Sink


酷い雨だった。
昼過ぎから降り始めた雨は、ザアザアと喚き散らしながら屋敷に降り注いでいた。
窓硝子にぶつかる雨粒は大きく、ぶつかる度に音を立てた。

「ああ、うるさい。」

どうにもならないその騒音に、シエル様は文句を言う。
雨のせいだろうか、気温も低く、先程淹れたばかりなのに、紅茶の湯気は既に薄くなっていた。
ティースタンドからスコーンを手に取り、クロテッドクリームを塗りつける。
その一連の動作にも、苛立ちが垣間見えた。

まだ雷が鳴らないだけ、ましだろうか。

雨のせいで暗い室内を、蝋燭の明かりが照らす。
夜が早く来たようだ、と思う。
早く来た夜にアフタヌーンティを摂る。
その光景がちぐはぐで、妙だった。

「カーテンを閉めますか?少しは音も聞こえなくなると思いますが。」

「いや、いい。それすら煩わしい。」

私の提案に、シエル様はそう答えた。
とても苛立っている。
乱暴にスコーンに齧り付く様から、そう思う。
警戒心の強い猫のように、常に背中の毛を立てているようだ。
こういう時は何もすまい、言うまい、と改めて思う。

「セバスチャン、席を外せ。」

「は、」

「いいから、席を外せ。」

珍しい要求に、セバスチャンさんも私も目を丸くした。

「御意。」

セバスチャンさんも意図を汲めてはいないのだろう、と思う。
頭を下げて、部屋から出て行った。
残されたのは、私一人。
空いたカップに気付いて、先程までセバスチャンさんの立っていた位置へ向かった。
ティーカバーを外して、カップに紅茶を注ぐ。

「ん。」

新しく紅茶の注がれたカップに、シエル様は早速手を伸ばした。
何か会話がある訳でもなく、淡々とアフタヌーンティが消化されていく。
私はそれを眺めているだけだった。

「アリス。」

ティースタンドのケーキに手を伸ばして、シエル様は私の名前を呼んだ。

「はい。」

シエル様は、こちらを見る事なく呟いた。

「アリスは、僕のものだ。」

「はい。」

当たり前の事を、なぜ、今更。
不思議に思って、シエル様の顔を覗き込んだ。
その目はとても真っ直ぐに、私の目を見返す。

「僕のもの、なんだ。」

シエル様の手が伸びて、私の右手を掴んで、指を絡めた。
握られた手に、強く力がこめられる。
掌が熱かった。

「僕の……。」

シエル様の表情が、少し歪んだ。
それは何かの痛みに耐えるような、そんな歪み方だった。
青く澄んだ湖に、瞼の暗い影が落ちる。

「どうなさいました?」

更に屈んで、その表情を覗き込む。
シエル様は瞼を閉じて、溜息を一つ吐いた。
閉じられた瞼は微かに震えていた。

「シエル様?」

瞼が開く。
何か振り切ったような、強い意志を持った瞳が、私の目を捕らえる。
ガタ、と椅子の音がして、立ち上がったシエル様の唇が私の唇に重なった。
口の中に入り込んだ舌から、クロテッドクリームの味がする。
暫く口の中で舌が絡み合って、解放された。

「アリスは僕のものなのに、誰かに盗られそうな不安にかられる。」

「そんな――。」

「分かっている。……僕らしくもない妄想だ。」

そう言い捨てると、シエル様の手は離れた。
ナプキンで乱雑に口元を拭う姿に、私は何故か寂しさを覚えた。

「片付けてくれ。」

「はい。」

シエル様はそう言って、部屋を出て行った。
小さくて大きな背中を見送る。
私は空いた食器をワゴンに乗せながら、瞼を閉じた。
窓を打つ音は止まない。
シエル様を襲う不安を、どうしたら拭い去る事ができるのだろうか。
セバスチャンさんに聞いてみようと思って、やめた。
態々席を外させたのだ、聞かれたくないのだろう。
私に話して、少しは気が楽になっただろうか。
シエル様の、痛みに耐えるようなあの表情が、私の頭を占めていた。


FRAGILE



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