ダンスマカブラ


緩やかに日が暮れ、夜は足音を立てずに世界を染め上げる。
まだ幼い主の1日が終わり、私たち使用人も仕事を終え、各々の部屋へと戻っていった。
窓から外を覗くと、上弦の月が、硝子に歪められていた。

趣味の睡眠の前に、一仕事しなくてはいけないらしい。
屋敷を囲む、何人もの気配を感じた。
窓から表へ飛び降りると、気配を辿って進む。

今日は霧が濃い。
メイド服は水分を吸い込んで、微かに重みを増した。
霧が立っているのに安心してか、銃を携えた数人は、木の陰からその姿を覗かせていた。

霧はいい。
私が悪魔としてこの世に顕現した際には、よく霧に姿を変えたものだ。
しっとりと体を覆う紗のようなそれを、肺の奥に満たしていく。
その心地よさに、思わず眼を細めた。

「今晩は。」

木の陰に潜んでいたうちの一人に声を掛けた。
その背中が大きく跳ね、そして震えた銃口を向けられる。

「こんないい夜に、何のご用ですか?」

銃を構えた手首を掴むと、その内側に指を食い込ませた。
自然と開かれる指先から、銃がこぼれ落ちる。

「うわっ。」

痛みからなのか洩れた声に、周囲の気配が一気にこちらに集中する。
一斉に放たれた銃弾を、手首を掴んでいた男性に受けてもらうことにする。
私の目の前で、その男性は仲間の手によって殺されてしまった。

「ああ、かわいそうに。」

濃い霧が、彼らの視界を微かだが蝕んでいる。
人間は視覚の生き物とはよく言ったものだ。
私には、彼らの姿も、その動揺も、手に取るように分かるというのに。
さて、どう始末したら楽しいかしら。
そう思ったところで、背後から肩を叩かれる。

「今夜はお楽しみのようですね。」

「誤解を招くような表現はやめてください。」

真っ黒な姿が、霧の中から現れる。
まるでこの霧の主のように。

「霧の夜は好きなんです。ですから、テンションが上がってしまって。」

私たちが会話する間にも、彼らは銃のトリガーを引く。
それも全て、最初の彼が受け止めた。

「何だか、悪魔らしいアリスさんというのは久し振りですね。」

「そうですか?」

「ちょっと見学させてください。」

そう言うと、黒い影は、頭上の枝へ腰掛けた。

私は、それまで盾にしていた男性を放り捨てた。
それと同時に、こちらから一番遠い殺意へ向かう。

「今晩は。」

「うわっ、うわ!」

目の前で挨拶をする。
男性は驚いて、銃口をこちらに構えた。
その銃口を胸に押し当てながら、男性の顔を間近に見据えた。
視線がしっかりとかち合う。
彼の目には、私の瞳の、黒い澱みがよく見えているだろう。
悪魔には、人を惑わす力がある。
男性から視線を外すと、そっと耳元で囁いた。

「ほら、あなたの敵が沢山。」

彼の側から離れて、他の殺意の元へ向かった。
殺意の総数は20程度。
そのうちの半分に、同じ言葉を囁いた。
私の囁きを聞いた彼らは、一番近くの同胞を撃ち抜く。

霧の夜の良いところは、音があまり響かないところだ。
幾つもの銃声も、その湿度に負けてしまう。
彼らが殺し合い、そしてあと3人までとなった時に、私はパン、と手を打った。
数秒の沈黙の後、それぞれがそれぞれの悲鳴を上げる。
正気に戻った彼らが、己の同胞を殺した事に、記憶のない事に、戸惑いを孕んだ悲鳴が。

必然的に安心を求めて、彼らは一塊に集い始める。
もうすっかり仕事を忘れた彼らは、なんと愚かな事だろう。

「よく生き残りました。」

彼らの前に立ち、微笑んでみせると、3人はそれぞれに小さな悲鳴を上げる。
なんて愚かで、非力で、醜い人たち。
そして、とびきり哀れだ。

3人のうちの1人の頭に手を伸ばして、その頭を掴む。
そしてそのまま、潰して殺す。
すると、残りの2人は見事に腰を抜かした。

「ど、ち、ら、に、し、よ、う、か、な。」

残り2人の顔を覗き込んだ。
恐怖と絶望とに充ち満ちたその顔が、面白くてたまらない。
どちらも既に地獄を見ているのだ。
後は、どちらが先に地獄へ行くか否か。

怯えきったうちの1人が、私の裾に縋り付いた。

「お願いだ、助けてくれ!」

振り絞った命乞いは、震えてよく聞こえない。
ただ、その姿が面白くて、私は声を上げて笑った。
ああ、なんて気分のいい夜だ。
濃い霧の中で、望まない殺し合いをして、圧倒的な力に怯えて、絶望して。

「ええ、助けてあげましょう。」

縋り付いた男の顔を両手で挟んで、そう言った。
その後ろで、腰を抜かした男が、這い蹲って、必死に逃げ出そうと試みる。
まるで虫みたいに。

「もう、こんな怖い思いは嫌でしょうから。助けてあげましょう。」

挟まれた顔に安堵が浮かんだ瞬間、両手に力を込めた。
ぺしゃ、と、その顔が潰れた。
虫のように這っていた男は、その光景を見て、更に這う力を込めた。

「おめでとうございます。合格です。」

潰れた男を捨てて、私は這い回る男の襟首を掴んだ。

「セバスチャンさん。」

先程腰掛けた辺りに声を掛けた。

「この男をどうぞ。」

木の葉を鳴らして、セバスチャンさんが降り立った。
近付く黒い姿に、掴まれた男は、また悲鳴を上げる。

「随分楽しんでいらっしゃいましたね。」

「はい。霧の濃い、いい夜ですから。」

「坊ちゃんが見れば、思い切り顔を顰めそうな、いい見世物でした。」

「ありがとうございます。」

セバスチャンさんは、私の手から男を受け取ると、その肩に担ぎ上げた。

「最近はもう、アリスさんは人間のようでしたから。悪魔だと再確認できてよかったです。」

「……失礼な。」

思い当たる節がない訳でもなく、日頃の生活を反省した。

「しかし、本当に霧の濃い、いい夜ですね。」

セバスチャンさんはそう言うと、屋敷に戻っていった。
私は、そこらに散らばった人であったものを片付け始める。
人を殺す、その喜びを噛み締めた。
そうだ、私は悪魔なのだ。
久々に人を惑わした、あの面白おかしさったらない。
思い出して、口元がにやける。

それにしても、霧にでも姿を変えてしまいたいような、いい夜だ。
片付けも苦にならない、むしろ楽しい程に。
悪魔でよかった、そう思えた夜だった。


FRAGILE



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