不完全な世界

夕闇が迫る。燦々と輝いていた筈の太陽が弱り衰え、闇が足音を立てていた。少女がひとり、遠くを見つめている。その澄んだ瞳が夕刻の空色に染まっていた。邪竜との戦いが終わって数ヶ月。戦いは痛みと悲しみと喪失感を苦しくなるほど刻みつけて終わった。その苦しみと苦しみの間を縫うように友が教えてくれた温もりが存在していた。けれどもそれは、ヒトを斬ることに対する痛みや大切な人を失った悲しみを癒してはくれない。少女は長い髪を風に靡かせていた。いつもはふたつに結い上げているのだけれど、今日はそうしていない。少女がいるのは、イーリス城下町にある公園。時間が時間だからだろう、小さい子供の姿はなく、ここにいるのは彼女だけであった。彼女は今はいない大切な人物を想い、切ない目で空を見上げた。もう少し経てば太陽は沈み、夜がやってくる。夜になると不安になる――少女は胸の中で呟いた。幼いころは母に抱きしめられて眠った。母が戦うことを仕事としていたからかもしれない、小さな自分は貪るように愛を求めた。それから数年が経過すると反発心がそれを上回って、毎日のように冷たい言葉を吐いていた。それでも母の手は、母の目は、優しかった。その日々を思い出せば涙が滲みそうになる。あの日々を終わらせたのが父であるなんて――そこまで考えて、少女は俯いた。母の名はティアモ、父の名はルフレ――。孤独というものを知ってから何度も胸の中で呼んだ名前だ。父は邪竜の血を引く存在で、彼は多くの者の命を奪った。それでも記憶の中の彼は優しい目をしていた。今でも思うのだ、彼を救い、邪なるものだけを滅することが出来たなら、と。

「セレナ!」

今はもう考えても意味のないこと。そう首を横に振った時だった、名前が後ろから降りかかってきたのは。声の主は少女――セレナと同じ天馬騎士団のメンバーであるシンシアだった。聖王となったルキナの実妹にあたる。それを思い出してセレナの気持ちはまた沈んだ。妹。そう、彼女にも妹がいた。明るく前向きで、嫉妬してしまうほどに純粋な心を持っていた妹マーク。彼女だけが最後まで父を信じ、姉であるセレナとその仲間たちと対立した。小型のドラゴンを愛で、軍師であったルフレを尊敬していた少女、それがマークである。マークはあの戦いの中で命を落とした。恐らく、宝玉を手にイーリスを目指していたアズールたちと戦ったギムレー教団のドラゴンマスターが彼女であろう。アズールが前にそう言っていた。セレナはその時思った。その場に自分がいたら、妹に武器を向けられただろうか、と。年のそう離れていない姉妹だった。その為か、友情にも似た家族愛を築いていたように思う。マークはどんな思いでこの世界から出て行ったのだろう。――自分のことを少しでも思ってくれただろうか。セレナはそこまで考えてから、首を横に振る。それはもう、誰もわからないこと。沈黙したままのセレナにシンシアが歩み寄ってきた。濃紺のツインテールを揺らしながら。そしてセレナの肩にそっと触れた。

「……行こ?ルキナたちが待ってるよ」

どうやらシンシアはセレナを探しにわざわざここまで来てくれたらしい。セレナはそうね、とだけ口にした。背を向けたシンシアの隣まで小走りで行き、肩を並べる。今日はルキナに呼ばれて、仲間全員で集まる日であった。王宮で食事を取り、明日、皆で亡くなった大切な人たちへ花を手向ける。戦いが終わってからはひと月ごとにそれをやってきた。

「髪、おろしたの久しぶりに見たよ」

これも似合うねとシンシアが笑った。悲しい気持ちに埋まりそうであったセレナにはその笑顔は救いと言えた。ふたりを見下ろす空は先程よりもずっと明度を落としている。頬を撫でる風も冷たい。セレナとシンシアは特に会話を交わさずに城へ歩いて行った。



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