タイムストップ


雲の流れの早さに、溜息を吐いた。
仄暗い空は、もうすぐ雨を降らすだろう。
せっかくリネンを干したのに、急いで取り込まなければ。

屋敷の裏手に回ると、白いリネンが幾つも風に靡いている。
それらを挟んだピンチを外して、リネンを取り込む。
乾いているようで、微妙に湿っているそれにアイロンをかけなければ。
取り込んだリネンを籠に移すと、洗濯室へ向かった。

アイロンに炭火をいれて、リネンを伸ばす。
熱で同時に湿気も飛ばす。
ピンと張ったリネンを見ると、こちらも心地良い。
私は夢中でアイロン作業を続けた。

「ああ、こんな所にいたのですか。」

部屋の入り口から、黒い髪が覗いた。

「もしかして、探されてました?」

「ええ。ちょっとお手伝い願いたいことがありまして。」

「ちょっと待ってください。もう終わりますので。」

丁度、作業をしていたのは最後のリネンだった。
慌てて残りの部分を伸ばしてしまうと、綺麗に畳んで重ねる。

「お待たせしました。それで、お手伝いというのは?」

「ちょっとこちらへ。」

セバスチャンさんの後を追う。
たどり着いたのは温室だった。

「坊ちゃんが、今日はこちらでアフタヌーンティを、と。」

「こちらで、ですか。」

すっかり薔薇の枯れてしまった温室で。
こうなったのは、きっとフィニアンさんのお仕事の結果だろう。

「枯れてしまった花は摘んでしまいましょう。」

茶色く変色してしまった、乾燥した花であったものを、一つ一つ摘んでいく。
花は枯れてしまっていても、まだ根や茎は生きているようだ。
ついた蕾は、まだふっくらと膨らんでいる。

「まだ生きていて良かったですね。」

「そうですね。」

二人で黙々と、沢山の花を付け、咲き誇っていた残骸を摘み取る。
2人でやれば作業は早い。
それも悪魔とあっては。

摘みきった花を袋に詰め、セバスチャンさんは一旦温室を出た。
私は、テーブルに乗せてあったクロスを広げる。

テーブルと椅子の位置を直していたら、セバスチャンさんが戻ってきた。

「さて、咲かせますよ。」

そう言うと、セバスチャンさんが蕾に手を添える。
みるみる蕾が開き、花弁が一枚一枚回るように広がっていく。

「アリスさんもできますよね?」

「……あ、はい。」

思わず見とれてしまっていた。
薔薇とは、このように美しく咲くものだったのだ。
私も手近な蕾に手を添えて、微かな魔力を加える。
白い花弁が、くるくると広がって、咲き誇る。
少し、楽しくなってきた。
薔薇は、己の美しさをよく知っているのだ、と思い知った。
己の力を知る、それは生きていく上でとても大切な事だ。
こんな植物でさえ、その事実を知って、そして自身を誇る。
純粋に、感心した。
次々に咲く花に、私は何か神聖なものを感じていた。

「――っつ。」

うっかり、棘に指を刺してしまった。
薔薇に見とれていたせいだ。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫です。」

このくらいの傷、すぐに消せる。

「え。」

セバスチャンさんはすぐ側に居て、棘に刺されてしまった私の左指をとると、そっとその口に運んだ。
生温かい体温と、ぬるりとした舌の感触が指先を刺激する。

「このくらい、消せますから。」

「人間は消毒をするものですよ。」

解放された指先が、外気に触れて小さく凍えた。

「ここには、悪魔しかいません。」

「そうでしたね。」

セバスチャンさんは、けろりとそう言ってみせる。

「その花で最後ですよ。」

私が右手を添えていた蕾が大きな花をつけた。

気付けば、雨が降り始めていた。
温室の硝子の壁を、水が流れ落ちていく。
天井に雨粒のぶつかる音が響いている。
何だか、温室と雨の檻に入っている気分だった。

「アリスさん。」

「はい。」

外と隔絶された部屋に二人きり、そんな気分だった。

「坊ちゃんの所有物になってしまったのが、私は悔しいです。完全に、逃してしまった訳ではありませんが。」

「……何故。」

セバスチャンさんの手が、私の肩を掴んだ。
力の入っていないそれを振り払う事はできたけれど、私はその必要を感じなかった。

「私は、アリスさんが欲しかったんですよ。」

「所有物として、ですか?」

「分かりません。ただ、欲しいんです。」

そう言うと、セバスチャンさんの唇が、前髪に落ちた。
そのまま額に、唇に、キスが降ってくる。

「アリスさんは本当に、感情の、その微妙な揺れを見ようとしないのか、見えていないだけなのか。」

瞳を覗き込まれたけれど、きっと、私もセバスチャンさんと同じ、黒い澱が渦巻いているだけなのだろう。

「無意識の罪は、恐ろしいですね。」

「罪、ですか?」

「罪には、いずれ罰が。」

再び唇にキスをされた。
触れるだけの、柔らかなキスを。

「さあ、アフタヌーンティの準備を済ませますよ。」

セバスチャンさんはそう言って、温室を後にした。
開いたままの温室のドアの奥には、雨の檻があった。
私はしばらく、そこから動くことができなかった。
薔薇に溢れた檻の中で、己の犯した罪について考える。
罪なんて。
悪魔として犯したものではなく、きっと、それは迷いの森の中での事だろう。
私は迷いながら、戸惑いながら、何か罪を犯しているのだ。
何故か空恐ろしくなって、私は雨の中へ飛び出した。


FRAGILE



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -