バルーン


目を突き刺すような朝陽に、思わず目を細めた。
今朝は清々しく晴れ渡り、天井にしがみつく明けの明星が、その明るさに飲み込まれていった。
まだ誰も、否、セバスチャンさん以外は起きてはいないだろう。
部屋の窓から覗く空に、明けてく夜の名残を探していた。

着替えを済ませて身繕いを済ませると、部屋から廊下へ出る。
まだ陽の入らない薄暗い廊下を、キッチンへ向かって歩いていた。
朝食の支度をするセバスチャンさんを手伝うために。

「おはようございます。」

1人でキッチンに立つ黒い背中に、声を掛けた。

「おはようございます。」

こちらを振り返って、セバスチャンさんは微笑んだ。

「今朝はハーブを採って来て頂いてもいいですか?」

「はい。」

朝食の支度を手伝う事は、既に日課になっていた。
私はキッチンから温室へ向かう。
屋敷から出れば、朝露に濡れた芝が私の服の裾を濡らす。
空にはもう、夜の影は何一つ残っていなくて、爽やかな青が天井を一面染めていた。
温室に入って再び空を見上げれば、硝子のせいで青が歪み、ムラになっていた。
指定されたハーブを摘み取っていく。
摘んだ傷口から、ハーブは香りを強く漂わせる。
それらが混ざって、温室の中を占めていった。

「戻りました。」

キッチンに戻って、ハーブをセバスチャンさんに手渡す。

「ありがとうございます。」

ハーブを受け取るセバスチャンさんの手が、私の手ごと引き寄せた。

「坊ちゃんは、こうされるんですね。」

「え?」

引き寄せられて思わず前傾姿勢になった頭に、セバスチャンさんの声が落ちてきた。

「なるほど、坊ちゃんらしい。」

「どういう意味ですか?」

顔を上げると、セバスチャンさんの口元はいつも以上に吊り上がっていた。
それは、何か面白い事を見付けた子供のような、無邪気なものだった。

「本来なら、主人と従者が唇を重ねるなんて、あり得ない事なのですが。」

「それは、分かっています。」

セバスチャンさんは全て知っている。
元々分かっていた事だけれど、改めてその事実を突きつけられたような気がした。

「2人きりで、こそこそと……。アリスさんも、されるがままだとは。」

「……申し訳、ありません。」

どうして、今更になって咎められるのだろうか。
元から分かっていた事だろうに。

「最初から、知っていたのでしょう?」

「勿論です。」

「なら、何故、今更。」

セバスチャンさんの表情は読めない。
当たり前だ、彼は悪魔で、常に微笑んでいられるのだから。
その読めない中にも、感情の欠片を探す。
紅茶色の目の奥は、相変わらず黒く澱んでいるばかりだった。

「何故でしょう、今更、気になってしまって。」

けろりと、そう言ってのけた。

「私は、本当に、アリスさんが坊ちゃんに取られてしまうのが悔しいようですね。」

「どういう意味ですか。」

所有物だの、取った取られただの、私にはよく分からない話だ。
シエル様とセバスチャンさんと、何か張り合っているのだろうけれど、私には分からない。

「アリスさん、あなたの感情はどこにあるのですか?」

セバスチャンさんが、私の瞳を覗き込むように屈んだ。
瞳の奥を覗かれたとて、同じ黒が澱んでいるだけだというのに。

「私はいつだって、ここに在りますよ。」

「……全く、アリスさんという人は。」

セバスチャンさんの瞳が閉じられた。
それと同時に、私の手も解放される。
一体、私が何だというのだろう。

「アリスさんは、私たちの思惑が見えないように、誰かに目隠しでもされているんですか?」

皮肉だ、と分かった。
でも、その真意が分からない。
2人の思惑がどうかとか、その迷いの森の中でずっと彷徨っているのだから。

「さあ、誰かに目隠しされた覚えはないのですが。」

そう答えると、セバスチャンさんの微笑が小さく歪んだ。
諦めたように溜息を1つ吐かれて、私は少しムッとした。
何がいけないというのだろう、何を諦められたのだろう。

「アリスさんは、本当に難しい方ですね。」

そう言って、セバスチャンさんからナイフを手渡された。

「あちらの野菜の皮剥きをお願いします。」

「……はい。」

難しいのはセバスチャンさんの方じゃないか、と言える訳もなく、私は素直に指示に従う。
シエル様の感情も、セバスチャンさんの感情も、難しくて仕方がない。
――なら、言われたように、私の感情は?
私の感情は今ここに在って、その他の感情だなんて持ち合わせていない。
私はまた、迷いながら、ナイフを滑らせていた。


FRAGILE



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