眠れる森


やわらかな陽の射す午後、芝生の青は萌えて、艶を持って輝いていた。
遠くから数台、馬車の走る音がして、私はセバスチャンさんに声を掛ける。
今日は商談があるのです、と言われて、私は指示された通りに茶器を磨いていた。
徐々に音は近付いて、屋敷の前で停まった。

「アリスさん、お願いしていた……。」

「はい、もう済んでいます。」

磨いた茶器を並べたワゴンを、セバスチャンさんに預けた。

「今日のお客様には、給仕は結構です。私一人で行いますから。」

「はい。」

この屋敷に来て、来客の給仕をしないのは初めてだった。
表に出て掃除をする訳にもいかず、茶器も殆ど磨ききってしまっていた。
給仕をセバスチャンさん一人で行うということは、私はお客様の前に出るな、ということだ。
まだ仕事をする時間だ、自室に戻る訳にもいかない。
シルバーはきっと、セバスチャンさんが磨ききっているだろう。
手持ち無沙汰になるのは、初めてだった。

キッチンを出て、洗濯室へ向かう。
既に今朝、洗剤の使いすぎで一騒動起こった場所だ。
全ての片付けが終わった今、行ったところで何もすることはない。
暫く無人の洗濯室を眺めて、改めて自分が暇を潰す術を持たないことを思い知った。

何となく、ただ何となく、花を見に温室へ向かった。
客もここへは来まい。
今朝フィニさんが枯らした鉢が、温室の前に並べてある。
この鉢に咲いていたのは、ガーベラだった。
すっかり萎れて色を失ってしまった花弁が、土に横たわっている。
薔薇が守られただけでも上出来だろう。
シエル様の好きな白薔薇は、温室の中で陽を受けて、その白さを更に誇っていた。

温室の扉を開けて、その中に入る。
開けた瞬間、籠もっていた熱が一気に解放される。
部屋に満ちた温もりは、紗のように体に纏わり付いた。
土を見れば、全て黒く湿っていて、水遣りは終わったのだと知る。
白薔薇は清廉で高潔で、シエル様のようだと思う。
その刺さえも、高潔である証のように思う。

温室に備えられたテーブルセットの椅子に座った。
見上げると、ドームの天井が鳥かごみたいに思えた。
全身を包む温もりが、日差しが、ただ柔らかく私を包み込む。
私は、襲い来る微睡みに抗う術を持たなかった。

「アリス、おい、アリス。」

肩を思い切り揺すられて、意識が返ってきた。

「何でこんな所で寝てるんだ。」

呆れた、そんな声色だった。

「――あ、シエル様!」

と、その後ろにはセバスチャンさん。
辺りはすっかり暗くなっていて、セバスチャンさんの持つランタンの明かりが目に眩しい。

「業務時間中に居眠りとは、いただけませんね。」

「すみません、すみません。」

椅子から立ち上がると、水飲み鳥よろしく何度も頭を下げた。

「あの、お客様は、もう――。」

「皆さん、帰られましたよ。」

「そうですか。」

ああ、やってしまった、失敗してしまった。

「アリス、行くぞ。」

「坊ちゃんの夕ご飯は、もう出来ていますから。」

そうだ、給仕をしなければ。

「本当に申し訳ございませんでした。」

「もういい。いいから早く行くぞ、アリス。」

そう言って、シエル様は私の手を掴んだ。
セバスチャンさんが温室の扉へ向かい、私たちがその後を追う。
シエル様の掴む手が一瞬離れ、そして今度は、指が絡んだ。
驚いてシエル様を見ると、シエル様は目を合わせないよう、そっぽを向いていた。
繋いだ手は、幼いのに骨張っている。
温室を出て、屋敷へと戻る。
セバスチャンさんが扉を開ける隙に、繋いだ手が強く引かれた。
思わずバランスを崩しそうになったけれど、何とか耐える。
前傾姿勢をとる私の唇に、一瞬、シエル様の唇が重なった。
驚いて固まる私をそのままに、繋いでいた手が離された。

「キスで起こすのがセオリーだろう?」

耳元で、シエル様がそう囁いた。

「どうしましたか?アリスさん。」

セバスチャンさんの声で我に返ると、慌てて姿勢を正す。
シエル様は、何もなかったように、平然と屋敷の扉をくぐる。
私は慌てて、その後を追った。


FRAGILE



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