんに諦める様子は更々窺えない。このまま意地を張っていては食にありつけないと悟った私は、諦めて口を開ける。


「あ…、あーん」


ぱくり、とレンゲからお粥を口に含む。あまりの恥ずかしさに、また熱が出そう。一方、当の桂さんはソワソワした視線をこちらに送っている。きっとお粥の感想が聞きたいんだろう。


「すごく美味しいです」
「当り前であろう。この俺に出来ぬ事など無いのだからな」


取り繕った顔をしているが、喜んでいるのが丸分かりだった。


「どんどん食うが良い」


嬉々とした表情で懲りずに「あーん」を繰り返す桂さんを見ている内に、どうせ誰も見ていないのだ、と開き直ったのか、恥ずかしさはすっかり消えてしまっていた。実際、美味しかったのは、あながち嘘でも無く、数分後にはお粥は全て私のお腹に納まった。


「お腹いっぱいで幸せ」


ふーっと息を吐いて、ころんと横になると今までの緊張や疲れから解放されるようだった。もう、元気みたいだ。身体の隅々からやって来る安心感が眠気を誘う。横たわる私の傍らでいそいそと片付けをする桂さんの姿を見て、思わず、くすくすと笑いが零れた。そんな私を彼は訝しそうに見ている。


「なんだか、桂さん、お母さんみたい」
「お母さんじゃない、桂だ!」
「だって、割烹着似合い過ぎなんだもの」


そんなに所帯染みてはおらん!とか文句を言っているのは無視して、それに、と言葉を続けるが、もう瞼が今にも閉じそうで上手く言葉が選べない。


「それに…、あったかくて、居心地良い」


眠りに落ちる前に、と手を伸ばしたら、怒っていたはずの彼はちゃんと握ってくれた。


「…ふん、今は母親で許してやろう」
「ありがとう、桂さん」


どうせなら、調子に乗って、我儘をもう一つ。


「寝てるうちに帰らないで」


ぼんやりとした輪郭は微笑んでいるように見えて。安心しろ、ここに居てやるから。たぶん、桂さんはそう言った。





100301 めりいさまリクエスト

back




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -