dust | ナノ




帰り道未知

「……あまり、遅くならないように」

なんて、まるで親のような科白を言うものだから、思わず聞き返してしまった。いや、彼はボクの父親なのだけれども。ただ生まれて20年近く、彼から親らしい施しなんて受けた記憶は皆無に近かった。もちろんボクの記憶にないだけで、彼が人並みにボクを愛してくれた過去もあったのかもしれない。ただあったとしても、それを思い出すにはあまりに長い間、ボクたちの関係は凍り付いていた。きっかけは、母にあたる女性の死だと身内が声を抑えて言っていたのを覚えてる。父親のボクに対する態度は、ずっとネグレクトまがいだった。だから昔一度だけ、ボクを施設に入れる話が親戚の中で出たことがある。そこまで追いつめられた親子関係は、張り詰めた糸の危ういものだった。
今更やり直しなどきかないと、思わざるを得なかったのだ。
それだけに、何年もまともに目を合わせることすらなかった彼と、まさか目を合わせて話す日が来るなんて誰が想像するだろう。高揚と緊張が攪拌した胸の内を引きずりながら、この一連の出来事をまくしたてるように隣を歩く彼女に語った。

「良かったね」
「良かった……良かったのかな、ねえ本当に良かったのかい?」
「嬉しくないの?」
「それは、分からない、かも。まだ、動揺というか、もしただの白昼夢だったらどうしようって」

浮き足立つ心中からか、自分でも分かるくらい早口になっている。可笑しそうに笑う彼女に、つい眉間にしわが寄った。
――彼女は、2、3年ほど前からボクたちの家で働いている使用人だ。ゲーチスが雇ったらしいのだが、その詳しい経緯は聞いていない。ただ彼女と彼が旧知の仲であること、彼女がボクに良くしてくれることだけは確実だった。
もしかしたら、ゲーチスの態度の変化は彼女が関わっているのだろうか。極端に人付き合いを避ける寡黙な彼が、彼女が来てから口数が増えたように思えた。買い出しの帰りだった彼女を見付けて、聞いてみたいと思った所存だ。

「ねえ、ゲーチスに何か言ったの?」
「何も言ってないよ」
「でもよく2人で話しているじゃないか」
「Nとも話すでしょう」
「じゃあ、どんなこと話してるの?」
「Nと似たようなこと」
「はぐらかさないでくれよ」

再び笑って誤魔化そうとする彼女は、不意に足を止めた。気付けばもう玄関の前だ。そして彼女は一度荷物を下ろしてドアを開ける。……ボクが荷物を持つかドアを開ければ良かった。肝心なところで気が利かない自分の体たらくぶりに、つい小さな罪悪感が発露した。

「どうしたの?」
「いや、なんでもないよ」

首を傾げる彼女に頭を振り、足を進める。同時に奥の廊下から、本を抱えたゲーチスが現れた。
……部屋の片付けでもしていたのだろう。

「あ、ただいま戻りました」
「……お帰りなさい」

どこかぎこちなく答えた彼に、彼女は苦笑した。しかしごく自然に彼女はキッチンに向かう。なんとなく残されるのが気まずくなり、まるで隠れるようにその追った。
――さっき彼女の手伝いをしなかった自分に後悔したばかりだというのに、また何もできなかった。





「後悔するならすぐに引き返せばいいのに」
「……」




*挫折なり