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精神分析まがいの観点から

BW及びBW2は海外が舞台ですが内容はすごく日本人の感性で作られてますよね。
日本神話や日本の御伽噺ってのはイザナギイザナミ神話や鶴の恩返しを始めとする結末が別離というのが多いですよね。イザナギイザナミ神話では自分の腐乱した死体を見られたイザナミが恥をかかされたと怒り、逃げ出したイザナギを追いかけ最終的には離婚という形になる。鶴の恩返しでは身を削りながら散々尽くした男にやはり約束を破られ姿を見られて去る。
要するに身を削り尽くしながらも傷付いたモノ、醜いモノは去る或いは淘汰される別れ話が日本には多い。
BWではまさにNくんがそういうポジションですよね。自分の夢とはいえ組織やゲーチスさんのために身を削り、しかし最終的には傷付き去っていく。BW2では女神たちの言葉からポケモンの声が聞こえる=不気味、極端な言い方をするとそれを知られることは「恥」でもある。
日本神話や御伽噺では去っていく女性たちを傷付いたモノ或いは醜いモノとしており、国作りをイザナミに依存したイザナギや鶴に機織りをねだった男を「子供」として書いてるんですよね。これに当てはめるとBWでは前者はNくん、後者がゲーチスさんになる。
でもBW2では傷付き去っていくモノがゲーチスさんになる。
そういう点から考えると、BWは傷付いたモノの受容の拒否とそれを繰り返す人の業がテーマにも思えてしまう。ちなみに形は違えども人がそうやって神話や御伽噺の展開を繰り返す無意識を心の台本と呼ぶそうです。
それにBW2のヒュウくんのPz団への激しい嫌悪も日本人の根底にある潔癖な面や神経症的な面の現れにも思えますよね。
BW、BW2を通した印象はある意味では日本人への皮肉なのかな。