ソロウィン
「シエルーっ!」
屋敷の扉が開くなり、愛らしい少女の声が響き渡った。
ふわふわの金の巻き毛に、ピンクで着飾った、シエル様の婚約者。
彼女の声を聞いて集まった使用人は、彼女の手によって次々と可愛らしく装飾されていく。
私は、屋敷へ向かってくる馬車の音を聞いて玄関にやって来ていたため、真っ先に装飾されてしまった。
「エリザベス様、これは……?」
「ボンネットよ!この間、ヘッドドレスを着けた時に思ったの。アリスには真紅が似合うって。」
そう言って、あっという間に首もとのリボンが結ばれた。
「ありがとうございます。」
今、私は一体どんな姿になっているのだろうか。
メイド服に、真紅のボンネット……全く想像がつかなかった。
バルドさんはレースたっぷりサックスのヘッドドレス、メイリンさんはリボンがアクセントのミニハット、フィニさんはピンクの特大リボンカチューシャに、スネークさんは濃緑のヘッドドレス。
タナカさんには小さなティアラが載せられた。
「……リジー。」
階段を降りながらこの惨劇を見下ろすシエル様は、既に声から疲労が滲んでいた。
「あっ!シエル!」
「今日はどうしたん……だっ!」
降りてきたシエル様の胸に、エリザベス様が飛び込んだ。
その衝撃に必死に耐えるシエル様の背中を、セバスチャンさんがこっそり支えていた。
「あのね、少し早いけど、ハロウィンを一緒にしたいと思って来たの!」
エリザベス様は笑顔の花を満開にして、そう言った。
この笑顔の持つ力には、誰も勝てないだろうと思う。
あんまり元気に咲くものだから、枯らしてしまうのが心苦しいのだ。
「……わ、分かったから。」
「ホント!?嬉しい!あのね、シエルと私、お揃いのお洋服を買ってきたのよ!早速着替えてきて!」
有無を言わさぬ力強さで、エリザベス様は洋服の入っているだろう箱をシエル様に手渡した。
最早頷くことしかできないシエル様は、箱を受け取ると、静かに自室へと向かう。
「あのね、用意してもらいたいものがあるの。」
シエル様を見送ると、エリザベス様が私にそう言った。
小首を傾げるその愛らしさに、思わず目が眩む。
「何でしょう?」
「あのね……。」
内緒話をするように、エリザベス様が口元に手を当てた。
私はそこに耳を寄せる。
「はい、かしこまりました。」
特別内緒にするお願いではなかったけれど、お嬢様がするには、少しやんちゃな遊びの手伝いだった。
私は地下から樽を運び出すと、そこに水を張った。
キッチンへ行って、林檎を籠いっぱいに詰めると、ホールへ戻った。
エリザベス様は、紫にオレンジの差し色のある、別珍の愛らしいワンピースに着替えていた。
頭には、小さなとがり帽を飾って。
「エリザベス様、どうぞ。」
ナイフを渡すと、エリザベス様は持ってきた林檎の一つに、ハートのマークを刻んだ。
「何をするんだ?」
着替えてきたシエル様がやって来た。
シエル様の恰好も、紫にオレンジの差し色のある、別珍の三揃えだった。
なるほど、エリザベス様の言った通りのお揃いだ。
「あのね、アップルボビングをしようと思うの。」
エリザベス様はそう言って、ハートを刻んだ林檎を見せた。
「私がマークをつけた林檎を取った人には、お菓子のプレゼントよ。」
にっこり笑って、シエル様を見た。
シエル様は、必ずこの林檎を取らなくてはならない。
引き締まるシエル様の表情に、こちらも緊張してしまう。
「アリス、林檎を樽に入れて。」
「はい。」
エリザベス様に言われた通り、籠の中の林檎を、水を張った樽に落としていく。
最後に、エリザベス様がマークを刻んだ林檎を樽に落として、樽の水を一回転、かき回した。
もう、どれが当たりの林檎なのか分からない。
「シエルと、セバスチャンと、アリスと、メイリンの四人で対決よ!」
名前を呼ばれた四人で、樽を囲んだ。
シエル様とセバスチャンさん、そして私は妙な緊張を感じていて、メイリンさんはメイリンさんで、顔を真っ赤に染めていた。
「じゃあ、スタート!」
全員で樽に頭を突っ込んだ。
大切なのは、シエル様に沢山林檎を取らせる事だ。
沢山林檎を取る事ができれば、当たりを引く確率は上がる。
セバスチャンさんと私は、なるべく林檎がシエル様の方へ行くように、口を使って林檎を押しやった。
メイリンさんは、頭を突っ込んだ段階で、セバスチャンさんと目が合ったのだろう、真っ赤だった顔を更に赤く染めて、後ろに倒れてしまった。
シエル様は必死で林檎のヘタに齧り付く。
時間はかかるけれど、1個ずつ確実に引き上げていった。
「林檎を取ってるの、シエルばっかりじゃない。セバスチャンもアリスも、不器用なのね。」
明るいエリザベス様の声に心底ホッとする。
この作戦はまだばれていない。
あとは早くシエル様が当たりを引くだけだ。
樽に頭を突っ込んだ姿勢はとても辛くて、背中に痛みが走る。
きっとセバスチャンさんはもっとだろう。
シエル様が丁度五個目の林檎を引き上げた時、あった、と声がした。
私とセバスチャンさんは、その声に顔を上げる。
シエル様が右手に持った林檎には、ハートマークが刻まれていた。
「シエルすごーい!」
エリザベス様の無邪気な声に、セバスチャンさんと私は目を合わせて、互いに深い息を吐いた。
飛びついたエリザベス様の背に手を添えながら、シエル様も深い息を吐いていた。
「これ、景品のお菓子よ!」
ロンドン市内の有名菓子店の包装紙にくるまれた箱を、エリザベス様はシエル様に手渡す。
万事上手くいった事に、ホッと胸をなで下ろした。
エリザベス様はその後、シエル様とお茶を楽しんで去っていった。
全員が盛大な溜息を吐いたけれど、それは楽しんだ充足感からきたものだと分かっていた。
林檎をキッチンに戻し、樽から水を抜いて地下へ戻し、そして施された装飾を片付けた。
私には真紅が似合う、とエリザベス様は言っていた。
何故だかその言葉が妙に嬉しくて、私は何度も反芻する。
似合うとか、似合わないだとか、そんなことを考えたことが無かったから。
それは新しい発見で、感想で、とても嬉しかった。
FRAGILE
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