パイク


きらきらと水の飛沫が上がって、虹を作っていた。

「ほら、虹ですよ!虹!」

嬉しそうに笑うフィニさんの笑顔は、底抜けに明るい。
私には眩しすぎて、少し目を細めた。

いつの間にか、温室は私の好きな場所になっていた。
別に花が好きな訳でもない、その温かさを気持ち良く思う事もない。
それでも、何故か、あの硝子製のドームが、私の心の琴線に触れていた。
温室に行く回数が増えれば、必然的にフィニさんと会う回数も増える。
普段、シエル様とセバスチャンさんばかりと関わっていた私は、まだフィニさんの明るさに慣れなかった。

「虹、きれいですね。」

辛うじて出た感想に、フィニさんは大きく頷いて応えた。
良かった、間違えていない。
まともに人間と関わる事の少なかった私は、特殊な人間と悪魔ばかりとつるんでいたのだと気付いた。
それは、今も変わっていない。
悪魔と契約した特殊な人間の主に、その執事の悪魔。
それだけなら、過去と何も変わりはしなかった。
ただ、私の気持ちは大きく変わっていた。
全てを賭して守りたい主に、完璧な悪魔の先輩。
守りたいだなんて、そんな事、思った事がなかった。
ただ淡々と仕事をこなすだけで、主に害なす露を払っても、それはただの仕事だったのだ。
今は、心の底から守りたいと思う。
私というものはこんなに変化するものなのだと、初めて知った。
そして、変化というものが面白く甘美なのだと知った。

フィニさんと一緒に温室の植物に水を遣ると、私は屋敷に戻った。
良く晴れた空と、薄暗い廊下との差で、視界が濃い緑色でチカチカする。
緑に侵食された視界の中で、私は記憶に頼って廊下を進んだ。

あ、黒。

そう思ったら、その黒にぶつかった。

「おや、大丈夫ですか?アリスさん。」

「あ、はい。すみません。」

まだ少し、目が眩んでいた。
黒かったのはセバスチャンさんの背中で、振り向いても、やっぱり黒の占める面積が大きかった。

「最近、よく温室に行っていらっしゃるようですね。」

「はい。何だか気に入ってしまって。」

「そうなんですか。」

セバスチャンさんは、いつもの微笑みのままだった。
きれいに張り付けられたそれは、均整がとれていて、完璧だ。

「アリスさんは花がお好きなんですか?」

「そういう訳じゃないんですけど、何故か、温室は落ち着くというか……。」

「そうなんですね。」

歩き出したセバスチャンさんの少し後ろを、私はついて歩く。
大きな背に合った、大きな歩幅。
それでも、私の歩くペースに合わせてくれている事はよく分かっていた。

「先日も温室で寝ていらっしゃいましたけど。」

「その件は、本当に申し訳ありませんでした。」

「アリスさんがいると、何だか温室は大きな鳥かごのようですね。」

セバスチャンさんはそう言って笑った。

「私じゃなくても、誰が居たって同じ鳥かごじゃありませんか?」

私の発言に、セバスチャンさんは大きく首を横に振って否定した。
そして歩みを止めた。
私もそれに合わせて、歩みを止める。
セバスチャンさんは私の顔を覗き込んだ。

「私の顔に、何か。」

そう言ったところで、セバスチャンさんの唇が降ってきた。
重なった唇は、何度も角度を変えて私の唇を捕らえる。
その隙に、必死に酸素を取り込むと、喉の奥が小さく鳴った。

「ほら、小鳥の囀りが。」

そう言って、セバスチャンさんが微笑みを強めた。
私は何だか悔しくなって、飄々と歩き始めたその背中を少しだけ睨んだ。
小鳥だなんて、私だって悪魔なのに。
何だか、「お前は非力だ」と言われたような気がして、悔しかったのだ。
そんな事を言う人でない事も分かってはいるのだけれど。

私は深呼吸をして、気を落ち着かせる。
再び歩き始めた廊下は、薄暗い、いつもの廊下だった。


FRAGILE



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -