薬指に鈍く光る銀色
「おかえりだも〜!」

そういって飛び跳ねたのは、いつの間にか宿に戻っていたノポン族のリキである。彼はこう見えても結構な大人で、何人も子供がいる。リキはマクナ原生林――森の奥深く、ノポン族の暮らす「サイハテ村」の伝説の勇者だ。シュルクはそんな彼に「ただいま」と言う。彼の額には汗が光っている。シュルクはライン、ダンバンとともにモンスターと戦ってきたのだ。その手にはモナドがある。リキはというとコロニーで暮らすノポンとの話を終えて十五分ほど前にここへと戻ってきたのであった。

「フィオルンのところに行くも?」
「うん。そうだよ」
「そうかも!フィオルン、ぐーぐーかもしれないけど、シュルクが来たら起きるかもだも」
「そ、そうかなぁ…?」

シュルクが笑った。彼は階段をゆっくりと上がっていく。リキはそんな彼の背中を見送り、それからぴょこんと跳ねて今は何もくべられていない暖炉の前でくるくると回転した。その愛らしい仕草に少年は笑みをこぼした。


リキが言っていた通り、フィオルンは眠っていた。長い睫毛と、白い肌。高価な糸の如きさらさらの金髪がシーツの上で静かに横たわる。ただいま。先程勇者に向けて言った台詞をここでも口にした。フィオルンは夢を見ているのだろうか。その綺麗な緑色の瞳で。その夢には一体だれがいて、どんな言葉を発するのだろう。夢という朧気で不確かな世界に、自分の存在はあるのだろうか。そんなことを考えつつ少年はベッドサイドの椅子に腰をかける。時計が正確に時を刻む音。窓を挟んだ向こうから聞こえてくる人々の声。シュルクはふたたびフィオルンを見た。機械の身体をした少女。少し前までは自分と同じような、ごく普通のホムスの少女だった。だが運命の輪は廻る。悲しみを、怒りを、喜びを乗せて、カラカラと。それは当たり前のことだったけれど、そこには残酷で冷酷な一面も存在していた。フィオルンはホムスとしての身体を失った。助けたくても助けられなかった命がたくさんあった。それにシュルクたちは時に透明な涙を零し、怒りに身を震わせてきた。フィオルンの寝顔を見る、少年の心が軋む。これからは絶対に彼女の白い手を離さない。失いたくなかった。もう、あんな思いをしたくはない。あの日、故郷コロニー9が機神兵によって襲撃された日。その日のことは未だに夢に見ることがあって、喰われていく人の悲鳴や燃えていく家々の映像がリアルによみがえってくる。自走砲で黒い顔つきに挑んだフィオルン。その直後に響いた彼女の声。ぐさり、と刺さった鉄の爪。群がる機神兵。彼女は生きていた。けれども、その悲劇もまた真実。その真実が少女を苦しめ今に至っている。彼女はやわらかな人間の身体から無機質で冷たい機械の身体に変わってしまった。心はあの頃と変わらず、強く優しいけれど、その奥にはそういった悲しみが鎮座している。

「フィオルン――」

シュルクは眠る少女の名を落とす。自分は彼女の悲しみを少しでも軽減出来ているのだろうか。何度も何度も心の中で繰り返してきた問い掛け。答えは未だ見つからない。金の髪をした少女の寝息と、時計の針の音と、それから自分の心臓の音が混ざり合う。自分たちはフィオルンの傷が完全に癒えてからこの街を去る。やらなければならないことは山積みで、その上、戦う力を持たない人の為の戦いも繰り返すことになる。カルナに癒してもらったとはいえ、傷は痛むのだろう。フィオルンが苦しそうな声を上げた。シュルクの胸が痛んだ。彼女の冷たい手をそっと取って、握る。自分の体温がほんの僅かでも届きますようにと願いながら。


「ダンバン」

メリアはホムスの英雄の名を呼んだ。彼はコロニー6の片隅にいた。刀の手入れをしている。カルナに用事があったらしいが、彼女の姿はそこになかった。ダンバンの長い髪は揺れている。フィオルンとは異なる髪色のそれが。彼はメリアの声に顔を上げた。ダンバンの優しげな眼差しにメリアは微笑んだ。

「これをラインから預かってきた」

メリアがアイテムを渡すと、ダンバンは目を丸くしてから笑い、それを受け取る。

「フィオルンの様子はどうだった?カルナがヒールをかけたって言ってたが」
「まだ少し時間がかかりそうだな。あれほどのモンスターの一撃をまともに受けたのだ」
「そうか……」

兄としては身体が不安定である妹を戦わせるのは心配で仕方がない、といった様子なのだろう、彼の目から笑みは消えていた。だからといって彼女を街に残して自分だけシュルクらと同行するということも出来ない。自分もそう思うし、フィオルンもきっとそれを受入れないだろう。シュルクもそうだ。フィオルンはシュルクを守る為にその身を呈して突撃した。それが全てを物語っている。兄であるダンバンからすれば、もう彼女と離れ離れになるのは勘弁、といったものも少なからずあるだろう。フィオルンは彼にとって唯一の肉親。自分が割りと成長してから生まれたフィオルンのことを、ダンバンは兄という立場にありつつ親のような目でも見守ってきた。両親のいないシュルクや彼の友人であるラインのことも面倒を見てきた。自分がモナドに振り回され、利き腕の自由を失ってからフィオルンが世話を焼いていてくれたこと。それも関係している。複雑なのだ、人の心というものは。ダンバンは刀の手入れを終えて、それを鞘におさめるとハイエンターの少女のことを見た。八十年以上の年月を生きてきたというメリアだが、それはハイエンターであるからで、ホムスに換算すればフィオルンたちより少し下になる。そういった幼さも、皇家の血から出る気高さも持っている少女は頭部の翼をはためかせていた。

「ところでカルナはどうしたんだ?」
「またジュジュのところに行くって言ってたな。メリア、時間あるか?」
「…?ああ…」

メリアが首を傾げた。ダンバンは歩き始める。わけも分からず少女は彼についていく。もうすぐ三時になるであろう時刻。吹き抜けるそれが少しだけひんやりとしたものを抱え始める時間帯。

「改めて言うのも…あれなんだけどな。メリア、フィオルンとこれからも仲良くやっていて欲しいんだ」

立ち止まるダンバンの突然の言葉に、メリアは狼狽えた。いつも真っ直ぐな彼の瞳が今は、揺らめいている。気付けばそこは宿の三軒隣の店の前であった。

「メリアといる時のフィオルンは本当に楽しそうで、幸せそうで……いつまでもあいつのそんな顔を見ていたい。…ってそう思ったんだよ」

彼は数秒目を閉じた。そこで彼女が微笑っているのだろうか。

「それは勿論だ。ダンバン。私もフィオルンと共にいるときは……そうだな、心が満たされる、とでも言えば良いのだろうか。私には……あまり友というものがいなかったからな。アイゼルたちは優しかったが『友』と言い表せる関係ではなかった。それに彼らはもう――巨神の血肉へと還ってしまったしな」

少女の言葉は透明で、それでいてひたむきだった。アイゼルらはメリアがテレシアを討つべくマクナ原生林へと下りてきた時、その命と引き換えてメリアという希望を守ったハイエンターのことだ。皇家に生まれ、不自由なく生きてきた。けれどもその平和は崩れ、悲しみと憎しみや怒りの入り交じる戦いに身を投じることとなった。メリアにとってカルナやフィオルンは数少ない同性の友人である。フィオルンやカルナはメリアの見たことのない話を聞かせてくれたり、メリアもまたそういった話をしたりしている。広がる世界で、大切な彼女たちの手をとって歩んでいけたらと願っている。心の底から。

「すまなかったな、辛いことを思い出させて」

ダンバンが静かに言う。メリアは首を横に振った。そんな彼もまた辛いものを背負って戦っているのだから。

「そろそろ戻るか。リキがおやつの時間だと騒ぐ頃だしな」
「あ、ああ」

ふたりは肩を並べて歩む。当たり前だがダンバンのほうが歩幅が広い。それなのにほぼ同時に宿についた。気を使わなくてもいいのに、とメリアは僅かに思ったがそれを口にすることはなかった。自然とそうやってくれているだけかもしれないから、と。随分と自分たちは打ち解けてきたな、だなんて再確認することも出来た。扉は重い。ダンバンはそれを容易く開き、メリアを先に入れた。それからゆっくりと扉を閉める。

「メリアちゃん!ダンバン!おかえりだも〜!」

リキが暖炉の前で跳ねる。その手には焼き菓子の入った小袋がある。どうやらそれが今日のおやつらしい。

「ラインも帰ってきたか?」
「そうだも。み〜んなフィオルンのお部屋にいるも!勇者リキは、メリアちゃんたちが来てからお部屋に行くことにしたんだも」
「待っていてくれたのか?」

メリアが花のように笑う。リキは嬉しそうな声を上げてくるくると回り、それからまた飛び跳ねる。いつも落ち着きのないリキだが、これでも四十歳の妻子持ちである。ダンバンはそうか、とだけ言って階段を上がり始めた。リキを抱きしめたメリアがそれに続く。フィオルンの眠る部屋は奥から二番目だ。ダンバンがノックをする。こつこつ、とかわいた音が耳を通りぬけ、カルナの声が届き、三人は室内へと入っていった。


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