dust | ナノ




あなたなんか嫌いです

私は貴女が嫌いです、と。


紡いだ彼の顔には冷ややかな笑み。ザラザラと無機質な音を奏でる千歳色の髪は、日の光に透けて揺れた。一瞬だけ時間が止まってしまったように間をおいて、私は静かに息を吐き出す。腹の底で熱がくすぶる。それを悟られないよう、努めて冷静に私は言葉を吐き出した。


「…人手不足だと…ランスさんの部隊に私は派遣されただけです。決めたのはアポロさんです。」
「ええ、そうですね」
「人手不足だという状況を作ったのはランスさんです」
「大した口のききかたですね。それに使えない部下を切り捨てただけでしょう?」
「………」


むしろ組織の為だと、そういうようにつり上がる口角。だからこの人の部隊は嫌なのだ。組織の人員不足というのは全てこの人が起因している。何が気に入らないのか、或いはただの遊びの延長のつもりなのか。組織を辞めていく人間の半分以上がこの人に潰されている。詳細こそ知らない。しかし組織の下層を担う人間たちはよく冷酷だ残酷だなどと口々にしていた。彼の部隊に派遣されれば、この組織の団員であるという立場に死の宣告をされたも同然だと。

…確かに、廊下ですれ違いざまに新しく部下になった人間にあんなことを言うのだ。私が受けたのはあまり良い人事異動ではないだろう。目の前にいる上司に後先が不安でならない。
そしてそんな私に更に追い討ちをかけるように彼は言葉を紡いだ。


「嫌いなんですよ」
「…私に言われても困ります」
「貴女のそういうところ…」
「……!」
「実に気に入らない」


不意に伸びてきた手のひら。それは無造作に私の顎をつかみあげる。吐息もかかるほど間近にせまる冷ややかな瞳に息を呑んだ。

「身の程をわきまえなさい。他の幹部の人間が貴女にどう接しているのかは知りませんが…、あまりにつけあがるようでしたら潰しますよ…?」

爛々と揺れるそれは捕食者の目だ。最早殺意とした取れない空気に嫌気が差す。なんとかその手から逃れようと抵抗を試みれば、その余裕のない私の様子に彼は満足したのか、至極満足そうな笑みを浮かべた後に手を離した。

(サディストめ…!)

内心で毒づき睨みつける。これじゃあ部下が辞めていくのも無理はない。早急にアポロさんに掛け合う必要があるだろう。
この場から逃げ出したい衝動にかられるも、わざわざ相手を喜ばせるようなことはしたくない。目の前で意地の悪い笑みを浮かべる彼を一瞥した。


「…貴女、躾をされていないようですね。」
「余計なお世話ですよ」
「フン…まあいいでしょう。この後さっそく仕事になるので忘れないでください。」
「…はい」
「………」


じろりと一睨み、置き土産と言わんばかりにそれを残して彼は去っていく。
その背中を睨み付けて、私は盛大に啖呵を切った。


「っ私だって!大嫌いです!」
「………」


上司に宣戦布告。言ってやった。いや、言ってしまった。向けられた視線の冷たさに怯んだが、そんなことはどうでもいい。逃げるようにアポロさんの部屋に向かう私は、何ともいえない複雑な気分だった。



+++



「…そんなわけで人事異動を…」


逃げるように駆け込んだ先で、デスクに向かう統率者に懇願するように口を開く。黙々と書類を手に作業を進めている彼は一瞬だけ視線を私に向け、深く溜め息をつきながら口を開いた。


「一団員が幹部に命令ですか?だからお前はランスを敵に回すんですよ。」
「アポロさん…何とかなりませんか?私あの人に殺される自信があります。」
「なりませんね。腹をくくりなさい。」
「元部下を見捨てるおつもりで…」
「お前には手を焼きましたから。少し自覚なさい。」
「はあ…」


私はどうも上司に恵まれないらしい。壁を背にズルズルと床に座り込む。肺の中の空気を限界まで吐き出して、何食わぬ顔で書類を眺めている上司を睨んだ。


「こんなところで油を売ってる暇があったらさっさと行きなさい。」
「殺される…」
「知りません。早く行きなさい。」
「………」


睨まれてしまったら従うより他ならない。重い腰を持ち上げ、ゆっくりと立ち上がった。同時にドアのノック音が部屋に響く。それを他人ごとのように聞きながら立ち去ろうとすれば、開いたドアからはまさかの人物。無意識にも露骨に表情が歪めば、案の定彼から殺意全開の睨みを向けられた。


「…待ってもこないと思ったらこんなところに…。とことん躾がなってませんね。」
「うわ…」
「ランスですか。ちょうどいいところに来ましたね。早くこれを連れて行きなさい。」


ついてない。本当についてない。近寄ってくるランスさんから逃げたくてたまらない。何故こうも運が悪いのだ。その上残念ながら今の私には逃げ道がない。数歩後退り、目の前にせまるランスさんに顔をひきつらせた。


「さて、仕事にいきますよ」


浮かんでいる笑みが恐ろしく冷たく見えるのは気のせいではないだろう。ここでついていったら確実に殺される。救いを求めるようアポロさんを見るが、諦めろとでも言うようにしか視線を送ってこなかった。こうなれば逃げるしかない。それが最善の手段だ。チラリと一瞬だけランスさんを盗み見て、一気に走り出した。


「!?お待ちなさい!」


ドアを乱暴に開け放ち廊下を全速力で駆ける。そうなればもちろん相手も黙っていないだろう。背後から足音が聞こえた。間違いなく追ってきてる。こうなってしまうと後は体力勝負だ。男女の差からすでに結果は見えているように思えるものの、簡単に捕まってやるほど甘い考えは持っていない。

がむしゃらに廊下を駆け巡る気の重い鬼ごっこが始まった。



…もちろん私が最終的に捕まって、ランスさんから虐めとしか思えないような仕打ちを受けたのは言うまでもない。








20100124