dust | ナノ




位置丹のさん死

LOVELESSその後ボツ






「Nはよく手伝いもしてくれますし、良い子ですよ」

皿に積もった泡を洗い流しながら、彼女は穏やかな顔で紡いだ。濯ぎ終わった皿を受け取り、布巾で水気を拭う。一通り昼食の片付けを終え、蛇口を捻る彼女の横顔を茫洋と眺めた。

驚くほど、ごく自然な流れであったと思う。何の前触れもなく現れた私を、抵抗も躊躇いも見せずに受け入れた。今日は午前で店を閉めると言い、かつてと同じ帰路を辿る。Nもまた、ただ黙って彼女に従うだけだった。
Nは、私が見ても変わったと思う。表情が柔らかくなった。人間らしくなったと言っては、あまりに酷い気もするが、そう感じるだけの変化があった。恨み言も言うわけでもなく、糾弾するわけでもない。受け入れるだけの余裕は、彼女から譲り受けたものだろうか。

彼女も見ないうちに髪が幾分伸びて、昔よりも女性らしくなったように見える。こう言ってはなんだが、やはり以前の彼女は決定的に幼い部分があった。もちろんそこを非難するつもりなど毛頭ない。それも1つの個性であり、彼女の感受性に関わる重要な面であったと考えるからだ。また彼女も自身の体型を「起伏に乏しい」になどと零してはうなだれていた。視点は違えど、少なからず自覚はあるようだ。それが数年ぶりの再会により変化し、大人びたものになっていた。
驚き、とまではいかないが、微笑ましい気分になったのが素直な感想であった。

糾弾も責め苦も、恨みも怒りも受け入れるために戻って来たというのに。つくづく彼女には意表を突かれる。――いや、彼女のことなら大丈夫だと、打算的な自分がいたのは事実だ。確信に並ぶ自身の甘さには、吐き気にも似た嫌悪がよぎる。

「疲れて、ますよね」
「!」
「今日はゆっくり休んでくださいね」

不意に、手元に落としていた視線を掬うように彼女が覗きこんでくる。それに苦笑を浮かべながら、彼女の肩を流れる髪を払う。柔らかい感触が妙に懐かしい。そのまま指先を頬に滑らせる。途端に彼女は弾かれたように離れた。真っ赤に染まる肌に、思わず首を傾げる。

「? 何か」
「え、いや……あの」
「……」
「だって……」

……心当たりが、ないわけではない。しかしそこまで意識するとは思ってはいなかった。確かに、彼女に私に妻がいたことは話したが、彼女自身の色恋沙汰は聞いたことがない。もっとも、自ら聞く気分にもならなかったが。思いのほか初々しい態度に小さく笑うと、彼女は顔を赤らめたまま私の胸を小さな手のひらで叩いた。その手を悪戯に掴むと、薄い肩が強張る。

「意識し過ぎでは?」
「……」
「素直ですね」

目をそらす、というのは、どこまでも手軽で都合の良い逃避手段だ。つい意地の悪い対応をしたくなるのは、それに対する上手い応えを持たないからだろう。虚勢を張るように唇を噛み、手を振り払おうと試みる姿に小さく笑った。

「……久々に会ったのにあまり苛めないであげてよ。nameはずっと待ってたんだ」
「!」

ふと、後方から聞こえた声に無意識に手を離す。ソファーに脱力したように座っているNが、眠たげな目を何度か瞬かせ、こちらを見ていた。

「毎日毎日、食事は多めに用意していたし、いつも来訪者には過剰に反応してた」
「え、N、余計なこと言わなくていいの」
「本当のことだろ。そのたび落胆して、なのに恨みもしないでずっと待ってたんだ」

優しくしてあげてよ、とどこか1人詰まらなそうに言ったNに、苦笑が零れる。面白くないのだろう。Nが彼女によく懐いてることは一目瞭然だ。それが果たしてどのような感情で構成されているのかは知らない。しかしここに来るまでに、彼女とNがそういう関係になっていたらなっていたで良かったと思っていた。実際は恋慕よりも思慕が勝ったのか、男女ではなく母子のように映る姿には意表を突かれた。
……嫉妬でも、しているのだろう。
私がいなければ、彼女の視線はひたすらNに注がれていたに違いない。

それはそれで、2人は倖せだったのだろう。





意識しないほどの余裕など私にはやはりない。彼の過去の女性経験などそれこそ知らないが、その素振りからは私よりずっと大人なのだということがわかる。こんな時でさえ顕著になる自分の幼稚さには、嫌気が差す。情けなさと羞恥から俯くと、Nの声が響いた。
彼の擁護とも暴露ともつかない発言に、余計に自分の余裕のなさを思い知る。