バリア


温室の前で、私は青い蝶を見た。
太陽を受けてきらきらと舞う蝶の色に、シエル様の瞳を重ねていた。
先日の、不安を口にした時の、あの暗い瞳が忘れられない。
あの瞳が、こんな色に輝く時は、いつ来るのだろうかと。

不安の出所はどこなのだろう。
誰かに盗られるなんて、私はシエル様と契約しているのに。
何を不安がる必要があるのだろうか。
私はシエル様のものなのに。
シエル様のものだから、盗られると思ってしまうのだろうか。
誰に?
所有者の悩みは、私には分かりそうもなかった。

青い蝶が、咲いている秋桜に止まった。
呼吸するように開いて、閉じていた羽を、私はそっと抓んだ。
捕まえた蝶を見詰める。
綺麗な青い羽の、その鱗粉が舞う。
足をばたつかせて藻掻くその蝶を、エプロンのポケットに仕舞った。
ポケットがばたばたと騒ぐ。
指についた青い鱗粉を、エプロンの裾で拭った。

屋敷に戻って、掃除を始める。
階段の手すりを磨きながら、ポケットの中に意識を遣る。
ここには、あの青がある。
そう思うだけで、妙に心が満たされるのだった。
あの青色が、主人と同じ青色が。

「アリス。」

廊下の向こうから、シエル様が歩いて来た。

「何だ、そのエプロン。」

「え?」

言われてエプロンを見ると、ポケットで相当蝶が暴れたのだろう、青い鱗粉が燃えるように飛び散っていた。

「あ、蝶が……。」

「蝶?」

訝しげに私を見るシエル様に、ポケットの中身を差し出した。
掌には、片方の羽のもげた青い蝶が、ぴくりともせず載っていた。

「死んでしまいましたか。」

「何をしているんだ、お前は。」

呆れたように、シエル様は言い放った。
その目に落ちる、暗い影を取り去りたいのに。
どうしたら、この掌の青のように晴れるのだろうか。

「シエル様、私は。」

蝶の死体を、ポケットに戻した。

「私はシエル様のものですから、どこにも行きませんから。」

羽をもぐように、手足を切られても構わない、私はシエル様の駒として、ずっと側に居ると誓ったのだ。
シエル様は暫く俯いていた。

「……心配だなんて、馬鹿にされたものだな。」

その口角が吊り上がった。
洩れる笑い声に、私はその表情を知りたくなる。
顔を上げたシエル様は、泣きそうな顔で笑っていた。
泣きそうだと思ったのは、私の勘違いなのかもしれないけれど。

「アリス、お前は僕のものだ。他の誰かになんてやるものか。」

そう言って、シエル様は私のエプロンを握った。
一緒に握られたポケットの中で、蝶はきっとぐしゃぐしゃに潰れているだろう。
私を見上げる青には、陰りも何も無くて、意志の強い青色をしていた。

「――はい。」

信じています、とは言わなかった。
信じるのは当たり前で、私はこの主の意思によって動くのだ。
そんな失礼な言葉を繋げるのは、馬鹿のする事だ。

エプロンを手放して、シエル様は廊下の奥へと去っていった。
絨毯が足音を飲み込んでいく。
私は、その背中をずっと見詰めていた。

日に照らされた蝶の青だなんて、ばかばかしい。
シエル様の瞳は、あの青でなくては。
強い意志を隠そうともしない、あの青色。
私はあの青色を守らなくてはならないのだと、そう思った。


FRAGILE



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